5
人の気配が完全に無くなって、心細くてたまらなかったので、気が紛れるように鞄の中から本を取り出して、パラパラとめくりました。
何かお絵描きでもできればと思ったけど、叩かれた両腕はズキズキと痛んで、物を持つとどうしても震えてしまいます。
本で何かをする事は諦めて、小屋の扉を少しだけ開けて、外に誰もいないかを確認しました。
喉が渇いていたから、来る時に見かけた川でお水を飲むつもりでした。
恐る恐る外に出ると、背の高い木々の間から陽が差し込んでいて、来た時よりも怖くないように思えました。
痛いことをする大人達がいる場所よりも、ここの方が安全なのかもしれません。
覚えていた道を辿って、小川を目指しました。
疲れが残る足で少しだけ歩くと、ほどなくして目的の場所が見えてきてホッとしました。
川のお水は、見た目は綺麗だったので、手ですくって直接飲みました。
お水の心配はしなくてすみそうです。
小屋に帰ると、畳んであった毛布を引っ張り出しました。
その日は疲れていたので、すぐに寝てしまって、朝まで目が覚めることはありませんでした。
その日から、しばらく誰かが訪れることはありませんでした。
食べ物は、夜を15個数えた頃にはほとんどなくなりました。
そこからまた夜を5個数えると、残っているのは腐っていたり、カビが生えているものばかりとなりました。
誰かが食べ物を持ってきてくれる気配はありません。
時間だけはたくさんありました。
食べ物を探す方法を知らなかった私は、やる事がなかったので、手から黒いモヤを出してずっと眺めていました。
ボーッと眺めていると、たまたまそれが鞄の中に落ちてしまい、中を汚してしまわないかと急いで見ると、あの革表紙の本に変化が起きていました。
一瞬光ったので中を開くと、真っ白だった部分に、文字が浮かび上がってきたのです。
その本は、エステルお姉さまのお母さま、オードリーさまの日記のようでした。
オードリーさまは、お父さまの幼なじみで、お二人が結婚した当時の幸せそうな内容から始まっていました。
それが、だんだんと家を開ける事が多くなったお父さまへの思いを綴ったものになり、後半部分は、シットに狂いそうになる胸の内を吐き出したものになっていきました。
日記を読んで知ったことですが、私が生まれる数年前から、お母様とお父様は仲良くなっていたようです。
お姉さまのお母さまと結婚していたお父さまが、私のお母さまと仲良くすることはいけない事なのだと、この時に初めて知りました。
日記は、オードリーさまの秘密をも書き記されていました。
お父さまがタリスライトへと出港して行った直後に、オードリーさまは、夫の裏切りと不在に耐えきれずに、不貞を犯してエステル様を生んだと。
『胎内の胎児の性別を、魔力を流して判別できる魔女様に頼みましょう』
侍女にそう言われて出生届の日にちを誤魔化して、エステル様を男爵家の子としたと。
読み終えて、これを持っていてはダメだとすぐに思いました。
多くの事は理解できなくても、お姉さまの秘密は秘密でなければならない。
幼くとも、それだけはわかりました。
これをどこかに捨てなければと。
日記を入れた鞄を肩から下げると、すぐに小屋を出ました。
穴を掘って埋めるか、どこかに投げ捨てるか、どうすればいいか決めていなかったけど、とにかくどうにかしなければと森の中を走っていました。
その途中で、向こう側から誰かが歩いてくるのが見えたので、急いで茂みの影に隠れました。
「あのガキ、くたばってくれていればいいのに。エステルお嬢様が男爵の血を引いてないってバレたら、あのガキに全部もっていかれてしまうんだろ?」
私を叩いたあの男の人がいて、口を塞いで見つからないように息を潜めました。
「ああ。お可哀想な話だ」
「あんまりだ」
「それに、オードリー様の御実家の商会、このままでは不味いんじゃないか?」
「あのガキが男爵に嫌われるように仕向けるしかないぜ」
「せっかく数年かけて、男爵家の使用人を息のかかった者に入れ替えたのに」
二人の男性の話し声を聞いていると、
「あらっ。子ねずみちゃんがいるわ」
女性の声がしたかと思うと、男性達が一斉にこっちを向きました。
「このクソガキ!盗み聞きしてやがった!」
「殺せ!秘密がバレる前に殺せ!」
いやっ
怖い
その場から逃げようとしたのに、背後から私の襟首が掴まれたのは一瞬のできごとでした。
乱暴に地面に引きずり倒され、鞄の中身が少しだけはみ出したから、急いで日記を中に押し込みました。
でも、すでに何もかもが遅かったようです。
「あらっ。貴女、ソレ読めたの?封印が解かれてる。よく見つけたわね。それにお利口さん。すごいわね。まぁ、隠してたのは私なのけど。誰か見つけたら面白いかなって思っていたの。随分と小さな子が見つけたのね」
私を覗き込んできた女性に微笑まれて、赤い唇が歪むのを見て震え上がりました。
「どうすればいいですか?ジェネヴィーブ様」
「いいじゃない。せっかくだから教えてあげたら。貴女も知りたいでしょ?小さな魔女さん。貴女みたいな年齢であの日記の中身を理解するのは難しかったことでしょう。貴女、見込みがあるから私の
弟子となる意味がわからなくても、その誘いが怖くて、涙目で首をフルフルと振っていました。
「
何度も何度も首を振りました。
「あら、残念。その日記のことだけど、オードリーをそそのかしたのは、私なの。偶然出会った私を、彼女、すっかり信頼してね。夫は外国で愛人と楽しく過ごして妻を裏切っているのだから、貴女も同じようにすればいいって。あら、もしかして、その愛人の娘が貴女の事かしら?」
「このガキこそがそうです」
「あら素敵。それで今、オードリーの敵討ちを貴女が受けているのね。お可哀想だこと。可哀想と言えば、貴女のお姉ちゃんよね。父親からは生まれた時から放置されていたのに、頼みの母親は自殺して、でも実は、自分は男爵家の血を一滴も引いていない。本当の父親は平民。あらあら。何もかも、あの子から無くなってしまうわね」
エステルお姉さまのお母さまが、ジサツ?
それに、血を引いていないとは、お姉さまはお姉さまじゃないの?
「あ、そうそう。それで、私達が何をしたいんだろうって、思っているでしょ?私は特に今の所は何も考えていないのよ?この人達の企みは知らないけど、私は可哀想なオードリーの相談にのってあげただけ。占い師の真似事をしてね。貴女、この事を誰かに言ったりしないわよね?貴女が誰かに喋るって事は、あの子から全部奪ってしまうってことだもの」
「い、言いません……わたし……言えない……お姉さまが……これ以上……何かを失うだなんて……」
「貴女のお姉ちゃんじゃないのよ?それに、子供ってお喋りだから信用できないもの。ふふっ。でも、大丈夫。安心して?私が話したくても話せなくなるようにしてあげるから。私が魔法をかけてあげる。私の存在とその秘密を喋れなくなるのよ?それを人に喋ると、呪いで死んじゃうの。怖いでしょ?」
ガタガタと脚が震えて動けずにいると、女の人が近付いて来て、ヒヤリとした手で私の頬を包み込みました。
その冷たさに、目の前のこの人が生きている人間とは思えませんでした。
「ジェネヴィーブって口にすると、死んじゃうの」
黄金の瞳でじっと見つめられ、間近で見ると、瞳孔が縦長で蛇の眼のようであることに気付きました。
それから、何かを唱えるように唇が僅かに動くと、胸元に冷たいものが流し込まれたような感覚を受け、
「いやっ!!」
そこで恐怖が勝り、女の人の手を振り払うとそこから走り出していました。
森の中を闇雲に走り、“助けて”と、泣きながら逃げていました。
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