第19話 リョウシン③

 「俺は今日、何もできなかった。」


 ルヴェンは赤いハンカチを一枚出した。


□□□□□□□


 ルヴェンは、学者をしながら学校で教員もしている。その帰り道に生徒が暴力を振るわれているのを見た。暴力を振るっているのは警官だった。

 警官が絶対のこの街では、止めればルヴェンもきっと殴られる。ルヴェンだけが殴られるのならまだしも、家族にも被害がいくかもしれない。そう考えると止めることができなかった。

 気が済んだのか、ぐったりと倒れた生徒を残し、警官が戻っていった。


 「大丈夫か。」


 生徒は薄く目を開き、過呼吸だった。顔は腫れ、血で濡れていた。


 「何かしたのか?」


 ハンカチで血を拭きながら聞くと、生徒は小さく首を横に振った。


□□□□□□□


 「俺は止められなかった。」

 「そんなこと、しょっちゅうだろ。」


 下を向きながら喋るルヴェンに対し、ウェルは小さくため息をつきながら言った。


 「しょっちゅうだからおかしいんだ。」


 ルヴェンは顔をあげ、ウェルを睨むような目で言った。


 「俺には妻がいる。そしてその妻は今妊娠している。もう時期子供が生まれる。俺は耐えられなかった。もしこれが自分の妻だったら、もしこれが自分の子供だったら、そう思うと悔しさと憎しみでいっぱいだった。」


 ルヴェンの膝の上で握られた拳が震えている。


 「小さい頃から街の外で書かれた本を読んできた。その本には、この街みたいに警官が住民に意味もなく暴力を振るうことなんてなかった。警官は住民を守り、悪と戦うものだ。それなのにこの街はどうだ、警官が悪そのものじゃないか!!」


 ルヴェンがヒートアップしているのが、大きくなっていく声でわかる。


 「おいおい、落ち着け。」

 「・・・・悪い。」


 ウェルがそういうと、ルヴェンは、小さく深呼吸をして自分を落ち着かせた。

 ウェルは、街の外もこの街と同じような世界だと思っていた。

 ウェルは、ルヴェンみたいに他言語の本を読んだことがないし、外の世界に行ったこともない。だから、街の外がどうなっているか全くわからなかった。

 だけど、もし、ウェルが、自分の妻や子供のヨウが、意味もなく警官に暴力を振るわれていたら、そう思うと、開いていた手がぎゅっと強く握られ、そうしたくないと言う思いでいっぱいになった。


 「俺が行くって言ったら、妻と子供はどうなる?」


 ルヴェンの言っていた感情を想像して、生まれてしまった怒りを鎮めながらルヴェンに聞いた。


 「もちろん乗せていく。だからなんとかして説得してほしい。」

 「わかった。」


 少し安心してオイルの空き缶に腰をかけた。


 「それで、いつ出発する?明日か?」


 軽いと音で言うウェルに対し、ルヴェンは首を傾げた。


 「そんな早く行けるわけないだろ。最低でも2週間は必要になると思う。」

 「気球って飛ぶのにそんなに時間かかるのか。」


 気球の原理がいまいち理解しきれていないウェルは、もうそう言うもんなんだと飲み込むことにして言った。それに続けてルヴェンも軽いと音で言った。


 「まぁそうだよ。だってまだできていないんだもん。」

 「え?」


 てっきり気球が完成していたと思っていたウェルと、これから組み立てる気でいるルヴェンの頭にクエスチョンマークが浮かんだ。

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