第3話




 徳子が魔王城の賓客として迎えられ、はや一週間が過ぎました。

 それはそれは、日本での喧噪けんそうが嘘のように穏やかな毎日でした。


 黒騎士たちが馬上の槍試合をする訓練場を見学しました。人魚が住むという三日月湾へ海水浴に行きました。魔女たちの森でキノコ狩りも堪能たんのうしました。


 御召し物もくたびれたスーツから、ヒマワリをあしらったドレスへと変わりました。歩く際にスカートのすそを持ち上げなければならないのが少々難儀でした。

 見るもの全てが珍しく、ひたすらに面白いので、毎日のように旦那へ毒を吐いていた嫌な徳子はどこかへ消えてしまったかのようでした。

 滅私奉公、生涯社畜、良妻賢母(徳子は未だ育児の苦労を知りませんが)そんな心構えを絶対倫理と刷り込まれる地域社会から解放され、ノンビリと時が流れていく豊かな異世界休暇は、荒みきった徳子の魂すらも浄化してくれました。これぞまさに命の洗濯でした。


 ただ、それでも胸中にある種の不安は残されていました。

 この世界で旦那は元気にやっているのだろうか?

 魔王城で、人間の自分がいつまでもくつろいでいて良いのだろうか?



「まったく心配症ですねぇ、トクコ殿は」

「そうかしらねぇ、SMちゃん。お世話になっておきながらこんなこと言うのは何だけど、魔王というからには魔物を統べ、やっぱり人間たちと争っているのでしょう?」



 今日の徳子は、魔王城のテラスでお茶会の真っ最中でした。

 メイド姿のシャドウ・マスターがれてくれた紅茶カップを受け取りながら、徳子は付き人に疑念をぶつけずにはいられませんでした。SMは口元を押さえて上品に笑いながら賓客ゲストの質問に応じました。



「そりゃあね、幻想界ファンタズムは皆の夢を叶える所ですから。男たちはいつも闘争や冒険を求めるものなんですよ。魔王様はいわば『必要悪』なんです」

「物騒な話ね」

「人間どもだって勇者を差し向けて陛下の首をとろうと目論んでいるんだから、お互い様ですよ。どっちもどっちですね。死者を蘇生する魔法があるせいで、争いはいつまでも終わらないし。いっそどちらかが完全に勝利してファンタズムが統一されたら、世の中も平和になるんでしょうけれどね」

「この一週間で親切な魔物がいることは理解したつもりだけど。それでも人間の私がここに居るのは少しおかしい気がするのよね」


「おやおや、トクコ殿は我がまだ信用ならないと申すのか? 哀しい事よのぉ」



 突然テラスに出てきたのは魔王デミルゴ本人です。

 気まずさに徳子がオロオロしていると、子どもを諭すように魔王は優しい口調でこう続けたではありませんか。



「だが気に病むことはない。女神イシュタムのする事には必ず意味があるのだから。その時がくれば、女神の意図はおのずと知れるだろう」

「そういうものでしょうか」

「そうだとも。それまでは今の生活を存分に満喫すれば良いのだ」

「満喫と言っても……」



 どこまでが許されて、どこからがアウトなのか。

 徳子自身の中でそこの線引きが曖昧なままであったのです。

 魔王本人は徳子を(四十九人目の)妻に迎えることまで考えている様子ですが。

 浮気をして旦那に復讐したいのかと訊かれたら、徳子には良く判りません。


 少なくとも魔王が美男子なのは確かだし、ロマンスを楽しみたい気持ちがないと言えば嘘になるのでしょうけれど。


 ―― 吉光の奴。ナンチャラさんを好きだとかぬかしていたけど、あの奥手オタクが若い子とズコバコやってるシーンなんて想像できないのよねぇ。せいぜい「お友達」って関係だと思うんだ。


 それなのにサレ妻だけが危険な恋アバンチュールを楽しむというのも公平ではないように感じていたのです。徳子が心の底から現状を満喫できないのは、そのような揺れ動く心持ちが原因だったのです。


 全てを傷つける覚悟はまだ出来ていない。だが、もう一度青春を楽しみたい。


 ―― なんかこう、魔王さんの方から私じゃ断れないレベルの猛アタックをかけてくれないかしら。そうしたらアタシ、暴走しちゃうかもしれなくてよ?


 段々と「オッパイが大きいから好き」と同レベルの思考に染まってきたような気もしなくはないのですが。

 異世界のバカンスは、かくも恋心が浮つくものなのです。


 そんな徳子の女心を知ってか、知らずか、魔王デミルゴは言葉を濁して長考中の彼女を今日もお出かけに誘うのでした。



「時間を持て余しているようなら、城の庭園を案内しようか。実はトクコ殿に見てもらいたい物があるのだ」

「あら~、なんでしょう。とっても楽しみですわ。ウフフ」

「まったく凄い変わり身、SMも顔負けです。本当に賢明ですこと、トクコ殿は」



 魔王城の庭園と聞けば、どこかおどろおどろしい雰囲気がありますが……バラで覆われた門を潜った先は色とりどりの花が咲き誇る楽園だったのです。


 沢山の果実をぶら下げたブドウ棚があります。

 オレンジや桃を実らせた果樹園も見えます。

 トウモロコシや小麦の穂が揺れる畑も牧歌的で心が洗われるようです。


 もともとこの辺りの土地は強い魔力を含んでおり、そこで育てた作物は旬の季節とは無関係に一年中実をつけるのだとか。


 そんな中で魔王が徳子に見せたい物とはいったい何なのでしょう?

 答えは中庭の片隅で静かにたたずんでいたのです。


 節くれだったみきは細いがたけは高く、天を掴まんばかりに広がる枝葉には何とも日本人に馴染み深い橙色の果実がなっていました。

 異世界ファンタジーは主に中世ヨーロッパの文明を基調とするのが常ですが、その樹木は明らかに西洋の世界観から逸脱した存在でした。

 徳子は口に手を当て、驚きの声を上げました。



「えぇ? これってまさか、柿の木ですか?」

「その通り。私はこれまで六名の異世界びとを魔王城に迎えたが、その中に一人だけ故郷に帰ることを望んだ女性がいたのだよ。彼女の名はモモカ。この柿の木は、そのモモカが持ち込んだ種から芽吹いたものだ」

「へぇ、思い出の柿の木なんですね。でも、どうしてそれを私に?」

「トクコも日本人だと聞いてな。まず思い出したのがこの柿の木だった」



 魔王が目配せでうながすと、シャドウ・マスターは手近な茂みへと飛びこみました。そこから出てきた時、メイドだったSMは小猿に姿を変えていました。

 猿となったSMなら柿の木に登るのも容易いことでした。

 スルスルと幹を登り梢から柿の実をもぎ取ってくると、地上に飛び降りてそれを徳子へと差し出すのでした。



「味をみてくれ。一口だけでいい」

「はぁ? ではせっかくなので……うっ!」



 思わず手にした柿を取り落すほどの苦味。

 とてもじゃないが、食えたものではありませんでした。

 SMの小猿も一口かじると吐き出していました。

 それを見た魔王は寂しそうに微笑むのでした。



「渋いだろう? この柿はモモカの願いで育てられたのだが……どうしてそうしたのか、その真意を彼女は語らず仕舞いだった。なぜ、食べられもしない果実を魔王城に残したのか。それがずっと気になっていたのだよ。同じ日本人なら、もしやこの木に秘められた想いを読み解けるのではないかと思ってな」

「やっぱり嫌がらせなんスかね~、キッキー! 親善しんぜんにしちゃ、この味はあまりにも渋すぎるッキ!」



 渋柿と言えばやはりアレでしょう。

 徳子には思い当たる節があったのです。



「いえ、多分そうじゃないと思います。ただ、ちょっと時間が足りなかっただけで」

「時間が足りなかった……だと?」

「ええ、柿の木は実がなるまで八年かかると言いますから。実がなったのは、モモカさんが日本に帰った後、そうですよね?」

「そういえば、そうだったな。だが、しかし、彼女はこんな果物でいったい何をするつもりだったのだろう?」

「気になりますか? えっへっへ、もしかすると陛下が長年探し求めた答えを教えて差しあげられるかもしれませんね。この徳子なら!」

「ほほう、是非とも ご教授願いたいものだな」



 同じ日本人として使命感にかられたのでしょう。

 徳子は俄然がぜん張り切ると魔王に敬礼したのです。



「ははっ! この徳子にお任せあれ!」



 それの「やり方」なら、昔、田舎の祖母から教わったことがありました。

 まずは小猿のSMに手伝ってもらい、沢山のシブ柿を収穫する所からです。

 SMが枝からもぎ取り、下で待機する徳子がスカートを広げ落ちてくる柿を受け止める。そんなやり方で背負い籠はたちまち満タンです。


 カキの収穫が終われば続いて台所で皮むきです。

 便利なSMはメイド姿に戻って手伝ってくれます。

 ヘタの部分は残して皮だけを剥き終えたら次は消毒。


 鍋に湯を沸かして、グツグツ煮立つ中へ十秒ほど漬け込むのです。

 これで「カビが生えにくい」柿の出来上がり。


 あとはそれをヒモで結わえて、日当たり風通し、ともに良好の所へ吊るしておくだけです。その際は柿の果肉同士がくっつかないよう気を付けて。

 魔王城でそれをやるには二階のバルコニーが最適のようです。気候が高温多湿の日本とは違うので難しいかもしれません。ですが、基本のやり方はコレで合っているはずなのです。


 作業を手伝いながらもメイドSMはいぶかしげです。



「そりゃあ、魚介類はファンタズムでも干したりしますよ、保存用に。でも、こんなに渋い果物を干してどうするキッキー? 食べられないでしょう?」

「ふふーん、違うんだな、それが。あと、猿語が抜けきってないわよ。猿メイドって需要あるのかしら」



 そのまま三週間ほど干しておけば完成です。だいたい一週間おきに固さを確かめ、水分が残っているようなら指で絞ってやるのを忘れずに。


 そして、とうとう謁見えっけんの間で待つ魔王にそれを献上する日がやってきたのでした。



「完成しました! 陛下、これが日本の伝統文化『干し柿』ですよ」

「おやおや、みずみずしかった果物がミイラのような姿となったな」

「悪いのはミテクレだけです。どうか食味を」

「ふむ、毒見は……いらんな、信じているぞ。トクコ殿」



 恐々と齧ってみた途端、魔王デミルゴは両目を見開いて驚愕しました。

 食えたものではなかった果実から、渋さが消えていました。

 ゼラチン状となった干し柿はねっとりと舌に絡みつき、砂糖とは全く異なる絶妙な甘さを食べた者にもたらすのでした。



「おぉ! これは美味い! あれほどの渋みが綺麗に消え去っている」

「お口に合ったようで、幸いですわ」

「しかし、なぜだ? ただ干しただけなのだろう? なぜ甘くなる」

「えーと、私も専門家ではないので。祖母の受け売りになりますが……なんでも渋柿というものは、もとから甘いのだそうです」

「何を言う? あんなにも渋かったではないのか」

「渋み成分が甘味を上回っていたからそう感じただけで。その甘味こそ渋柿が持つ本来の味なんですよ」

「なんと、真価を隠していたと言うのか」

「柿の果汁に含まれる渋み成分、タンニンというものですが。このタンニンは舌の上で溶けた時に苦味を感じさせる成分なのです。ところが干して固くなることによって、このタンニンも固形化し、口に入れても溶けださなくなるんですね」

「それで、本来の甘味を味わえるようになったというわけか。あれ程に苦み走ったものを食べられるようにするとは、考えた奴は天才だな」

「祖母はよく言っていました『干し柿も人間も同じだよ』って」

「ほう、その心は?」

「手間をかけて加工すれば美味しくなるのだから、苦味があるからといって見切りをつけたりせず、根気強く付き合うことが大切なんだよ……と。むしろ、貴方が隠された美味しさを引き出してやりなさい……そう教えてくれました」

「……人間とは、そういうものか。モモカも私にそう言いたかったのかもしれんな」


 魔王は玉座に座ったまま腕を組んで何やら考え込んでいました。



「トクコ殿」

「はい、なんでしょう?」

「今宵の晩餐会に魔王軍の幹部が集まるのだ。その席でこの干し柿を皆に振舞い、今の話を聞かせてやってはくれないだろうか?」

「か、構いませんが。でもどうして?」

「魔王軍には人間を毛嫌いし、滅ぼすべきだと主張する者も多くてなぁ。そんな連中は我さきにと勇者へ挑み、返り討ちにされるのがせいぜいだが。彼等を前もって説得できるのであればそれに越したことはない」

「陛下は人間と和睦わぼくする おつもりなのですか?」

「正直、迷っていた。だが、トクコ殿の話で心が決まったよ。私にそれを決める勇気さえあれば、戦争を嫌うモモカも日本へ帰らずに済んだだろうに」

「そうですね、きっと、モモカさんもそれを望んでいると思います」


「人間の文化は素晴らしいな、それを教えてくれたのは……トクコ殿、ソナタだ」

「お役に立てて光栄ですわ」


 ―― やったよ、お祖母ちゃん、モモカさん。お祖母ちゃんの教えてくれた技術と、モモカさんの残した柿の木が、ファンタズムの戦争を終わらせてくれるかもしれないよ!


 徳子が心の中でガッツポーズを決めていると、魔王デミルゴは更に思いもよらぬことを口にしました。



「そして、トクコ殿。ソナタはやはり我が妻に相応しい女性である」

「へぇ? 今なんと?」

「ソナタを四十九番目の妻として迎えたい。わが愛を受け入れてはくれないか」



 徳子は頭の中が真っ白になりました。


 それは幸せ? 

 あるいは戸惑い? 

 未だ心定まらぬ徳子には、自分の気持ちすらも判らない有様でした。



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