しばらく、フワフワと漂う黒いモヤを眺めていると、外から男性の話し声が聞こえてきました。


 外の様子を知ることができるのは、上の方にある小さな窓だけです。


 積み重なった木箱の上に立って、少し背伸びをして、やっと外を見ることができました。


 そこから見えたのは、少し離れた場所で喋る、二人の男性の姿でした。


「エステル様が可哀想だ。オードリー様は、どれだけ無念だったことか」


「ああ。お嬢様のお心が、これ以上乱されることがないようにしてもらいたいものだ。早く、意識を取り戻してくれればいいが」


 お姉さまは、まだ元気になっていないようです。


 早く元気になって欲しいと願っていましたが、私はまだ、お姉さまが可哀想だと言われている理由をよく理解できていませんでした。


 男性達のお話は、まだまだ続いていました。


 今は、寝込んでいるお姉さまのそばに、お父さまが付きっきりになっているようです。


 だから、私に会いに来てくれないのでしょうか。


 お姉さまの具合が悪いから、男性達は可哀想だと話しているのでしょうか。


 男性達が向こうに行ってしまったので、木箱から降りて、床に座りました。


 寂しくても、今はここにいなければならないようです。


 我儘を言って、具合の悪いお姉さまに嫌われたくない。


 早く元気になってほしい。


 そして、早く仲良しになりたい。


 お姉さまが元気になったら、お父さまがここに迎えに来てくれるはず。


 お父さまは、いい子で待っていれば早く帰ってくるからと、いつも言ってくれて、それを守ってくれていました。


 だから、私もここで静かに待っていれば、お姉さまが早く元気になって、お父さまも早く迎えに来てくれるはずです。


 うつむいて自分に言い聞かせていると、つい今しがた踏み台にしていた木箱の中に、何か本のようなものが入っている事に気付きました。


 似たような木箱はたくさん置かれていますが、被せてあった板が外れて、隙間から中が見えていたのです。


 それは革表紙のカッコいい本で、どんな物語が書かれているのか楽しみな事ができたと思ったのに、いざそれを取り出して本を開いてみると、何も書いていませんでした。


 残念に思いながら、それは持っていた鞄に入れました。


 勝手に触って怒られるかもしれないと思いながらも、埃を被ってしまわれていたものだから、ちょっとだけ持っていてもいいかなって勝手に思っていました。




 退屈と空腹の時間を過ごす中、私がそこから出る事ができたのは、夜を五つ数えた後でした。




 それは唐突で、バンっと、扉が乱暴に開けられました。


 驚いて見ると、また、怖い顔をした男の人が立っていたのです。


「立て。お前は今から、別の所に移動だ」


 突然告げられたことに、どこに連れて行かれるのかと不安になりました。


「早くしろ!!」


 いつまでも動かない私に男の人は苛立たしげに怒鳴ったかと思うと、何かを振り上げたので、咄嗟に手で顔を庇っていました。


 直後には両腕に鋭い痛みを覚え、たまらず悲鳴をあげます。


「うるさい!!」


 何度も繰り返される痛みと恐怖に、泣きながら謝っていました。


「ごめんなさい。ごめんなさい。やめてください」


「おい、もうやめろ。さっさと連れて行くぞ」


 別の男の人が止めに入ると、ようやく痛い事は終わりました。


 両腕は火傷したように熱を持って、ズキズキと痛みました。


 見ると、線が重なるように腫れて赤くなっていました。


 涙を浮かべて腕を押さえる私に、もう一人の男の人が言いました。


「旦那様は大切な商談の為にお屋敷を立たれた。お前の存在はエステルお嬢様の容態に悪影響を及ぼす。だから、離れに連れて行く。ついて来い」


 また叩かれるのは嫌だと思い、フラフラと立ち上がって、男の人の後ろについて行きました。


 お腹がすいて足に力が入らなかったけど、一生懸命に歩きました。


「旦那様は、やっと正気に戻られたのだ。魔女に誑かされた行いを悔いていた。お前をこの家に連れて来た事もな」


 何を言っているのか、わかりませんでした。


 魔女とは、お母さまのことでしょうか?


 いくら疑問に思ってはいても、それからは何も喋らずに、足がクタクタになるまで歩かされて、やっと着いた場所は森の中にある小さな小屋でした。


 周りを木々に囲まれ、人が住んでいる町から随分と離れた、猟師が辺りを警戒するために建てられた小屋でした。


 いくつかの道具が置かれている以外は何もありません。


 男の人達は、小屋の中に持ってきた布袋を二つ置くと、


「呼びに来るまでここにいろ」


 と、私を残して元来た道を戻って行きました。


 今度は、猟師小屋に、一人残されてしまいました。


 袋に入った食べ物を二袋分置いていかれたので、ほんの少しだけ安心します。


 これでお腹がすく心配はしなくていいと。


 朝から何も食べていなかったので、早速、袋に入っていたリンゴをかじりました。


 ずっとパンばかりだったので、久しぶりに食べる果物がとても美味しく感じられます。


 シャリシャリと、自分がリンゴを齧る音だけがやたら響きました。


 シーンと静まり返った小屋で、鳥の囀りが聞こえてくる中、これからここで一人で過ごさなければならない不安は、考えたくありませんでした。









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