第109話 触手令嬢はAS〇Rが大嫌い



 一切迷うことなく断言するおじい様。

 その勢いに、もはやこのカス伯爵は全く抗弁することも叶わず、へなへなとその場に崩れ落ちてしまいました。なんと情けない。

 そんな伯爵の身体を、会長は素早く押さえつけます。


「ルウさん、グラナート子爵――それに、ヒロ君。

 油断は禁物だ。まだ、終わったわけじゃない!」


 そんな会長の言葉はその通りで――

 室内にはまだ、天井のあたりに黒い靄が延々とたちこめておりました。

 あぁ……まだ消滅していなかったのですね。カス親のかたわれが。

 その靄はひゅるりと天井を一周したかと思うと、一気に降りていきます――息子のレズンの元へ。

 いけません。アレレーナを放置しては、また!


「もう貴女には、何もさせませんわ!

 ここから、出ておゆきなさーいっ!!」


 わたくしは全触手に意識を集中させ、一気に靄に向けて繰り出しました。

 無数のミサイルの如く、宙を突っ切っていく我が触手。しかしレーナの方もその攻撃を予期していたのか、ひょいひょいとすばしこくかわされてしまいます。

 あぁ、もう。見た目は黒い霊魂にしか見えませんのに!


「ルウさん!」


 片手で伯爵を拘束したまま、会長がもう片方の手を高々と差し出しました。

 その手から勢いよく発射されていくものは、無数の光弾。わたくしの触手の間をぬうようにその光は靄を追いかけ、部屋の隅まで追い詰めていきます。


「レーナ・カスティロス!

 諦めてください。とっくに、魔妃の時代は終わっているんです!!」


 しかしそんな会長の怒声をからかうが如く、次々と光をよけていく靄。

 つかまえようとしても意外と敏捷に跳ね回る虫の如く、こちらの攻撃を見事にすり抜けてしまいます。おかげで天井がボコボコになってしまいましたわ!


 どれほどわたくしと会長が猛攻の嵐を浴びせても、こちらを嘲笑うように踊り狂っては、少しずつ近づいていこうとします。

 どこへかって? それは当然、息子たるレズンの身体へと。

 こ、この毒母! またしてもレズンをいいように操るつもりですか!!


 そんなわたくしたちにはっきり聞こえたものは、陶酔したかのような笑い声でした。


《うふ……うふふ……

 レズンちゃん。どんなことがあっても、私だけは貴方を見捨てない。

 さぁ……一緒に、イきましょう? 

 だって私は貴方のママだもの。ずっと貴方を守り、貴方の好きなようにさせてあげる……

 貴方はいつまでも、ママとずっと一緒よ。絶対に、離れない……》


 耳元で直接囁かれるような気持ち悪い声に、思わずわたくしの感覚器官までも殆どがゾワゾワしてしまいます。

 一部の男性にとっては至高の囁きかも知れませんが、女性のこういう囁き声って同性にとってはものすごくキモチワルイと思ってしまうこともあるのです! たとえ触手族であろうと、全身に鳥肌とじんましんが同時に出るレベルに!! 分かってください!!


「う、うぅ……さすがは魔妃の囁きだね。

 脳みそが煮えるようだ……ッ!!」

「ぐ……ぎ……! 

 何か知らんが、滅茶苦茶にムシャクシャする声じゃぞい! まさしく魔妃の声か!!」


 しかし会長やおじい様までもわたくしと同じように、この囁きにメンタルダメージを受けているようです。

 良かった。この声をキモチワルイと思うのは、わたくしだけではなかったのですね。そんなAS〇Rもどきの声で誰もが気持ちよくなると思ったら大間違いですわ!!


 ですが、いました。

 ここに一人だけ、その声に抗うことの出来ない人間が――



「……う……

 おふ、くろ……?」



 いつの間にかよろよろと立ち上がっていたのは――レズン。

 魂が抜けたような瞳で黒い靄を見つめながら、酔っ払いのような足取りで歩き始めます。

 母親の声に決して抗えないのか、まるで操り人形の如く靄へと引き込まれていくレズン。


《ふふ……いい子ね、レズンちゃん。

 他の誰が認めなくても、貴方は私の、とても可愛い息子。

 だから――!》


 レズンに向かって、一気に拡大する黒の靄。

 いけない。あれに捕まってしまったら、この間のような大惨事が再び引き起こされてもおかしくありません。

 伯爵に見捨てられ、学校にも家庭にも居場所をなくしたクズが今再び魔妃の力を手にしたら、どんな暴走をするか――!



 わたくしも会長もすぐに攻撃態勢を整え直しましたが、囁きの気持ち悪さによりどうしても動きは鈍くなってしまいます。

 黒い靄はそのスキを逃すことなく、すいっとレズンの元へと飛び込んでいく――

 あぁ。このままレズンは母親のもとにまた、取り込まれてしまうのでしょうか。



 ですが、さすがのわたくしも諦めかけてしまった、その瞬間でした。



「レズン!

 そこから、離れろ!!」



 可愛らしくも勇敢な叫びと共に、ひときわ大きなエメラルドの光弾が、黒の靄に向かってぶちこまれました。

 予想外の攻撃に、らしくもない悲鳴を上げる靄。


《ひ……ヒヤアァアアアァッ!!?

 誰? 誰よ……私の、レズンちゃんを……!!》


 操り人形の糸がぷつりと切れたかのように、バタリと力なく倒れるレズン。

 そんな彼を咄嗟にかばったのは――勿論、ヒロ様でした。

 ボロボロの身体で再び立ち上がりながら、右手にこうこうと輝くものは勿論、勇者の証たる魂術の光。

 あぁ――ヒロ様! 本当にたくましくなられて、わたくしは感動ですが。


「ヒロ様、あまり無茶をしないでくださいまし! 

 相手はあの魔妃ですよ!?」

「分かってる!

 だけどもう、レズンには触らせない!!」


 頑なに靄を見据え、もう一度魂術の光を構えるヒロ様。

 全身傷だらけのままで術を発動させようとするその姿は、健気さに満ち溢れています。しかし――


 そんなヒロ様に目を留めたのか。

 靄の中から、あのキモチワルイ囁きがはっきり聞こえました。


《……いいわ。

 そんなに強情を言うなら……ちょっと、おしおきしてあげましょうか。

 ユイカ……貴女そっくりの、可愛い子に♪》


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