第2話
「さぁさぁ、歓迎パーティーの準備が整っています。どうぞこちらへ」
執事に案内されてやってきたのは豪勢な
込み上げる食欲を断ち切り、料理の飾り棚からちょっと天井に視線をやれば、そこにはアーチ型の天井と左右へ揺れるシャンデリアがありました。そこから更に下方へと目を移せば、壁際には曰くありげな壺が大理石の台座に飾られているのでした。
まさに万人がイメージするファンタジーの王宮。
そして、その夜会に集まった面子ときたら凄いものでした。
竪琴を持った
ライオンの頭部を持つ獣人。
半身が植物で、頭からリンゴの枝を生やした樹木の精霊。
額から角を伸ばし、青い肌を持つ異形の人々。
まるで仮装パーティーのような有様ではありませんか。
そして、中でも目立つのが中世ヨーロッパの貴族服と黒マントで着飾った長身の男性です。金糸入りのカフスや宝石で彩られた極上の上着もさることながら、雪のように白くてキメの細かい肌、ルビーのように真っ赤で切れ長の目、そして肩にかかる銀色の長髪ときたら! 獅子のたてがみを連想させるクセッ毛で、たくましさと高潔さを兼ね備えているではありませんか。
男性でありながら一目見たら心を奪われる魔性の美しさです。
額から生えた
野性味あふれる視線に射抜かれた瞬間、徳子は余りの綺麗さに身震いしてしまったのです。
その青年は優しげに微笑むと、穏やかだが深みのある声で言いました。
「アナタが女神の言う客人か。何も恐れることはないのだよ。見ての通り我々は魔物とそれを統べる存在ではあるが……粗野な人間どもよりは礼儀作法を心得ているつもりだ。君が滞在する間の安全は、この魔王デミルゴが保証しよう。そちらの言語にならうなら、バカンスにでも来たつもりで存分に楽しむと良い」
「あ、はい、どうも……何だか場違いすぎて。服装だって、シワクチャなスーツだし。恥ずかしいですね、私ったらまったく。この会場にはドレスコードとか……ありますよね、そりゃ。私はここに居て良いんでしょうか? 本当に?」
「
「そ、そうなんですか。ちなみにその客人たちはどうしたんですか?」
「四十八人いる私の妻となった者も居れば、自らの意志で日本に帰った者もいる。全ては貴方次第というわけだ。ここは皆が夢を叶える世界なのだからな」
「よ、四十? ええと……どうも頭が混乱して」
「よろしい、混乱を解きほぐす為にも順序よくいこう。まず、君の名前は?」
「胡蝶徳子と申します。ちなみに今年でめでたく三十二歳になりました」
自嘲気味に笑うも魔王デミルゴの反応はまったく予想外なものでした。
「トクコか! 良き名だ。名は体を表すというが、響きも見た目通りに美しいな」
「えぇ……そんな事ないと……思いますケド」
これがファンタジー特有の「息をするだけで褒められる」という奴でしょうか。
徳子はむずがゆさに赤面してしまったのです。ここまで全肯定されると、何だか子ども扱いされたようで逆に居心地が悪い感じです。
「よして下さい、私なんか。徳子のトクはお得のトクだって、旦那にはよくからかわれるんです。お前なんか売れ残りのミセス・バーゲンセールだって」
「フッ、男性は照れ隠しに憎まれ口を叩くもの。あまり女性の自己肯定が高まると、他の男に目移りしてしまうかもしれないからネ。その気持ちは良く分かる。この魔王も、出来ることなら貴方を宝石箱にでも隠して独り占めしたいものだ」
―― そうかなぁ? もしかすると そうかも? 私だってまだまだイケたりする? お肌の曲がり角を越えてはいるけど、何といっても子どもがマダだもんね。そう、そうなのよ。女は幾つになっても可愛くて美しい生き物なんだわ!
皆様にチョロい女だと思われてしまうかもしれませんが。
徳子は背筋をゾクゾクさせながら、その気になりつつあったのです。
元から異世界暮らしの素質が少なからずあったと言えるでしょう。
「さぁ、まずは乾杯といこうではないか。……宜しいかな? では、この素晴らしい出会いを祝して、カンパーイ」
徳子も異世界王宮の作法には通じていません。ですが、どうやら場の空気は割合にラフで例えるなら立食パーティーのような印象です。魔王の号令でグラスをぶつけ合った後は、エルフの宮廷楽師が竪琴でBGMを奏でだし、皆が好き勝手に動いています。不慣れな徳子には魔王が付き添って色々と案内してくれるので心配いりません。
「時にトクコ殿。お腹のすき具合はいかがかな?」
「ええ、まぁ。そこそこ」
「こちらの青カビチーズは我が魔王城が誇る天才シェフ、トンデルが素材選びから手掛けた逸品だ。パンだけでなく、果実とも合う。舌がとろけるぞ」
「い、頂いてみようかしら?」
外人どころじゃない、そこは異形の魔族や魔物の社交場です。
鼻息も荒い牛頭人身のミノタウロスが、ズズイと覗き込んできたりするのです。
ですが、徳子も度胸には自信のある女。
少しずつ特異な環境に順応しつつあったのです。
どうせなら、楽しまなくては損じゃありませんか。
せっかく異世界に招待してもらったのですから。
そう、魔王が言ったようにこれもバカンスと考えれば良いのです。
それに肉やスープがたてる香ばしい匂いときたら、
なにもとって食われたりはしないでしょう。
徳子は思い切って皿に魔王おススメのチーズをとってみました。
すると、その途端!
『おや、俺を食べようって言うのかい? ケッケッケ、そうは問屋が
なんと三角チーズが真ん中から割けて口が出来たかと思えば、
「な、なんです、コレは? 文字通り踊り食いするのが異世界流なの?」
「ふっ、まさか。これは魔法を使ったよくあるイタズラだよ」
「魔法って陛下の? あまりにも悪趣味です。止めて下さい」
「誤解だな。このデミルゴに女性をイジメる趣味などない。だが、そうだなぁ。これも良い機会かもしれぬ。ひとつトクコ殿にナゾナゾを出してみようか」
「なぞなぞ?」
「ああ、そうだ。つまる所、この会場に居る誰かが、魔法を使ってトクコ殿にちょっかいをかけているのだよ。それはいったい誰だと思うね? 指さしてみなさい。そうすれば、私がその者にイタズラを止めるよう警告する」
「え? それはいったい何の為に?」
「
「……なるほど、そりゃそうですよね」
魔王の発言に耳を貸しながらも、徳子の目は素早く周囲を
切れ者で社会に通じていなければ残念オタクの妻など務まらないのでした。
先ほどからコチラをチラチラ見ているミノタウロスか?
チーズの製作者であるという魔王城のシェフか?
それとも、頭のリンゴを食べるよう勧めてきた植物の精霊か?
いえいえ、名探偵でなくとも空気の流れを読めば
「判りました。エルフの音楽家さん、貴方ですね」
「……だそうだ。イタズラを止めたまえよ、そこの君」
エルフはニヤリと笑って演奏の手を止めました。
すると、たちまちチーズは大人しくなってタダの食べ物に戻るのでした。
周りから喚声と
魔王も惜しみない拍手で彼女を讃えつつも、まぐれ当たりではないことを確かめる為に尋ねました。
「お見事、どうして判ったのかな?」
「なぞなぞの話が出た瞬間、皆さんの視線がどちらに向くかを確認させてもらいました。初めての私には判らなくとも、皆さんには誰の仕業か、大方の察しはついているでしょうから」
「成程、悪戯好きは周りに知れ渡っているものだからねぇ」
「それにチーズは踊っていました。踊りとは音楽に合わせて行われるもの。それならば楽器の演奏者が怪しいかなって」
「百点だよ。トクコ殿は綺麗なだけのお人形さんではないな」
「もったいないお言葉です、陛下」
「では、イタズラ者には罰を与えなければならんな。おいエルフくん、君にトクコ殿の護衛を命じる。彼女が魔王城で快適に過ごせるよう、面倒をみてやるんだ」
エルフは深々と頭を下げ、鈴のなるような声で応じました。
「おおせのままに、我が君」
エルフとは長い耳を持ち、人間離れした美形ぞろいの高貴な妖精一族です。
大抵は自然を愛し森の奥で暮らしているのですが、中には好奇心を抑えきれず外の世界へ出てくる変わり者を居るのだとか。
ファンタジーでは良く知られた存在であり、旦那のオタク趣味と付き合っている間に徳子もまたそういった異世界の知識を身につけていたのです。
―― まっ、エルフくらいは常識よね。
徳子のそんな考えを見透かしたかのように、魔王デミルゴは声のトーンを下げてこう続けたのです。
「トクコ殿にも紹介しておこう。このエルフ、実はエルフに見えるがエルフではない。実際はエルフに化けているだけなのさ。彼女は、この魔王城でも一番の変わり種でね。おい!」
魔王にうながされると、エルフの詩人は無言でうなずき徳子に背を向けて歩き出したのです。いったい何をするつもりなのでしょう?
エルフが向かったのはアーチ型の天井を支える大理石の柱です。
ファッションショーのモデルよろしく しゃなりしゃなりと歩き続けるエルフは、速度を落とさず柱の背後に入ると、そのまま裏を通り抜けて逆側から出てきたではありませんか。たったのそれだけ、ですが見る者の死角に入った一瞬で驚くべき変化が起きていたのです。
竪琴を持ったエルフが、柱の裏から出てきた時にはメイド服を着込んだ少女へと入れ替わっていたのです。長い金髪もボブカットの黒髪へ、狐目の碧眼も丸々とした黒い瞳へと変わっています。
メイド少女の姿となった「それ」は徳子の眼前へと戻ってくると、両手を前で組み、就任の
「初めまして、トクコ殿。ワタクシの名は『
「えぇ? えーと、あのひと変身した?」
「そう驚くことはない。彼女は千の姿を持っているのさ。状況に応じて使い分ける器用な奴だよ。異世界女性の付き人をするのも初めてじゃないから、仲良くしてくれ」
「シャドウ・マスターの名が長すぎるようでしたら、略してSMとお呼びください」
「いや、その略し方はダメな奴でしょ」
どうやら異世界で日本の常識は通用しないようです。
まったくもって、あらゆる意味で。
不安を抱きつつも、未知の生活を前に徳子の胸は年甲斐もなく高鳴ったのです。
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