第55話 氷の箱の中の少女
まるで海鳥が魚を丸飲みするかのように、
「ショーコさんっ!」
フェイが慌てて駆け出そうとするも、ブリスが制止する。
「待て! “転移者”の少女は無事だ。寸前で対氷属性防御魔法の【炎の加護】を付与した。多少の間なら保つはずだ」
「多少って……どのくらいですか?」
フェイの問いにブリスが不甲斐なさそうに応える。
「十分か、五分か……一分かもわからない。氷の竜の体内がどれほどの環境なのか想像もできん」
「そんなっ……なんとかしないと――」
『――ッ~~~!』
考える時間など与えないと言わんばかりに、氷の竜が襲いかかってきた。
・ ・ ・ ・ ・ ・
「――……っ……? ……ここは……?」
気が付くと、ショーコは不思議な場所に居た。
まるで万華鏡の中のような、キラキラとした広い空間。
そこには“上”も“下”もない。水中か、あるいは宇宙空間のように彼女はフワフワと漂っていた。
氷の竜の体内にしては広すぎる。明らかに
この空間そのものが、魔法の前には常識など通用しないということを物語っていた。
「……ドラゴンのお腹の中……だよね。随分綺麗な……健康的な胃腸だこと」
周囲を見渡すと、少し離れた先に何かが見えた。ハッキリと確認はできないが人の様だ。
無重力空間での移動となると足をバタつかせるか平泳ぎのように両腕で推進力を生み出すのが賢い方法なのだろうが、彼女は泳ぎも苦手なので犬かきの要領でゆっくりかつ不格好な方法で向かうしかなかった。
(――…………どうしてみんな……私達をいじめるんだろう)
――アンナ・ヴァレイ・ペンゼストは嘆いていた。
この辛い世の中で懸命に足掻いて、なんとかしがみつきながらも生きてきた。
確かに違法魔術精製という法に背く行為に手を染めたのは事実だ。だがそれはあくまで生きる為であり、そうせざるを得ない状況に追い込んだのは社会そのものだ。
その上で罪を咎められ、痛めつけられる現実に耐えられなくなった彼女は、氷の壁で自身を囲い、奥深くに引き籠もったのだ。
(どうしてみんな……放っておいてくれないのだろう)
彼女が氷の竜を作り出したのは自衛のためだ。残酷な世の中から自身を守るために、正気を守るために、無意識の防衛本能が作り出した砦。
現実を拒む、
(私達はただ……普通に生きていたいだけ……ただ人並みに……生きていたいだけなのに……)
「――――……か――」
(……?)
「――えますか……――」
どこからか声が聞こえた。
アンナは耳をすます。
(誰……? 誰かの声……?)
「――聞こえますか――今――ドラゴンのお腹の中から直接話しかけています」
「ふえっ!?」
「わあっ!」
アンナが急に目を開いたのでショーコは驚いて声を上げた。
「あ~ビックリした……なんか寝起きドッキリみたいになっちゃったね」
「えっ、あれ!? あ、あなたは……“転移者”の……え……あれ……ここは一体……」
辺りを見回して困惑するアンナ。無意識に氷の竜を作り上げてからずっと眠ったままだったので、ここがどこなのか、どういう状況なのかわかっていないのだ。
「大丈夫だよアンナちゃん。ワケわかんなくてパニくるだろうけど安心して」
「私……えっと、お兄様がひどく痛めつけられて……それから……何が……ここは一体……」
混乱するアンナを落ち着かせようと、ショーコは
「落ち着いて聞いてください。ここはドラゴンのお腹の中です」
「えっ」
・ ・ ・ ・ ・ ・
『ガアアアアアアッ!』
『――ッ!』
フェイ逹に襲いかかる氷の竜を、寸でのところで
巨体がぶつかり合う。激しい衝撃が周囲に響く。
『グオオオ……!』
しかし、やはり氷の竜の方がパワーに分があった。
冷たい身体で地の竜にのしかかり、足で踏みつける。
『ッッッ――!』
のしかかったまま、氷の竜は口から
『グッ……ガ……アア……! ……――』
至近距離で冷凍光線を喰らった地の竜は氷塊へと変わり果てる。
完全なる氷漬け状態となった地の竜を、氷の竜が踏みつけて粉々に砕き割った。
外敵を排除した氷の竜は、新たな標的に視線を移す。
「ち、チーフッ! ドラゴンがこっち睨んでますよ!」
「いい画角だ! ちゃんと抑えとけよ! さっきの女の子が丸飲みされたのもすごい衝撃映像だったからな!」
「そ、それどころじゃなさそうなんですけど……」
『ッ――!』
氷の竜がジョナ逹めがけ氷の足を踏み出す。
「ブリスさん、得物をください」
フェイの要請に頷き、ブリスが呪文を唱えた。
地の竜のなれの果て――石の残骸が宙に浮かび上がり、水流のように空中で舞ったかと思うと細長い形に固まり、石柱となった。
棒を扱う武術の如く、フェイは石柱を握りしめて構える。
「ハイヤッ!」
氷の竜の横っ面に痛烈な一撃が打ち込まれた。氷の頬に亀裂が入る。
接触したことで石柱が凍結し始めたものの、注意を逸らすことには成功した。
「……! 傷が再生しない。アンナが眠りから覚めたんだ」
先ほどまではアンナの魔力が暴走しているが故に、栓を開きっぱなしの水道のように無尽蔵に冷気を放っていたが、フェイが与えた傷が再生しないということは魔力の放出が止まったことを意味する。
しかし――
『~~~ッ!』
再び冷気が発せられ、せっかく与えたダメージが再生してゆく。
「なんだよ! 止まったと思ったらまた冷房運転しだしたぞ!」
「……おそらく氷の竜がアンナの魔力を
「わけわかんねーよ! だから魔法ってキライなんだよ!」
『ッ――――!』
咆哮を上げる氷の竜に対し、クリスが拳を構える。フェイは石柱を握りしめて構えた。
「ハイサッ!」
遠心力を乗せた石柱で横殴りに打ちつけるフェイ。
「ハイハイハイハイハイハイ!」
目にも止まらぬ速さで左右に振るい、連続して叩きつける。凍結が手元までどんどん
「チェイサー!」
渾身の一撃を打ち込むと同時に、凍り付いた石柱が粉々に砕け散った。
「どぅおりゃあ!」
そこへ続け様にクリスが左の拳をブチかます。
『~~~ッ!』
負けじと氷の竜が大きく息を吸い込む。この
「冷凍光線だ! 炎で押し返せ!」
「駄目だっ……もうあれを止めるだけの魔力は無い……!」
凍てつく波動が放たれた――その時。
「魔刃剣・
炎の刃が冷凍ビームを斬り裂いた。
マイが駆けつけたのだ。
それも、見たこともない“乗り物”に乗って。
「マイ! やっと来たかこの飲んだくれめ……って、なんだそりゃあ!?」
前後に二つの車輪を備えた鋼鉄製の乗り物――クリス逹には見慣れないモノだが、それはショーコの世界で言う“バイク”そのものだった。
「魔動車を一人乗り用に小型化した【魔動二輪車】というものだ。小回りが効くし、馬力もある。共和国が開発していたものを借り出してきた」
「なっ、なんだよソレ! カッコよすぎんだろ! ずりーぞてめコノヤロ!」
「マイさん、酔いは覚めましたか?」
「ああ、まだ頭痛はヒドイがな。“対魔法加工”の装備を整えたグスタフ逹も一緒だ」
大通りの彼方から魔法エンジンの爆音が近づいてきた。それも複数。
その音源の正体を目にしたクリスは唖然とした。
「な、なんじゃありゃあ……」
対魔法加工が施された革の服――さながらライダースジャケット――を着込み、対魔法加工の兜――さながらフルフェイスヘルメット――を被り、魔動二輪車――さながら大型バイク――に乗って、グスタフと部下達が馳せ参じたのだ。
「待たせたなぁ! この
その様はまさに、荒くれバイカー集団そのものだった。
・ ・ ・ ・ ・ ・
「どどどどどういうことですかぁ!? ど、ドラゴンのお腹の中って!?」
アンナはパニくっていた。大いにパニくっていた。
今、彼女に事実を伝えるのは得策ではない。自身の魔力が暴走して、魔法のドラゴンが暴れてるなんて知ればさらに取り乱すだろう。
「ご、ごめんごめん! いきなりヘンなこと言っちゃったね。ここは安全だから。危険なことなんてなーんにもないよ」
「……ほ、ほんとですか……?」
「ホントホント。だーれも近づけない難攻不落の城だよ。だから“外”のみんな苦労してるんだけどね」
「? 苦労してるとは……?」
「そ、その話はとりあえず置いといて! 早くここから出ようっ。実はお兄さんから連れ出してくれって頼まれて来たんだ。……いや、自発的にココに来たわけじゃないけど」
「……?」
「だーもうっ! 言わなくていいこと言っちゃうクセ直したい! とにもかくにも! ここから出るよアンナちゃん。早く行かないと――」
ショーコがアンナの手を引こうとする。
しかし、アンナはその手を取らず、引っ込めた。
「……い……イヤ……です……」
「へ?」
「……私、もうイヤなんです……傷つくのも、苦しむのも……もう辛い思いも悲しい思いもしたくありません……」
「で、でもさ、お兄さんが待ってるよ。妹を助けてくれって土下座されたし――」
「私がいなければお兄様が苦しむこともない……家を追い出された私を追って、お兄様は全てを捨てた……法を破り、人を傷つけ、人生を台無しにしてしまった……私なんかいないほうがいいんです」
ショーコはブリスが『複雑な事情がある』と言っていたことを思い出した。
「お兄様にそんなことをさせる自分が……そんなことをさせる世の中そのものが……イヤイヤで仕方ない……なにもかも……」
アンナは膝を抱え、顔を埋めた。
「世の中が変わるまで……“外”がマシな世界になるまで、私はここでジっとしてます。もう……お兄様が悲しむのを見たくないんです……」
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