ステラⅢ

 編入初日となるその日。


 エレンさんの魔法を受け変装した私は、気合いを入れ直して、学園の門の前に立っていました。


 この魔法は、10時間ほど保つそうなので、学園にいる間は余裕で効力を発揮します。


 真新しい制服を着ていますが、本当におかしくはないのか不安になります。


 ここに来る前、鏡の中の自分を見ました。


 茶色い髪に茶色の瞳。


 何よりも違和感があるのは、色素の薄い肌。


 自分が自分じゃないみたいで怖くなりましたが、怖気付いている場合ではないですね。


 今から赴かんとする場所を見上げました。


 まず、門構え。


 キラキラと陽光を反射しているのは、黄金が使われているからでしょうか。


 入る者を厳選するかのような佇まいに気後れして、また足が躊躇してしまいます。


 その横を、何人もの学生が通り過ぎて行きました。


 いえ、ここで立ち止まってはダメです。


 私の任務は第二王子殿下を、延いてはここにいる方々を守る事。


 私の設定はこうです。


 今まで病気療養をしていた男爵家の娘の私は、健康を取り戻したので、学園に編入して心機一転、学園生活を始めたと。


「大丈夫。大丈夫。私は、ステラ・マクネア。エレンさんの魔法は完璧。バレないはずです」


 ブツブツと、小さな声で自分に言い聞かせていました。


 意を決していざ赴かんと顔を上げると、物陰で佇む女生徒が視界の中に映り込みました。


 凛々しく美しいそのお方は、エステルお姉様でした。


「え?」


 いきなり動揺で思考が停止してしまいました。


 いきなりお姉様に遭遇するなんて、誰も教えてはくれませんでした。


 一目見て、エステルお姉様だとわかったその方は、驚いた様子で私を見つめていました。


 綺麗な翡翠色の瞳を目一杯見開いて。


 あの日の事を思い出します。


 また、お姉様に何か起きたらどうしようとハラハラと見つめ合っていると、次に、輝くような笑顔を浮かべたので、息を飲みました。


 姿勢良く立つお姉様は、スタイルがとても良くて、ますます綺麗になっていました。


 通り過ぎていく何人もの学生達が、顔を赤らめてチラチラとお姉様を見ていくくらいに。


 緊張がピークに達し、逃げ出したい衝動に駆られたところで、お姉さまの方から近付いて来られました。


「私、ロット男爵家のエステルよ。貴女が今日編入してきたマクネア男爵家のステラさんよね?はじめまして。今日は私が貴女の案内を頼まれているの。困った時は、何でも聞いてね?」


 お姉様が案内役とは、驚きました。


 お姉様に優しい言葉をかけられて、戸惑いは大きいです。


「ありがとうございます……ステラ・マクネアです。どうぞ、お見知りおきを……エステル様……ステラとお呼びください」 


 辿々しく言葉を紡いで、これで良かったのか不安になりましたが、目の前の、少しだけ見上げる形になるお姉様はニコニコしていました。


「私の事もエステルと呼んで。同じ男爵家なのだから。本当は、クレスウェル公爵家の御令嬢が貴女を出迎えるはずだったのだけど、最初だから緊張させてしまうかもと、私が代わりに引き受けたの。後で、アリソンを紹介するわね」


 公爵令嬢のお名前を気軽に呼び捨てにしているので、親しい様子は窺い知れます。


「さあ、こっちよ」


 エステルお姉様に続いて校舎の中に入ると、初めての学校は、どこを見ても新鮮でした。


 建物の中は意外と開放的で、窓ガラスから日光がたくさん入って、明るい印象を受けます。


 廊下の片側に教室がたくさん並んでいて、扉などの装飾はシンプルながらも品がありました。


 お姉様はまず最初に、学園長室へと案内してくれました。


 私だけが学園長先生と担任の先生にご挨拶して、双方とも事情はご存知のようでしたけど、学び舎で過ごすからには勉学にも励む事と言われました。


 それから、教室に行く前に公爵令嬢のアリソン様をご紹介してくださいました。


「貴女がステラさんですって?何て弱々しい方なの。本当に大丈夫なの?アリソンと、気安く話しかけてくれても、別に構いませんけど、せいぜい周囲の人には注意することね。誰が何を考えているのかわかりませんもの。余計な揉め事は嫌よ。ああ、本当に、なんて事なのかしら。貴女みたいな人が来るだなんて」


「えっと、はい、よろしくお願いします。アリソン様」


 キリッと音がしそうなほどの眼差しを向けてこられたアリソン様もとてもお綺麗な方で、流れるような蜂蜜色の髪に、サファイアのような瞳をされていました。


 お姉様と並ぶと、一対のお人形さんのようで、ほーっと見惚れてしまいます。


 こんな素敵な方達と過ごせるのなら、この学園生活もなんだか楽しく過ごせそうです。


 もちろん、大切な任務は忘れてはいませんが。


 顔合わせが済むと、アリソン様はすぐに何処かへと行かれてしまいました。


「私は隣のクラスだけど、アリソンは同じクラスだから、心配しないでね。後で一緒にお茶しましょう」


「はい。ここまでありがとうございます」


 いくつかの施設を教えてもらうと、教室の前でお姉様と一度別れ、後ろのドアからソッと中に入りました。


 教えられた席に座ります。


 教室にいた生徒からいくつもの視線を向けられましたが、特に話しかけられたりはしませんでした。


 教室内では初めて、お護りする対象のダミアン様をお見かけしました。


 状況を把握しやすいように同じクラスなのです。


 使い魔を通しては少しだけ見えていましたが。


 私の使い魔を連れている方が、側近候補のダニエル様です。


 ダニエル様は侯爵家の方で、魔法士団には所属していませんが、登録魔法使いでもあるそうです。


 茶色の髪に琥珀色の瞳の柔和な印象を受ける方です。


 ダニエル様に、最初は猫の使い魔を渡そうとしましたが、猫が苦手とのことで、より小さいハムスターにしてみました。


 ダニエル様の胸ポケットからちょこんと顔を出しているハムスターと視界を共有できています。


 場合によってはポケットの中に入れていただく必要がありますが、概ね順調に見守れています。


 このお隣にいるあの方がダミアン様なのですね。


 はい、お顔は覚えました。頑張ってお護りします。


 何となく、実物が気になってそちらを向いてしまいました。


 そこでタイミングが悪く、目が合ってしまいました……


 殿下は目を見開いて、固まっています。


 どこかおかしなところがありますか?


 ええっ、何でこっちに来るのですか?


 いったい、どうすれば……


『わぁぁぁ、ステラちゃん逃げて!』


 使い魔を通じてダニエル様からそんな声も聞こえましたが、逃げろと言われても、それが何故かもわからず、退路を辿るようにダミアン様は接近して来ていまして……


 周りを見渡しても、唯一知っているアリソン様は、まだ教室に戻って来られていません。


 どうしたら……


「初めて見る顔だな」


 とうとう殿下に話しかけられました。


「私は、今日から編入、してきました、ステラ・マクネア、です」


 何とか返事を返します。


 言葉選びが慎重になり過ぎてしまいました。


「マクネア男爵家の令嬢が編入してくることになっていましたね」


「そうか」


 ダニエル様の補足に納得したのか、何故か私の隣にダミアン様が座ります。


「俺は、第二王子のダミアンだ。何か困ったことがあれば、いつでも力になろう」


 そう言って、何故か私の手に、殿下の手を重ねてきます。


 言ってる事は親切なのですが、手!手!


 やめてください!!


 ゾワッと鳥肌が立ち、言葉では言い表せない不快感が生まれます。


 振り払う事も出来ず、ぷるぷる震えていました。


 この人に、触られたくない。


 ディランさんにはこんな不快感、感じられなかったのに。


 男の人が怖い、気持ち悪いって、初めて思って、殿下が何か色々喋りかけてきますが、耳を素通りしていきます。


 もう、無理無理無理……


 俯いて目を瞑って、ひたすら耐えるしかなくて、


「ダミアン様。ちょっとよろしくて?」


 ぎゅーっと身体に力を入れた時に、その天使の声が突然耳に飛び込んできたのです。


 その声に顔を上げると、アリソン様が立っていました。


 ダミアン様が触れている私の手を極自然に取ると、御自身の手で包みました。


 柔らかくて温かい手です。


 二言三言、ダミアン様に何か話すアリソン様の美しい横顔を、ぽーっと見つめていました。


「さぁ、参りましょう。ステラさん」


 再び天使の声が私の耳に届きます。


 助けてくれたのですね、アリソン様。


 促されるままに、手を引かれてついて行きます。


 教室を出る時、ものすごい目でこちらを睨みつけている女生徒がいる事に気付きましたが、私にはそれを気にする余裕がありません。


 教室を出た途端に、心配そうに私を見るお姉様の姿も認めました。


 女生徒用の化粧室へ三人で入ると、


「ステラ、ごめんなさい。下位貴族の私ではすぐに貴女を助けてあげられなくて。すっかり手が冷えてしまったわね。大丈夫?悪い癖だわ。殿下と言えど、女性に軽々しく触れるなんて……」


 私の手に遠慮がちに触れながら、お姉様がすぐに声をかけてくれました。


「いえ、謝る必要など……ありがとうございます、エステルさん……アリソン様、本当に助かりました」


「べ、別に、貴女のためじゃありませんもの。貴女のことなんか何とも思っていませんのよ?ただ、困った時はいつでも声をかけていただいて、よろしくてよ。そ、それがわたくしの義務ですもの」


 ふんっと、そっぽを向かれてしまったアリソン様の耳がとても赤くなっていました。


 照れているご様子で、それがますます天使のようでした。


 アリソン様も、大好きになりました。


「アリソンは、ここで一人反省会していたから、教室に戻るのが遅れたのよね。次からは、アリソンがちゃんと殿下を見張っていると思うから心配しないで」


「余計な事は言わないで!」


 一人反省会とは?と、疑問はありましたが、お姉様達の優しさに触れて、冷えていた心が温められました。


 編入初日は、むしろお姉様達に助けられるところから始まりました。







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