【No.078】運命の歯車は真実の音を刻む
道なき未知へ導く運動靴。
光をあてると道になる懐中電灯。
絶対帰還の方角を示すコンパス。
そして、正体を映すカメラちゃんもといアクションカメラ。
ムトウユウリはカメラをくるりと回し、レンズをこちらに向ける。
カメラが俺をじっと見ている気がした。
機材と探検セットを渡され、富士樹海を探索しろと言われたのは数日前のことだ。
『この道具たちを使って、青木ヶ原樹海を撮影してください。
機材トラブル等ありましたら、こちらに連絡をお願いします。
帰還後、報酬をお渡しします。ついでに、道具のメンテナンス作業をしましょう』
ムトウユウリを名乗る女はこう言った。
つやのある黒髪をまとめ、高級そうなスーツを着て優雅に笑う。
最初は上流階級ならではの余裕かと思ったけど、どうもそんな感じではないような気がしてきた。
今思えば、あの人喪服を着てたんだよな。
え、じゃあ何だってんだ。俺が死ぬのを見越した上でこの依頼を持ってきた、と?
冗談じゃないと言いたいところだが、受けてしまったものは撤回できない。
東雲冬樹の人生をかけた冒険を始めるしかないのである。
『ねえ、本当に大丈夫なの?
本物かどうかも分からない人の話に乗ることないじゃない。
コツコツ続けていけば、いいんじゃないの?』
『確かにそうだ。富士山は何度も登ってるし、青木ヶ原もルートが限られてる……探検するような場所なんてないと思うんだけどな。
ま、いい感じの動画を撮って帰ってくる』
ザックに荷物を詰め込む。きな臭さはずっと感じていた。
ムトウユウリはミセスナイアルの創業者にして代表取締役社長、その他ファストフード店を手掛けているらしい。
金持ちの道楽か何かだろう。
本物かどうかはともかく、あの女社長の目に止まったんだ。
これはチャンスだ。逃すわけにはいかない。
紅ちゃんはため息をつく。
カバンにつけていたくーたんを外し、俺の手に握らせた。
ドーナツ屋のオマケのおもちゃだ。
一目で気に入ったらしく、堂々とお子様セットを頼んでいた。
紅ちゃんのそういうところが好きなんだ。そう言っても全っ然聞いてくれないけど。
『私が言っても聞かないのはもう分かってるし、止める気も起きないのよね。
けど、ちゃんと生きて帰ってくると約束して。お願い』
めずらしく深刻な表情を浮かべていた。
『なんだか嫌な予感がするの。
冬樹くんがいなくなったら、どうしたらいいか……分からないから』
紅ちゃんと指切りげんまんをして、俺は旅立った。
鬱蒼とした森だ。カメラをセットしてから、1時間は歩いただろうか。
ひんやりとした空気で歩いていて気持ちがいい。
あーもう、紅ちゃんと一緒に来たかった。歩いてるだけで絶対楽しいヤツじゃん。
「ここに何があるってんだ……探検する場所なんてないはずだろ」
散策コースを歩いていると、木の根元が不自然に盛り上がっている。
枯葉をどかすと、金属製の扉があった。
まさか、運動靴が道を示しているというのか。
この下に何かあるとでも言いたいのか。
開けちゃダメだ。ルートから外れるし、無視して立ち去らないと。
そう思った瞬間、両手は取手を掴み、スライドさせた。地下に続く階段が出てきた。
薄暗く先は見えない。樹海の外に続いているのだろうか。
遊歩道を使わずに人目を避けて通る意味は何だ。
ここに扉を作った意味は何だ。ここに何がある。
考えているうちに、低く不快な羽音が頭をかすった。
スズメバチか! 俺はあわてて階段を下ってしまった。
長い階段を下ると、薄暗い廊下が左右に分かれている。
白い服を着た少年が視界をかする。
人がいる。俺は少年の後を追いかける。
薄暗い建物で、やけに広い廊下だ。何かの人工施設としか言いようがない。
商業施設には見えない。学校か病院だろうか。
少年の後に続き、部屋に飛び込んだ。
後ろで自動ドアの閉まる音がした。
『加賀美翔吾は魔法少女に殺された』
「はあ?」
部屋にぱっと電灯がついた。
ずらっと並んだテーブルの上に何かが乗せられている。
包帯でぐるぐる巻きになっている人型の何かだ。
『平和な休日、影から現れた化け物に襲われた。
空から飛んできた魔法少女が人々を救った。誰もが彼女を英雄と称えた。
しかし、弟だけが助からなかった。兄だけが残った』
再びぱっと明かりがつき、少年はテーブルの上に座っていた。
『だから、兄はどうにかして助けようとした。
瀕死の弟を救おうと命をつなぎとめた結果、どうなってしまったと思う?』
正面の明かりがつき、四角い黒い箱がぽつぽつと光っているのが見えた。
黒い箱に手を置いて、優しい笑みを浮かべている男がいる。
何やら話しかけているようだが、その内容は分からない。
一体、何が起きているんだ。俺は何を見せられているんだ。
思わず後ずさった。背中が扉にぶつかる。
『彼は今も魔法少女を憎んでいる。家族を助けてくれなかった魔法少女。
だから、彼は魔法少女を壊すと決めた』
部屋が一気に明るくなった。俺はとっさに目をつぶる。
ゆっくり開くと、俺の目の前に白いパーカを着た少年が現れた。
「あれ、誰ですかあなた」
少年はほおをかき、首を傾げる。
「ごめんなさい。僕、加賀美さんだとばかり思ってて……迷子ですかね?」
「今のはなんだ! ここはどこなんだ!
君がカガミショウゴくんだとでもいうのか!」
俺は思わず少年の肩を掴んだ。
少年は表情を変えず、こちらをじっと見ている。
「僕は通りすがりの死神です。でも、今の話も事実なんです」
首をさらに傾ける。ぐるぐると両目は渦を巻いている。
「担当した同僚に兄を生かした理由を聞いたんです。
『そっちのほうがおもしろそうだったから』と、たった一言だけでした。
ひどいと思いませんか。神の気まぐれで、彼の人生は狂ったんです」
「……意味が分からない。俺はただ、撮影を頼まれただけなんだ。
カメラは渡すし助けてくれないか。こんなことになると思わなかったんだ」
「落ち着いてください。あなたはまだ連れて行きません。
大切な人もいるんでしょ? その人は大事にしないと」
少年は扉に目を向け、人差し指を立てる。
「今の音で気づかれました。そこの棚に隠れてください。早く!」
俺は言われるがままに棚に飛び込み、扉を閉めた。
富士の樹海にある謎の実験施設か。
なんかホラー映画であったな、こういうの。
紅ちゃん、意外とホラーが苦手なんだよな。
すぐに叫ぶし俺に飛びつくし、反応がいつもより楽しいし、なぜか分からないけど得した気分になる。
恋人の両角紅緒の顔を思い出して、深呼吸をする。
だから、俺みたいなのに頼んだのかな。
俺はここで実験されて、死ぬわけだ。
そう思うと、肩の力がすっと抜ける。
探検セットはまだ使っていない。
道を開く懐中電灯、正しき道を示すコンパス。
よく分からないけど、使わない理由はない。
「紅ちゃん置いて死ねるかァ!」
懐中電灯を照らした先に穴が開き、俺はそこに飛び込んだ。
コンパスの針が勝手に回り、道を示す。
懐中電灯が切れるまでずっと走り続けて、俺の意識は落ちた。
「冬樹くん! よかった……目が覚めたんだ!」
目が覚めると、病院のベッドの上にいた。
紅ちゃんは俺に抱きついて、わんわん泣いている。
あの後、登山口付近で倒れている俺が発見された。
登山客が救助隊に連絡し、病院に運び込まれた。
怪我はほとんどないから、すぐに退院できるとのことだ。
「本当にバカじゃないの! 生きて帰ってこないと何の意味がないじゃない!」
「心配かけてごめん……」
「しばらくは私の下で働いてなさい!」
確かに無茶なことをしたかもしれない。
何も考えずに行動をしすぎたか。しばらくは家でできることを考えよう。
「目覚めたんですね、体調はいかがですか。
あ、僕は担当の加賀美智彦と申します。よろしくお願いします」
「すみません、こんなことになっちゃって」
「この時期、山での事故は本当に多いですから。無事でよかったです」
彼はにこりと笑う。
カガミさん、なんか聞いたことがあるな。
なんだったっけ、魔法少女がどうのとか言っていた気がする。
結局、カメラは渡すしかないからデータの保存もできないんだよな。
見なかったことにするしかないか。どのみち、ブログのネタにもならないし。
今は生きて帰ってきたことを喜ぼう。報酬で焼き肉でも食べに行くか。
ぼんやりとそんなことを考えていた。
「ほーう……これが真実ですか」
ムトウユウリはにやりと笑う。カメラちゃんも同じように笑う。
冒険家によって撮影された映像は、これまでにないくらいの特ダネだ。
無数の人間がベッドに寝かされ、絶叫を上げている。
男は残忍な笑みを浮かべ、体を解剖し、機械に接続する。
惨殺と殺戮を繰り返し、その手が血で黒く染まっている。
カメラは真実を映していた。彼女はコーヒーカップを傾ける。
さて、ここからどうしようか。予想外の侵入者によって警戒しているに違いない。
「あなたの同僚の話が嘘でないことは証明されましたね。
しかし、もう少し精査してみますか。
もしかしたら、何かつかめるかもしれません」
死神がその隣で、後ろで手を組んで立っている。
「あなたは彼をどうするつもりなんでしょう」
「どうもしませんよ、観察を続けるだけです。
彼はいずれ、正義によって倒されるでしょうからね」
「正義の魔法少女に、ですか?」
「そうじゃないと、世界は丸く収まらないでしょう?」
邪神は薄く笑った。
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