第57話 凍てつくほどに手を伸ばせ

『ッ――……』


 再び氷の竜フロストドラゴンに異変が起きた。

 吹き荒れていた吹雪がピタリと止まり、冷気が徐々に収まりはじめたのだ。


「……! 魔力が弱まった! やるぞ!」


 ブリスが十人の魔法使いに指示を出す。

 アンカーの鎖は数本千切れたが、まだかろうじて氷の竜を拘束できるだけは残っている。これが最後のチャンスだ。


「ヤツの中にあるコアを剥き出しにするんだ! 私の指示通りに順番に魔法を叩き込んで――」


「待て」


 ブリスの眼前に魔道二輪車バイクが停まる。乗り手はグスタフだった。

 一刻を争う状況で水を差され、ブリスは苛立つ。


「なんだ! 急がねば“転移者”の少女の加護が消える! まだ私に文句があるなら――」


「俺に火ぃーつけろ」


「…………は?」


 グスタフの意味不明な注文に、ブリスは耳を疑った。


「この服と兜は対魔法加工されてる。あのドラゴンの冷気にも多少は耐えれるが、耐久時間を少しでも長くするために着火すんだよ。すっぴんのてめぇが突っ込むよりよっぽどマシだろ」


 グスタフの装備なら氷の竜の冷気にも多少は耐えられるが、対魔法加工は魔法を完全に無効化するわけではない。せいぜい三割か四割軽減させるくらい。

 そこで、冷気から身を守る為に自らに火を点ける。消防士が水を被ってから火事場に飛び込むように。それがグスタフの案だ。

 ショーコに施されたような守護魔法は魔力を大きく消費するが、ただ単に炎を生み出すだけならブリスの残り少ない魔力でも可能だ。

 しかし、氷の竜の冷気を押し返すほどとなれば生半可な炎ではダメだ。かなり強い炎を身に纏うことになる。


「……正気か貴様。まともな思考力も無くなったのか」


「そんなもんとっくの昔にかなぐり捨てたよ」


「……後で文句言うなよ」


 グスタフは僅かに口角を上げ、兜のバイザーを下げた。



 ・ ・ ・ ・ ・ ・


「さ、行こっかアンナちゃん」


 氷の竜の中から脱出しようとショーコが手を差し伸べる。

 先程はその手を拒絶したが、今度は違う。アンナはショーコの手を取った。

 アンナの凍った心はショーコによって溶かされたのだ。


「ごめんなさい“転移者”様……私、ウジウジしてて……迷惑ばっかりかけて」


「よせやい。私達もう友達なんだから、もっとフランクにいこーよ」


「……と、友達……っ……ありがとうございます。私なんかに……」


「ほら、また他人行儀」


「っ……あ、ありがとう……ショーコ……ちゃん」


「うむ、それでよいのじゃ」


 ショーコがニカっと笑ってみせた。アンナもつられて小さく笑った。


「それよりさ、出口ってどっち? 魔法の空間なんて初めてだからさ、どうやって出ればいいのかわかんないよ。非常口の表示看板も見当たらないし、トイレ行きたくなってきちゃったから早く出たいんだけど」


「そうだね、ここから出る方法が見つかるといいなあ」


「えっ」


「え?」


「見つかるといいなあって……出る方法知らないの?」


「うん」


「えっ」


「え?」


「……」


「……」



「わ~~~! そんなあ~! この場所を作った張本人すら出る方法がわかんないなんてもう絶望じゃ~~~ん!」


 現状を理解して嘆きだすショーコ。突然のことにアンナはちょっとビックリした。


「お、落ち着いてショーコちゃん。この場所を作ったって、どういうこと?」


「私達このままドラゴンの中から出られないままおばあちゃんになるんだ~~~!」


「どっ、ドラゴンのなか!? や、やっぱりさっき言ってたことってホントだったの!? なにがどうなってるのぉー!?」


「え~~~ん! 餓死するか胃酸で溶かされるかフンになるしかないならフンがマシ~~~!」


 閉じ込められたという絶望に打ちひしがれ、ショーコはわんわん泣き出した。大口を開け、鼻水も垂れ、まるで子供のように泣きわめく。


 しかし……アンナは違った。

 パニック気味に嘆くショーコを見て彼女も釣られて悲観になりかけたが、その恐怖心を胸の奥に抑え込んだ。


 むしろ、『自分がしっかりしなければ!』と強い意志を固めた。


「っ……だ、大丈夫だよショーコちゃん! きっと何か手があるはずだよ」


「ううっ……ぐすん……」


「なんにもせずにジッとしてるだけじゃダメだって言ってたのはショーコちゃんだよ。諦めないで一緒に出口を探そ」


「…………うん……ごめんね、あんなエラそーなこと言ってたのに……口で言うのは簡単だけどいざ自分のことってなると難しくて……カッコ悪いなぁ……」


「そんなことないよ。全然カッコ悪くない。私にとってショーコちゃんは誰よりもカッコいい友達だよ」


 ショーコは鼻をすすり、涙を拭った。


「……うん。ありがとアンナちゃん」


「ふふ、なんだかさっきとあべこべだね。それより教えてくれる? 今、一体何が起こってるのかを……」



 ・ ・ ・ ・ ・ 


「やるぞ!」


 氷の竜に向かって十人の魔法使いが横一列に並び立つ。二人の少女を救い出すために。


「唱えろ! オーノホ! ティムサコ! タラーキィ!」


 ブリスに名を呼ばれた三人の魔法使いが呪文を唱える。

 石畳の地面が隆起し、歪み、形を変え、巨大な岩石人形ゴーレムの上半身を形成した。


『オオオォォォォオオオ!』


『――ッ!』


 氷の竜の胸元にゴーレムの拳骨がお見舞いされる。

 氷で出来た身体に無数の亀裂が入った。


「やれ! アラビン! ドビン! ヒゲチャビン!」


 続いて名を呼ばれた三人の魔法使いが呪文を唱える。

 生み出したのは、地の竜ランドドラゴンの頭部。


『グゴアアアアアアア!』


『――~~ッ……!』


 三人では頭だけ作り上げるので精一杯。しかし、今はそれで十分。

 地の竜が巨大な顎を大きく開き、氷の竜の首根っこに噛みつく。

 ゴーレムが亀裂を与えた箇所が地の竜によって大きく削がれた。


「今だ! ピーリカ! ピリララ! ポポリナ! ペンペルト!」


 最後に名前を呼ばれた四人の魔法使いが詠唱する。


 「魔法使いってみんな名前変だよな」

 「クリスさん、人の名前を侮辱しちゃダメですよ」


 無数の石畳が空中で集まり、巨大な三角錐の形を取った。

 螺旋を描く様に回転し、尖った先端が氷の竜の身体を抉り進む。

 ショーコの世界で例えるなら、それはまさしく……ドリルだ!


『ッ~~~――!』


 巨大な三角錐ドリルがドラゴンの分厚い氷の身体を掘り進む。

 数秒の後にドリルは凍り付き、粉々に砕け散った。


 ――しかし、仕事は完遂した。


 削り取られた氷の奥から、蒼緑色の球体が姿を見せた。

 氷の竜の“コア”……“マナ”で構成された心臓部だ。


 あの中にアンナとショーコがいる。ようやく手の届くところまできた。


 ブリスはグスタフに最終確認を取る。


「……いいんだな」


「ああ」


 ブリスは躊躇したが、グスタフの覚悟に応えることにした。


「――……燃え上がれ」


 魔法の炎がグスタフの全身を包み込んだ。


「うぐぅおおあああああああ!」


 紅蓮の炎が身を焦がす。身体を巡る血液が沸騰するかのような感覚。

 対魔法加工で軽減されようと、その業火は確かにグスタフの肌を焼いていた。


「――っ…………全っ然! 熱くねえええぇぇぇ!」


 グスタフが魔道二輪車バイクのアクセルを全開にする。


「うおおおおおおああああああ!」


 炎の軌跡を残しながら、氷の竜めがけ一直線に駆け抜ける。

 二人の少女を助けるために、燃え盛るバイクが唸りを上げる。



 ・ ・ ・ ・ ・ ・


「……私が……ドラゴンを生み出して暴れさせてるなんて……」


 真相を知り、アンナがまた罪悪感で塞ぎこんじゃうんじゃないかと危惧したショーコは慌ててフォローする。


「き、気を落としちゃダメだよ! 誰だってムシャクシャしちゃうことはあるからさ! 私だってイライラして小石蹴ったら車の窓割っちゃったことあるし!」


 だが、それは取り越し苦労だった。


「……すぐに全部終わらせて、迷惑をかけた人達に謝らなきゃ。ショーコちゃん、早くここから出よう。協力してくれる?」


「あ、え、うん。はい。もちろん。なんだ、もっと凹むと思ってた。意外」


「ショーコちゃんのおかげでちょっと前向きになれたのかな」


「でへへへへ、そおかなぁ? ……――~~っ……いっきし! ……うぶるる……なんか急に寒くなってきたな」


 な~んか妙に寒気を感じるショーコ。

 アンナはショーコの先程までとは違う・・・・・・・・異変に気付いた。


「あれ? ……あっ! ショーコちゃんの守護魔法が弱まってる!」


「はぇ!? なにそれ!? どゆこと!?」


「さっきまでショーコちゃんの身体は炎属性の魔法で守られてたけど、今は消えかかってるの。その魔法が消えると……」


「……こ、ここは氷で出来たドラゴンの中……つまり……」


 ショーコはゴクリと生唾を飲み込んだ。


「おわ~~~! いやじゃいやじゃ! 冷凍マグロみたいになんてなりたくない~! ――ぃっきし! うわー! どんどん寒くなってく~!」


「な、なんとかここから脱出する手を考えないと! で、でもどうやって……!」


 ・ ・ ・ ・ ・ ・


「んなああああああああああああ!」


 極低温の中をバイクで突っ切るグスタフ。

 炎が皮膚を焦がし、凄まじい冷気が骨を震わせる。


 車輪が凍結しはじめた――

 ――乗り捨て、ドラゴンの首元に飛びつく。


「おらあああああああああ!」


 コアに右腕を突っ込む。

 見た目はガラス玉のようだが、触れると水面のように波紋を広げた。


「っ……! 聞こえてるかおてんば娘どもっ! 聞こえてんなら……さっさと出てこいっ!」


 ・ ・ ・ ・ ・ ・


 ――その時、アンナは視界の端に映る奇妙なモノに気付いた。


 何も無いハズの空間から“手”が伸びていた。


「……! ショーコさん! ありましたよ! “手”!」


「はぇ!?」


 ・ ・ ・ ・ ・ ・


「来たな」


 何かを察知したのか、マイは自身が跨るバイクからアンカーを射出した。


 打ち出された銛が氷の竜の胸元――グスタフのすぐ傍に突き刺さる。

 それに気づいたグスタフがアンカーの鎖部分を握りしめた。


 アクセルを吹かし、氷の竜から離れるようにバイクを走らせるマイ。


 脆くなった氷の竜の身体が崩れ、銛が突き刺さった箇所ごとグスタフが引っ張り上げられる。


 彼の右腕にしっかり掴まったアンナと、その足にしがみついたショーコも一緒に――



 ――同時に、氷の竜を形作る“マナ”が離散し、光輝く霧となって消滅した。

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