第52話 どうしてこんなことするんだ

「――っ……!」


 突然の出来事に誰もが目を丸くした。

 刺されたハイゼルン自身も、事態を理解するのに時間を要した。


「これが我々の答えだ、評議員殿」


 炎の剣を引き抜くと、ブリスはハイゼルンを階下へ蹴り落とした。



 石畳に打ち付けられ、無残な姿となったハイゼルンにフェイが駆け寄る。

 首元に手を当てる。何も言わぬまま、フェイは悔しそうに首を横に振った。


 ショーコは思考が停止していた。人が絶命する瞬間を初めて目の当たりにしたのだ。

 だが、ここは異世界。たとえ死んでしまってもアイテムや魔法で復活できるハズだと思い直した。


「……ふ、フェイ! なんかアイテム使って! 不死鳥の羽とか生命の水とかで生き返らせられるんでしょ!?」


「……ショーコさん、亡くなった方を蘇らせることなどできません」


「えっ……」


「魔法だろうとなんだろうと、失われた命はもう戻ることはないのです」


「っ……」



「てんめぇぇぇえええええ!」


 グスタフが飛び掛かった。

 ブリスを殴りつけ、そのまま馬乗りになり胸ぐらを掴む。


「てめぇよくもっ! どうして……っ!」


「わからないのか……! 今ここで我々だけに救済措置を与えても根本的な解決ではない。貧困に喘ぐ者は大勢いる……ハイゼルンはとりあえず・・・・・この場を収めようとしただけだ。言っただろう、私は自分自身のためではなく貴様等が見向きもしなかった者達の為に行動している……この国を、社会そのものを変えなければ解決しない」


「ふざけんなっ!」


 グスタフの拳が見舞われる。一発、二発、三発と。何度も何度も。


「ニックは懸命にやってんだっ! 俺らみたいなロクデナシにチャンスを与えて! お前らみてぇなヤツにだって手を差し伸べた! なのにてめぇは! てめぇはっ!」


「っ……! ……ぐっ……が……!」


「自分達ばっか被害者面しやがってっ! 逆恨みで周りを傷つけてっ! ふざけんじゃねぇっ!」


 グスタフは殴り続けた。怒りに任せて殴り続けた。

 魔法使い達も党員達も、その凄惨な光景をただただ見ていることしか出来なかった。


 その時――



「やめて!」


 ――アンナが悲痛の叫びを上げた。


 グスタフが振り向くと、涙を流すアンナの周囲に真っ白い空気が見えた。そう、目に見えるほどの・・・・・・・・空気が。


「お願い……お兄様を苦しめないで……もう……私達を苦しめないでっ!」


 突然、アンナの周囲にただならぬ“冷気”が発生した。

 冷気は凝縮され、増幅し、巨大な氷の塊となって形を成していく。


 二十メートル級の氷塊から生えた四肢と尾、そして長い首。背には左右に備わった一対の翼。


 ――それは、魔法によって生み出された魔法獣……氷の竜フロストドラゴンだ。


「なっ!? ……なんだこ――」


 ドラゴンの分厚い尾――巨大な氷塊そのもの――がグスタフへ横殴りに叩きつけられる。


「――っが!」


 蹴り飛ばされたオモチャのようにグスタフは宙を飛び、隣の建物の屋上に打ち付けられ、二転三転と転がってゆく。


『ッ――――――~~~~~ッ!』


 咆吼を上げる氷の竜。人間の耳には高音すぎるあまり超音波のように聞こえる。

 その透明の胸部にアンナの姿が見えた。まるで眠っているように目を閉じている。


「……! アンナ! よせっ……! 落ち着くんだ!」


 血反吐を吐きながらブリスが呼びかけるも返事は無い。

 それどころかドラゴンの身体を構築する氷はますます厚くなり、彼女の姿は氷の奥深くへと消えていった。


 放たれる強力な冷気は周囲にも及ぶ。足元から波紋のように広がり、周囲がどんどん凍結し始めた。


「っ!? ……やべぇ!」

「離れろ! 距離を取れ! 凍っちまうぞ!」


 ハイゼルン派閥の党員達が押さえつけていた魔法使い達を立ち上がらせ、慌てて後退する。異常事態下には敵味方も関係ない。

 氷の竜の周囲約十メートルは一瞬にして凍土の世界と化した。



「くそっ、なんかわかんねーけどヤベーことになってんぞ」


 地上のクリス達は建物の屋上にいるドラゴンに対し、ただ見上げることしか出来なかった。


「ど……ドラゴン……」


 飛行艇で巨大なドラゴンと遭遇した時の恐怖がショーコの頭の中でフラッシュバックする。件のドラゴンほど巨大ではないが、それでも自身より遙かに巨大な生物。なによりドラゴンというシルエットが彼女の心にトラウマとして植え付けられていた。


「大丈夫ですショーコさん。あれは本物の竜ではありません。確かに十五年以上前に【ディアーフ・ドラゴン】という魔物がいました。ディアーフとはこの世界の古い言葉で“凍結”、ドラゴンは“竜”を意味する言葉です。ですが、あそこにいるのは別物。“マナ”が実体化しただけの存在です」


 フェイになだめられ、ショーコが大きく深呼吸し、長く息を吐く。ゆっくりと落ち着きを取り戻していく。


「……う、うん……大丈夫。ありがとフェイ。なんかよくわかんない単語色々出てきたけど今はもう気にしないや」


 元々ドラゴンという言葉はショーコの世界の言葉のハズだが、もしかしたら本来こちらの世界の……異世界の存在だった“ドラゴン”という言葉が何かの因果でショーコの世界に伝説として伝わったのかもしれない。



『――ッ!』


 氷の竜が地上へ飛び降りた。

 凄まじい地響きと共に氷の欠片がパラパラと散らばる。


「あぎえぇーーー! き、きたぁ~~~!」


 悲鳴を上げるショーコを庇うようにフェイとクリスが前に出る。


『――ッ……――』


 しかし、氷の竜は小さく唸りながら身体の向きを変える。

 いずこかの方角を睨んだかと思うと、突然その巨体を弾ませ、コモドドラゴンのような動きで駆け出した。

 

 ショーコ逹に目もくれずに氷の竜が向かったのは……共和国の心臓部、政府本庁だ。


 あんなデカイ氷のドラゴンが街の中を突っ走ってったら甚大な被害が出るのは火を見るより明らか。しかも共和国市民は『生き残りの魔族が近くにいるかもしれない』という不安と恐怖に怯えている。本物ではないにしろ、ドラゴンが現れたとあってはパニックになるのは明白だ。


「なんかダッシュってったぞ」


「まずいですね。平和な共和国が氷結帝国になってしまいますよ」


「なんで凍ったら共和制から帝国制に変わるんだよ」


冷徹になる・・・・・からです」


「おっ、うまいこと言うなフェイ」


「ちょちょちょ! なにアホ会話やってんの二人とも! 今はそんな場合じゃ――」



「“転移者”の少女!」


 血相を変えたブリスが屋上から飛び降りた。

 かと思うと、空中で彼の足下に魔法陣が浮かび上がり、足場となってゆっくり地上に降りてくる。


「っ……な、なに――」


 警戒するショーコに対し、ブリスが取った行動は予想外のものだった。

 ――両手両膝を地面に着き、額を地面にこすりつけたのだ。


「頼む! 妹を助けるのに力を貸してくれ!」


「…………へ?」


「恥は承知だ! こんな頭でよければいくらでも下げる! アンナは今、感情に呑まれて暴走している。あの子は膨大な“魔力”を秘めているが完全には制御できていないんだ。魔力が尽きるまで暴走し続ければ……アンナの命も尽きる……!」


「し、死んじゃうってこと……? で、でもドラゴンと戦うなんて……」


戦う・・のではなく止める・・・んだ。私と違ってアンナは“最初の転移者”に対し、年相応の女の子らしく憧れを抱いている。同じ“転移者”であるキミなら……あの子に声が届くかもしれない。頼む、手を貸してくれ……!」



「……ふざけんなよ」


 ――憤怒を込めた声の主はグスタフだった。

 ボロボロの身体を引きずりながらも、屋上の縁から身体を乗り出し、階下のブリスへ向けて怒りを露わにする。


「てめぇふざけんのもいい加減にしろよコラ……ニックを殺しておいてよくそんなことが言えるな! どういう神経してんだコラァ!」


 彼の怒りはもっともだ。事務所に火を放ち、誘い出して罠に嵌め、一方的に攻撃してきたのはブリス達だ。そして手を差し伸べたハイゼルを斬って捨てたのも……


「私ならどうなってもいい! 罰だろうとなんだろうと受ける! だがその前に……アンナを助けたい……この命に代えてでも……!」


「何ナメたこと抜かしてんだコラ! てめぇの都合なんざ――」



「わかりました。協力します」


 ――答えたのはフェイだった。


「なっ!?」


「あのドラゴンを放置しては無関係の人々にも被害が及びます。止めないわけにはいきません。ですよね、ショーコさん」


「ほぇぁ!? ……えぁ……う、うん……そ、それはそうだけど……」


 突然振られて驚くショーコ。フェイの言うことももっともな為、断るわけにもいかない。


「ご安心ください。ショーコさんはすんごい方です。氷の竜なんてチョチョイのチョイと仕留めちゃいますから」


「いや仕留めちゃダメだし期待値上げないで」


 得意げに胸を張るフェイを諭すショーコ。

 だが、グスタフは到底納得できるはずがない。


「てめぇ何抜かすんだショーコ! そいつは今の今までお前らを焼き殺そうとしたカス野郎だぞ! わかってんのか!」


 オラオラな物言いにビクついたショーコはクリスの後ろに隠れた。

 盾にされたクリスが小さく鼻息をつき、代わって口を開く。


「まーアンタの言うのももっともだけどよ、コイツショーコはアホだからよ、そーゆーの気にしねーんだわ」


「っ……だが――」


「それにハイゼルンのオッサンなら市民を守るのが仕事だっつって動くだろーぜ」


「!」


 『ハイゼルンなら市民を守る』……その言葉がグスタフの憤怒に燃える心を鎮めた。


「…………ああ、そうだ。ニックなら……そうする」


 頭に血が上り、自分のやるべきことを見失っていた。今、何よりも守るべきは市民の安全。そんなことすら気づかないとは……

 己を鑑みたグスタフは力が抜けたようにうな垂れた。



「では、一刻も早くドラゴンを追いかけましょう」


「っ……すまない……感謝する!」


「い、言っとくけどあたしゃ危ないことはしないからね! ドラゴンの中の人に呼びかけるだけだかんね!」


「はいはい。足止めはアタシらがやるからよ」


「うむ、任せろ……私の魔刃剣で……ウッ……うぷっ……うえー」


「わー! ヤバイ! 誰かゲロ袋! ゲロ袋持ってきてー!」

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