第2話 ここはだれ、私はどこ
――未船(ミフネ)ショーコ。
彼女は日本の埼玉県に住む平凡な少女だった。
特に波乱も万丈もない普通の日々を送る女子高生。成績は中の下。運動は人並み以下。恋も青春も未経験の十六歳だ。
代わり映えの無い毎日を無為に過ごし、華の十代を特に波乱も万丈もなくボンヤリと生きている、どこにでもいる普通のティーンエイジャー。
そんな彼女がいつもの如く、授業の六割を睡眠時間へと還元しつつ一日の修学を終え、友人達と箸にも棒にもかからない無駄話をしながら帰路に就いたのだが……
友人に別れを告げ、自宅の玄関を開いた瞬間、意識が途絶えた。
そして、次に気がついた時には……木々が鬱蒼と生い茂る森の中に立っていたのだ。
そう……彼女は――ショーコは異世界に転移しちゃったのだ。
・ ・ ・ ・ ・ ・
「アゼン……」
ショーコは宮殿の豪華な客室にいた。
壁には煌びやかな装飾が施され、誰なのかわからない大きな肖像画がかけられている。部屋の中央には天蓋付きのベッド、床には中東かどこかで作られたような手触り抜群の絨毯敷きと、絵に描いたようなゴージャスルームだ。
デッカい狼を撃退してくれた三人の鎧騎士が、ショーコのことをさんざ持て囃し、さんざワッショイワッショイした後、「我々の御城へご案内いたします!」と連れて来られたのがこの宮殿だった。
二人組のチンピラ強盗に追われていたら、狼の巨大モンスターに襲われ、鎧を着込んだ騎士達に助けられ、今は中世ヨーロッパっぽい(あくまでイメージ)建物の中に居る。
いかにも異世界転移モノっぽい(あくまでイメージ)展開の早さと世界観。
今までの人生にはなかった波乱万丈なイベントが連続で巻き起こり、ショーコの脳は処理が追いついていなかった。
「落ち着けショーコ。冷静になれ。これは夢だ。私は今レム睡眠の真っ最中。こういう時はホッペをつねって――」
ベタだがちゃんと痛い。夢ではなかった。
「……いや、これあの~……あれ。バーチャルリアリティってやつ。時代の最先端。映画でもあったやつ。こうやってこめかみの辺りを触ればゴーグルがあって、それ外せば現実世界に――」
もちろんゴーグルなんぞ無い。間違い無く、今この時こそリアルだ。
「夢じゃない……バーチャルでもない……これってホントに……ホントのホント……?」
繰り返しになるが、ショーコは普通の女子高生だ。
いつか白馬の王子様が現れてロマンチックな恋が始まる……なんてことはあり得ないと、子供の頃の幻想を心の奥にしまい込んだ、理想と現実のシーソーに揺れる女子高生。
幼い頃にはお姫様に憧れることもあった。魔法使いにも夢を馳せた。世界を救う選ばれし者なんかもいいなぁって空想した。
しかし成長するにつれ、フィクションと現実の違いを理解していった。
自分はお姫様なんかにはなれない、魔法使いにはなれない、アニメの主人公にはなれないと。
――未舟ショーコはなんの宿命も背負っていないただの普通の女の子――
十代のある日、彼女はそれを受け入れた。
空想を割り切り、現実に生きることを選んだ。
いつまでも子供じゃいられない。ショーコは十六歳。これから大人になろうという大事な時期だ。
彼女は現実を生きなければならない。
だからこそ……現実と空想はキチンと区別しないとダメなのだ。
だからこそ……こんなこと受け入れるわけにはいかないのだ!
「いやいやいや、異世界転移なんてあり得ないから。絶対そんなワケない。たぶんアレだ。あのー、アレ。ファンタジーがテーマの新しいテーマパークに迷い込んじゃったんだ。うん、冷静に考えたら異世界転移なんてあるハズないから。ハイハイ、お疲れ様でした」
人は信じられない出来事に直面すると、なにかと納得できる理由をこじつけたがるものなのだ。
「こんな絵に描いたような剣と魔法のファンタジー世界なんてあるもんかっての。それに私は異世界転移系の映画よりタイムトラベル系の映画の方が好きだもん。あっ、もしかしてこれ異世界じゃなくて過去にタイムスリップしちゃったとか? えっ、待ってそっちの方がヤバいんじゃない? ヘタしたら未来で私が生まれなくなるとか? ウソ、どうしよう! 早く未来に帰らないと! えっと、どうすればいいんだっけ……! そうだ車に雷落とすんだ! あ! 車がねえ! 免許もねえ! 天気もいうほど曇ってねえ!」
混乱するあまりか、あるいは生来のものなのか、アホなことを喚き散らすショーコ。
彼女が頭を抱えて部屋の中を右往左往していると、コンコンと扉を二度叩く音がした。
「失礼いたします」
扉を開けたのは、整った顔立ちと、肩にかからない程度の長さの銀髪が特徴的な女性。
いかにも異世界モノに出てくるような端正な顔立ちだが、何故か服装はビジネスマンが着ているようなスーツだった。
それも、女性モノではなく男性モノ――メンズスーツだ。
濃紺のジャケットの中に白いシャツを着込み、ジャケットと同色のネクタイがピシっと締められ、加えて革靴を履いている。
スーツ姿の銀髪女性はショーコに問いかけた。
「お身体の具合はいかがですか? どこか具合の悪い箇所などありませんでしょうか?」
「あ、いえ、あっ、はい。大丈夫です」
ショーコは若干困惑しながらも「この人はいい人そうだ」と思った。特に根拠は無いが、彼女の嗅覚がなんとな~くお人好しで優しそうな雰囲気を感じ取ったのだ。
「それは何よりです。あなた様ほどの方の身を案じる必要などないとは思いますが、差し出がましいことをお許しください」
なんかめっちゃかしこまってる。まるで国賓VIP扱い。
ショーコには自分がここまで丁重に扱われる理由がわからなかった。
「あの……ちょっと状況が飲み込めないんスけど、お姉さんここのホテルマンかなにか?」
「これは失礼しました」
銀髪の女性は黒い革靴の踵をカツンと合わせて姿勢を正した。
「私、ルカリウス公国外交官を務めさせていただいております、フェンゼルシア・ポート・ユアンテンセンと申します」
綺麗な銀髪をなびかせながら、フェンゼルシアは頭を下げた。
「あっ、えっと、未舟ショーコと申します。以後御見知りおきを」
慌ててショーコも頭を下げる。
顔を上げた両者が顔を見合わせた。
フェンゼルシアがニコッと笑う。対するショーコはどうすればいいのかわからず、とりあえずヘラっと笑ってみせた。
「……えと……あの、フェンゼルシアさん、色々と聞きたいことが山ほどあるんスが」
「私のことはどうぞフェイとお呼びください、ショーコ様」
「えっ、へっ、ショーコ様、だなんて……ぐえへへ、なんだか照れちゃいますなあ」
これまでの人生で様付けで名を呼ばれたことなどなかったショーコはフニャフニャに顔を歪めながれ悶える。多分メイド喫茶とか行ったらドハマりするタイプだ。
「――じゃなくて! あの、フェイさん――じゃじゃなくて……フェイ、つかぬことをお訊きしますが」
「なんなりと」
訊くのが怖かった。真実を知るのが怖かった。
だが、訊かないわけにはいかない。
ショーコは恐る恐るフェイに尋ねた。
「もしかしてだけど……ここって……異世界……だったりする?」
「はい」
「やっぱり~~~!」
ショーコは頭を抱えて膝から崩れ落ちた。
答えはわかりきっていたが心のどこかで希望にすがっていた。そんな淡い心も見事に打ちのめされた。
ここは紛れもなく、剣と魔法のファンタジーな異世界――
「だが待って欲しい。世の中にはこーゆーキレイでファンタジックなお国があるってテレビで見たような気がする」
――いや、彼女は諦めなかった。
ここは異世界なんかじゃない。そんなことがあってたまるか。
ただここが日本じゃないってだけの話で、ひょんなことからヨーロッパ辺りにワープしちゃったんだろうさ。いや、それはそれでとんでもない話ではあるが、異世界転移よりかは遥かにマシだろう。
ショーコは頭の中で自分に都合のいいシナリオを書き上げ、それが間違っていないと証明しようとフェイに尋ねる。
「……ち、ちなみに……ここはなんていう土地なんですかね? あ、案外知ってる場所だったりして……」
「東ハウリド大陸の〈ルカリウス公国〉です」
「聞いたことねええぇ~~~~~~!」
再び崩れるようにうなだれるショーコ。
もはや疑いようがなかった。ここは自分が住んでいた世界とは異なる世界……ショーコはファンタジー異世界に――
「いやいや待て待て。私が知らないだけで世の中にはそういう名前の国があるのかもしれない。大陸もー……あれだ、なんか別名みたいなんでそういう呼ばれ方してるとこあるのかも。ほら、日本のことジパングとか言うし」
――なんということだ。彼女はまだ……諦めてはいない。
何度打ちのめされようと、「ここは異世界なんかじゃない」という淡い希望を捨てたりしないのだ。
ゴクリと喉を鳴らし、ショーコは意を決して核心を突く問いを投げかけた。
「……フェイ……ここって……地球……っていう世界だよね?」
「違います」
「やっぱりいぃぃいいーーーーーー!」
食い気味に否定されたショーコは三度うなだれた。
「この世界のことを古い言葉で【ガイエ】と呼ばれることはありまふが、チキュウなどという呼称はありません」
ショーコが暮らす地球の呼び名に“ガイア”というものがあるが、一文字違いということは何か関係があるのだろうか……いや、今はぶっちゃけそんなことを気にしている余裕はない。
否が応にもショーコは分かってしまった。
はじめから薄々わかっていたことではあるが、もはや認めざるを得なかった。
“ここ”が“どこ”なのかを。
「ということは……」
「はい」
「やっぱり私って……」
「はい」
「…………異世界転移……しちゃった感じ……?」
「ですね」
ショーコは天を仰いだ。
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