【No.085】0から1へ、夢は現実へ至る


「話は鳥井さんから聞いていますよ。市村洸太さん」


「え?」


俺の目の前に、皿に山ほどドーナツを載せた女性が現れた。

黒髪を綺麗にまとめ上げ、高級そうなスーツを着ている。

こちらを見る目はどす黒い瞳をしていて、見つめると飲み込まれてしまいそうだ。


「何やら私の預かり知らぬところで、怪奇現象が起きているようですね。

私の加護も届いていないようでしたから、私と同等、いえ、それ以上の力が動いていると思われます。お詫びにもならないと思いますが、こちらを差し上げます。

いつでもいらしてください」


「あなたは?」


「ああ、これは失礼しました。私は無藤有利と申します」


彼女は名刺と引換券を差し出した。

無藤有利と言ったら、ミセスナイアルを立ち上げ、大企業にまで成長させた創業者にして代表取締役社長じゃないか。何でまたこんなところに。


「おや、自分が経営している店なんです。

社長がいても不思議じゃないでしょう?」


「それはそうなんですが……」


「昔から人がいる方が落ち着いて仕事ができるんですよ。

会議は流石に移動しますがね」


「そうなんですね」


バリバリのキャリアウーマンといった感じで、ただならぬオーラを放っている。

話ながらコーヒーを飲み、ドーナツをぱくぱくと食べる。


「鳥井さんは非常によく働いてくれています。

本人にやる気があるなら、ここの店長でも任せようかと思っているくらいです」


「まあ、確かに……存在感はありますよね」


「あそこまで尽くしてくれているんですから、私としても、何かお返しをしなければならないでしょう? 彼女が困っていたら、どこにいても助けに行くつもりではいるんです」


「それは過保護なのでは……?」


「そうかもしれませんね。ですが、従業員が危険に晒されていたと聞いて、黙っていられるはずもないでしょう。しかも、この私が気づくことすらできなかった。

これは明らかな異変です。何かが起きているに違いありません」


社長は演説でもするかのように、静かに力強く語る。

鳥井さんを気に入っているのは確かなようだ。

よかったな、君の将来は明るいぞ。


「まあ、この件は探偵か私の部下に探らせますから。

あなたは気にしないでください。とはいえ、何か起きてからでは遅いですから。

万が一のために、こちらをお持ちください」


社長はカバンからメンダコみたいな生き物のストラップを取り出した。

下のほうにひもがついている。

そういえば、昔から変な生物をモチーフにしたおもちゃを出すんだよな。

親に買ってもらっても全然嬉しくなかったのを思い出してしまった。


「恥ずかしいお話ですが、これは売れ残りのおもちゃなんです。

誰でも使いやすいように、わが社の独自技術を入れ込み、最新鋭の防犯用ブザーに改良したんですよ。

私の加護を授けたアーティファクトですので、時間稼ぎにはなりましょう」


「防犯ブザーですか」


なんということだ。在庫をさばくために改良……魔改造されてしまったのか。

独特のゆるキャラたちに熱狂的なファンがいるらしいけど、実際どうなんだろう。


「事故や事件があってからでは遅いので、従業員及び関係者に全員配布しているんです。誰がつけても違和感のないデザインにしているつもりですが、抵抗がありますか?」


「いや、防犯ブザーなんて小学生以来なので……」


「ちなみに、以前はドーナツの形をしていたんです。

小型の食品サンプルをそのまま使用していたのですが、使いづらいという声を多数いただいたので、今のデザインになりました」


ドーナツとゆるキャラだったら、ゆるキャラのほうがまだ使いやすいのか。

よく分からないが、そういうものなのかもしれない。


「鳥井さんから相談を受けたときは何事かと思いましたが、あなたがこの店に来て確信を得ました。これはまぎれもない現実であり、異変であると」


「じゃあ、彼女も同じ夢を見ていたと……現実だったんですか。アレは」


「実際、まったく同じ内容の夢を見た人間が二人もいるのです。

これを現実と思わないほうが無理じゃないですか?」


彼女は指を二本立てる。

それが本当なら、あそこにいた参加者全員が現実に存在している。

ゲームマスターとして主催した存在もどこかにいる。

こんな恐ろしい話もない。


「こんなこと聞いていいか分からないんですけど」


「はい、なんでしょう」


「あのゲームに参加できると言われたら、どうしますか?」


無藤さんの目はきらんと輝き、口角が上がった。


「もちろん、参加しますよ。たとえ、拒否されても乗り込むでしょうね。

生死に立たされたとき、人間の表情は一番輝きますから」


十数個のドーナツを平らげ、コーヒーを傾ける。


「狂気なんて誰もが持っているんですよ。リミッターがあるだけです。

超えるか外すか、たったそれだけの違いです」


その違いはよく分からない。

ただ、狂気に侵されてはならないのはよく分かる。


「さて、鳥井さんは勢いに任せてしまうことが多々見受けられます。年相応と言われてしまえばそれまでですが、今後を考えるともう少し落ち着きが欲しいところです。周囲に気配りはできていますので、あともう一歩と言ったところでしょう」


「はあ……」


「夢の話を聞いて、少し興味が湧いたんです。

生死をかけた恋愛ゲーム、私にはない発想でした。

なぜ、私は誘われなかったのでしょうね。

私と同い年くらいの人間もいたと、彼女からは聞きましたが」


何を思ってターゲットに選んだのかは分からない。

割と早めに抜け出せたから、その後は分からない。

他の参加者は無事に脱出できたのだろうか。


「市村さん、これだけは言っておきます。

もし、あなたが今日、この店に来ていなかったら、彼女は本気で日本全国を支配していたでしょうね。日本全土がドーナツで埋め尽くされるところでした」


「え……えぇ? じゃあ、本気なんですか?」


「それは本人に聞いてください。

彼女は夢と思っていないようですから」


制服姿のトリイさんがバックヤードから出てきた。

本物の女子高生だ。夢ならどれほどよかっただろうか。


「社長、いらしてたんですね! お疲れ様です!」


「いつもお疲れ様です」


アルバイトの女子高生と代表取締役社長が気軽に会えるなんて、いくら何でも距離感がおかしくないか。どうなっているんだ、この店。


「それでは、私は会議がありますので。お二人とも、どうかお気をつけて」


「社長も気をつけてくださいね。本当に危なかったんですから」


「ええ、もちろん。今日はありがとうございました。

それでは、また機会があればよろしくお願いします」


社長はすたすたと去ってしまった。


「市村さん、社長と何を話していたんですか?」


「今日の夢のこととか、まあいろいろと……」


「そうだったんですね! なら、もう一度、自己紹介しましょうよ! 

私、鳥井深月っていいます!」


あの時とまったく同じだ。疑いのないまっすぐな目でこちらを見る。

彼女は社長のいた席に座ったことで、夢は現実へと変わる。

彼女の通学カバンにも似たようなストラップがぶら下がっている。


「初めまして、市村洸太と申します」


お互いに頭を下げた。

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