Track 3. 一等星

 答えを決めかねている類人に、百合子ゆりこはスリットが入った魅惑的な脚を組み替えて、はっきりとこう言った。


「歌が歌いたければ歌手を目指すべきだし、踊りが好きならダンサーだっていい。J-POPにこだわる必要がないなら海外に渡るのも一つの手よ。それなのにあなたたちがなりたいって口を揃えて言うアイドルって、いったいなぁに?」




 ――アイドル。神像、偶像、崇拝の対象、実体のない虚像。




 誰かの一等星になりたかった。  

 地上から肉眼で見えるシリウスのように、不安を抱えた人が見上げた夜空を照らす恒星に。




 きっかけは何だっただろう。


 国語の授業で音読が苦手だったことか。

 給食を食べるのがクラスで一番遅かったことか。

 それとも実家が花屋だったことを「おとこのくせに」と同級生から揶揄からかわれたことか。


 何だかよく覚えていないが、そこまで重要な理由ではなかった気がする。

 苛めというほど陰湿な害はなかったが、クラスメートから徐々に無視されるようになった類人るいとの幼く柔らかい自己肯定力は、跡形もなくむしばまれた。


 心を許せる友人ができず、孤独を甘んじる日々を無為に過ごしていた少年は、家でテレビを見る時間が多かった。

 流行りのアニメも見飽きてしまったし、夕方のニュースは小学生にはつまらない。

 壮年のニュースキャスターが時事を読み上げて、若く溌溂とした女性アナウンサーにカメラが切り替わったあたりでチャンネルを変えようとリモコンに手を伸ばしたその時、運命的な出会いは突然訪れた。




『あなたの一番星になりたいんです』




 人気アニメの主人公や、ヒーロー戦隊のレッドのような輝きを放つ男が真っ直ぐ手を伸ばす。スワロフスキーが散りばめられた豪華な衣装を纏いながら、その壮麗な輝きに見合わないほどの汗を流して。


 それは、当時のORIONオリオンの誇る国民的アイドルグループがステージ挨拶をしている映像だった。


 正面のカメラに向かって涙ぐみながら真摯に発せられた言葉は、まるで画面を通して自分に語り掛けてくれているように感じた。

 意思を持って力が込められた指先がピンとこちらを差して、再び『あなた』と問いかける。

 類人はリモコンを持ったまま動けなくなった。


 ──初めて、誰かに見つけて貰えた。


 気のせいかもしれない。自意識過剰なだけの恥ずかしい奴かもしれない。

 だけど、画面の向こう側にいる彼は本気で指を差している。『あなた』だと。『あなたの一番星になりたい』と。

 そんな風に類人へ語りかけてくれる人は、今まで誰もいなかった。


 リモコンを持つ手に力がこもる。胸が苦しい。こんなにも心を揺さぶられたのは初めてだ。

 時を忘れて呆然と立ち尽くす。どれくらいそうしていたのだろう。いつの間にかエンタメニュースは地方のグルメ紹介に切り替わっていた。


 花屋を閉めて二階の自宅に上がってきた母親が、リモコンを握り締め直立不動で涙と鼻水をボタボタと零す息子を見てギョッとした。流しっぱなしのテレビでは漁師メシを頬張る芸人がおもしろ食レポをしている。何が起きているのか、状況が全くわからない。

 そして普段から大人しく滅多に我儘を言わない息子が「お母さん、CDがほしい」と唐突に言い出したので、母親は二つ返事で即日CDショップへ連れて行ったのだった。



 その日から、類人の人生は一変した。



 まず、人目を気にして伸ばしていた前髪を切った。目にかかるほどの前髪が邪魔で大好きな彼の姿がよく見えなかったからだ。


 たくさん食べる子が好きだと語るのを雑誌で見てからは、それまで残し気味だったご飯をお代わりするようになった。


 新しくリリースされたCDの話をしていた同じクラスの女子に勇気を出して「僕も買ったよ」と話しかけたら、それまでの苦労が嘘のようにあっという間に話の輪に入ることができた。



 誰かの食べカスのようにみすぼらしいものになっていた類人の自己肯定感が、憧れのアイドルを追うごとに息を吹き返していく。


 周囲と人間関係が芽生え、新しい物事に興味を持つようになり、自分が生きていると実感する。


 あの日偶然見つけた星を道標に歩き始めた類人は、初めて世界に色が着いて見えたのだ。そしていつの日かこう思い始める。




 ――自分も、寂しい思いをしている誰かを導く星になりたい。夜空を見上げたら必ずそこにあるシリウスのように、光り輝く一等星になりたい。





「……一つ聞いてもいいかな」


 社長室のデスクチェアに座る百合子の傍に立っていたルナールへ、類人が問いかけた。

 心配そうに見つめる多嘉司たかしに「大丈夫」と目線だけで返し、美貌の新人を見据える。彼は少し声を弾ませて「何です?」と嬉しそうに聞き返した。


「君ならソロでも十分にやっていける。なのに俺と組むメリットは何?」


 デスクの上に広げられたタレントリストを見るに、百合子もルナールに見合う最高の人材をピックアップしていたはずだ。マネジメントにおいて彼女の右に出る者はいない。


 それがルナールの我儘とも言える鶴の一声で類人が選ばれた。引き立て役が欲しいだけなら誰だっていいはずなのに。だから、ちゃんとした理由が知りたい。


 類人の直球な問いに、作り物めいたマリンブルーの瞳が大きく見開かれる。

 一拍おいて、ルナールはアメリカ仕込みのオーバーリアクションで手を叩いて笑った。


「あっはっはっ! メリット!? そんなの考えてもみなかった!」


 天真爛漫なその反応に、様子を見守っていた多嘉司の方が焦れてしまった。

 パリッとしたスーツの肩を震わせて、陽気なルナールを鋭く睨みつける。


「じゃあどうして類人なんだ! 彼は今まさにタレント人生の岐路に立たされてるんだ、気まぐれに振り回すような真似はやめてくれ!」

「多嘉司、落ち着きなさい」

「百合子社長まで何なんですか……! 努力を上回る才能が存在することは認めます! それでも真面目に貫いた努力を裏切るようなことをしたくありません! 類人だけじゃない、デビュー前の子たちは俺たちを信じてかけがえのない時間を預けてくれてるんですよ!? それをこのルーキーためにないがろにするって言うんですか!?」


 唾が飛びそうなほどの剣幕に、百合子は眉間を指で押さえて溜息を溢した。

 彼の言っていることは何一つ間違っていない。だがルナールも自分たちが大切に育てるべきアイドルの卵だということを忘れている。


「だから落ち着きなさいってば。あなたはタレント時代から猪突猛進すぎるのよ。少しはこの子の話も聞いてあげてちょうだい」


 百合子にたしなめられ、多嘉司はぐっと唇を嚙み締める。

 先代の社長が在籍していた頃、今の多嘉司のようにデビュー前のタレントの面倒を見ていたのが百合子だ。長い下積み時代に数え切れないほど世話になった彼女の後ろ姿を追ってマネージャーへ転身したと言うのに、こんな仕打ちはあんまりだと項垂うなだれる。


 するとルナールはおもむろに「よかった」と口にした。

 予想外の言葉を聞いて多嘉司は怪訝そうに顔を上げる。視線の先にはカメラマンのシャッターが止まらなくなるくらい神々しい微笑みが浮かんでいた。


「類人さんのそばにあなたみたいな人がいて、よかった」

「どういう意味だ?」

「そのままの意味。だって類人さんがこれだけ長いあいだ頑張ってこれたのはファンの力だけじゃないと思うし。あなたがそばで支えてくれたおかげで僕は今も最高の推し活ができてる。本当にありがとう」


 ルナールはジーンズのポケットからスマホを取り出し、画像フォルダの画面を二人に見せた。

 そこにずらりと並んでいたのは、類人のSNSのスクショや限定配信の待ち受け画像。それに年に1回発売されるファングッズとのツーショット、山積みになったアイドル誌等々。


 類人一色で染め上げられた謎に圧のある画面は何度スワイプしても延々と続いている。戦々恐々としていた二人は一気に目を丸くした。


「類人さんは、僕の一番星なんだ」


 ルナールは嫌味なほど美しく笑い、そして幸せそうに目を細める。


 百合子が発掘した時価3000億円の原石の最推しは、どういうルートを辿れば行き着くのかとことん謎を極めたが、入所十一年目、特筆すべき活躍もなければスキャンダルも特になし。歌も容姿も平凡で突出した個性が見当たらない無個性の極み。アイドルとしては致命的だが努力の量だけは誰にも負けない四ノ宮類人二十一歳なのであった。

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