嫌だと思っている時間はすぐに訪れます。


 翌々日、(強制と言う名の)約束の日です。


 エレンさんが渡してくれた服はちょうど乗馬に適していたので、それを着ました。


 私物の外套を頭からかぶって顔を隠すと、ディランさんに指定された門の前にいました。


 時間通りに大きな軍馬にまたがってやって来たディランさんは、いつもとは装いが違い、乗馬用の外套を着込んでいました。


 後ろの荷物が気になりますが……


 大人しく待っていた私に満足気に頷くと、早速馬上に引き上げられて、ディランさんの前に座らされました。


 馬に乗ることも初めてですが、何よりもこの密着状態が心臓に悪いです。


 そして、馬上の高さに驚いて縮こまっている私をよそに、


「郊外に出るまではとばすから、舌噛まないように気をつけろよ」


 言うな否や猛スピードで駆け出し、その勢いに驚いて、


「んな゙あ゙ぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 鞍にしがみついて叫び声をあげると、


「はははははははは」


 私の声に被せるように、ディランさんの笑い声が聞こえていました。


 気を付けろって言ったくせに、そっちこそ舌を噛んだって知りませんから!と言いたかったけど、そんな余裕はありません。


 口を閉じてぎゅっと目を瞑り、風が吹き抜けていくのだけを感じていました。


「ステラ、もう力抜け」


 カポカポと馬の歩みがゆっくりになると、フードが外されました。


 顔を上げると、そこはのどかな風景が広がっている場所で、


「すれ違う人なんかほとんどいないから、他人の目なんか気にならないだろ」


 その言葉に、久しぶりに頬に風を受けながら周りを見渡します。


「何だか、新しい世界に来たような気分です……」


 綺麗な緑色の小麦畑が広がっていて思わず呟くと、愉快そうな声が降ってきました。


「それはそれは。引きこもりを引っ張り出すのに成功したな。ギデオンから聞いたぜ。お前、6歳の時に魔法士団に押しかけてから、ほとんど敷地外に出たことなかったろ」


 いったい、何を話したのかと見上げると、間近にあったディランさんの視線と合って、どきりとしました。


 ち、近い……


 視線を前に戻しました。


「ギデオン様に何を……」


「ん?あぁ、ちょっと連れ出してもいいか許可をとっただけだ。一応保護者だろ?そん時に、ステラは引きこもりだって口にしていたから」


 あぁ、明日また、何かギデオン様に言われるのかなぁ……


 ちょっと遠くを見つめてしまいます。


 諦め気分で眼前の景色を眺めていると、ディランさんに連れていかれた先は、広い野原でした。


 所々に花が咲き、色のコントラストが綺麗な場所です。


 毎日植物に囲まれた生活を送っていても、こうやって自然に群生しているものに触れるのは嬉しいものでした。


 いきなり拉致されて、どこで何をされるのかと思ったものですが、ふわぁーっと、恥じらいも無く口を開けて景色を眺めていると、ディランさんはシートを敷いたり、荷物を降ろしたりと、テキパキと休める場所を作っていました。

 

 おいでおいでと手招きされ、ぽんぽんと座るように促されたので大人しく従うと、手拭きに、お茶に、昼食にと、ディランさんにお世話されていました。


 とても慣れている様子です。


 この手際の良さは何なのでしょう。


 私の視線の意味に気付いたのか、


「騎士団の遠征訓練で、よく野営とかやるしな。後輩や部下の面倒見てるから、慣れてるんだ」


 リンゴをウサギ型に綺麗に剥きながら答えてくれました。


 慣れているで済ませていいものですか?


 パンにたくさんの具材が挟まれた物を口にすると、その美味しさにビックリします。


「エステルの話を、ゆっくりしてやろうと思っていたんだ。ここなら、誰にも気兼ねしないで話せるだろ」


 黙々と口を動かしながらも、視線はディランさんに向けました。


 確かに、だだっ広い野原で開放感もあって、他に誰もいないのなら何でも話せます。


「聞きたいだろ?」


 コクンと頷いて答えました。


 ディランさんは、お姉様が生まれた時からの事を、思い出を共有するように話してくれました。


 エステルお姉様が赤ちゃんの時から、一緒に過ごす事が多かったそうです。


 領地が隣り合っているから、家同士の繋がりも強いのが理由にあるそうです。


 ディランさんから見たものだけの話だったので、お姉様が楽しげに過ごされていた様子だけを知ることができました。


 おそらく、私に配慮してくれたのだと思います。


 お父様が不在時のお姉様の苦悩はたくさんあったはずですから。


 日記で知った事ですが、お母様が自殺なさった後に、エステルお姉様は初めてお父様とお会いしたようです。


 それがどれだけ異常な事かわかります。


 そこの所はいっさい話さず、エステルお姉様とディランさんとの二人の思い出を聞かせてくれました。


 お姉様の好きなもの、嫌いなもの。


 ディランさんは、本当に何でも知っていました。


 それが、とても羨ましく思えました。


「ステラは」


 それを思った所で、唐突に私の名前が呼ばれたので顔に出ていたのかとディランさんを見ました。


「魔法士団に入ったのは、自分の意思でか?」


 違ったようです。


「はい。お母様が、タリスライトの魔法兵団に所属していました。それで、魔法使いには憧れがあって。ギデオン様が、ずっとお世話してくださいました」


「自分の意思でなら、俺は何も言うつもりはない。危ない目に遭うのは見過ごせないが」


「大丈夫です。覚悟もできています。それに、ギデオン様がたくさん修行をしてくださったので、ちょっとくらいの事は多分どうにかできます」


 大丈夫だと伝えたのに、ディランさんは怖い顔になりました。


 圧が怖いです。


「何の覚悟だ」


「何が自分に起きても後悔しない覚悟、でしょうか?」


 改めて言葉にすると難しいものです。


 それを言ったら、ディランさんはますます不機嫌になっていましたが。


「魔法士団の話はまた別の機会にするとして、お前は?故郷の事を話したいと思ったことはないのか?あの時、チビがこんな遠くに来るのも、辛いものがあったんじゃないのか?」


 故郷。タリスライト。


 思い出として語るには幸せな記憶がいっぱいで、未だに恋し過ぎて、タリスライトでの話はできそうにありませんでしたが、グリース王国に来た直後の話をディランさんは聞いてくれていました。


「タリスライトを出国した時はもちろん寂しかったです。お別れしたくない人もいました。でも、お姉様に会えると聞いて、新しい家族ができるのだと、無邪気に喜んでいました。まだ、何も知らなくて。船がグリース王国に近付いて、海岸沿いに町が点在しているのが見えて、青い海は、キラキラと光を反射してて、これからどんな生活が待っているんだろうってワクワクしていました。それから、男爵家の御屋敷でエステルお姉様に会って、ますます仲良くなりたいと思いました。仲良しになれるのだと」


「いつか叶う日がくるはずだ。その時が来たら、俺も協力する」


 それがお姉様のためになるとは到底思えませんが、でも、お姉様の幼なじみのディランさんにそう言ってもらえるのは、少しだけ救いになりました。


 穏やかな時間が過ぎます。


 ディランさんは寝転がっていますし、私もお腹いっぱいで、陽射しは柔らかく暖かいし、吹く風は気持ちいいし、たくさん話して少しだけ疲れて、座ったままうつらうつらとなるのは仕方のないことで……


 ふわふわとした眠りに包まれていました。


 ほんの少しだけ夢を見ていた気がします。


 タリスライトでの事です。


 シリルにぃ様とお別れした時の哀しい顔。


 ごめんなさいと、謝っていました。


 にぃ様の言う事を聞いていればと……


 しんみりとした思いで目が覚めた時、何故、自分がそんな状況なのか理解できませんでした。


 ディランさんの膝枕で寝ていたのです。


 「ゔぇっな゙!?!?」


 一瞬で目が覚めて、ゴロゴロと地面を転がってディランさんから距離をとりました。


 花咲く地面に額をつけ、丸まった体勢から動けません。


 自分の醜態に悶絶してしまいます。


 今すぐ、世界を呪いたいです。


 ちらりと見えた視界の端では、ディランさんは顔を押さえ、俯いて、肩を震わせてからの、“ははははは”と盛大に笑っていました。


 からかっていますよね!?


 私で遊んでいますよね!?


 なんで起こしてくれなかったのですか!!


 鬼畜すぎます!!


 帰途に着く馬上では、フードの端を握りしめて顔を上げることができなかったのに、追い討ちをかけるようにディランさんは笑う事をやめてくれませんでした。







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