第108話 触手令嬢、カスに呆れる


 

 心からほっとしたように、わたくしの触手をそっと撫でてくださるヒロ様。

 そして――そのまま触手を、ぎゅうっと右腕で抱きしめてくださいました。

 意外なほどの力強さ。昇天するほど心地よいですが、ちょっと痛みさえ感じてしまいます。

 そんなヒロ様をかかえ、全触手でそっと包み込むわたくし。

 お互い抱きしめあうような恰好になりながら、ヒロ様はそっと呟きました。


「ルウ。俺……やっと、気づいた。

 レズンとちゃんと話して、やっと気づいたんだ。

 レズンの気持ちと……自分の気持ち」


 その両肩が、微かに震えています。

 わたくしは黙ってその左肩の傷に、治癒魔法をかけていきます。


「色々なことを知ったけど。

 想像以上に……嫌なことばかりだった」


 そうでしょう。

 あのカス父から治療を受けるまでの過程で何があったのか、わたくしには分かりかねますが――

 破られたボロボロのズボン、解かれたままのベルトなどの状況からして、何となく想像はつきます。その上、ベッドの上を見ると――

 な、なな、なんということ。原形がなくなるまで引きちぎられた泥まみれのワイシャツが、ゴミのように投げ捨てられておりました。


「信じられないことや認めたくないこと、たくさんあったよ。

 それでも――俺、良かったと思う。

 レズンの家のことや、母さんのことも……初めて知れて」


 こみ上げる感情を抑えきれないのか、次第にしゃくりあげるヒロ様。

 わたくしはその背中を、何度もさすってさし上げました。

 いいのです、ヒロ様。泣きたい時に泣いて下さい。

 わたくしは心ゆくまで、その涙を受け止めますので!


「知らなきゃ良かったことも、知ってしまって後戻り出来なくなったことも、たくさんあるけど。

 ただ、ルウ。レズンをあまり……

 責めないでほしいんだ」


 そっとヒロ様は頭を回し、倒れたままのクズンを――

 そして、その向こうで血まみれになっているカス伯爵を哀しげに見つめました。

 伯爵の方は刺されてもなお意識があるのか、何やら悔しそうに呻いております。


「あ、あの……クズ女が……バカ息子がっ!

 家の為に仕方なかったとはいえ、あの女と臥所を共にしたのが……間違い……っ!!」


 未練がましく呻きながら、倒れているレズンに手を伸ばす伯爵。

 その頭に手が届いた瞬間、伯爵はレズンの髪をむんずと掴みました。

 息子への愛情など何もない、ただただ憎悪に満ちた仕草。

 ブチブチと髪が引きちぎられる音が響き、思わずヒロ様もわたくしも顔を歪めてしまいました

 ――が、その時。



「そこまでです、カスティロス伯爵。

 事情の殆どは把握しました」



 響きわたったのは、ロッソ・ヴァーミリオ会長――

 魔王の末裔に相応しい、静かなれど厳かな声でした。



 そんな魔王、もとい会長の言葉を聞いた瞬間。

 カス伯爵はぶるりと背筋を震わせながら、レズンからぱっと手を放しました。


「ど、どうかお助けを……ヴァーミリオのご子息!

 こんなどうしようもないクズなぞ……もう、私の息子ではない……!

 親に向かって刃をふるうなど、何という……!」


 伯爵の声も身体も、がくがく震えております。

 王室直属騎士団長の息子というのもそうですが、何といっても会長自身から放たれる、魔王の威厳が伯爵を怯えさせているのでしょう。

 伯爵を見降ろしたまま、会長は眉一つ動かさず答えました。


「彼にそうさせたのは、どこのどなたです。

 自身の血を継ぐ子に対してこれだけの理不尽な暴力をふるい、自分の希望通りに育たなければたやすく見捨て。

 そして当然の顔をして、他者の子供を自身のモノにしようとする。

 これが傲慢でなくて何です?」

「違う。ユイカは私と一緒になるべきだった人だ……

 だからヒロ君は私の、本当の家族で――」


 何を寝言ほざいているのでしょう、このカス親は。

 ヒロ様の家族はおじい様とユイカ様とお父様、そしてソフィにスクレットたちですわ。勿論将来的には、わたくしもそこに加わりますが。


 会長はそれには直接答えないまま、無言で伯爵のそばに膝をつきました。

 その手からは治癒術の光が発され、伯爵の傷が少しずつ癒えていきます。

 騎士団長の息子としては、眼前で負傷した者をそのままにしておくわけにはさすがにいかないのでしょう――

 例えそれが、どのようなカス人間であろうとも。


「伯爵――

 今回の件は改めて、騎士団で直接お話を伺う必要があると見ました。恐らく僕の父も同じ判断をするでしょう。

 レズンの件は勿論、貴方の長年にわたる家庭内暴力も。

 執拗に彼を追いつめ、少しでも自分の思い通りにならなければ殴打や捕縛などの激しい虐待を加え、挙句、いとも簡単に実の息子を捨てようとした。

 このような行為は昔ならいざ知らず、今では立派な犯罪ですよ」


 あくまで冷静さを保つ会長に、伯爵は慌てふためき大層早口でまくしたてました。


「わ、私は親として、当然の躾をしたまでだ!

 悪いのは私ではない――無能な息子と、こやつを生んだあの女!

 そしてあの女を私に押しつけた父や祖父母、それにユイカとの結婚を阻んだグラナート家こそが、最大の元凶だ!!」


 なんとまぁ。息子が嫁が悪いなどと言い張るだけでなく、その歳になってもまだ、親が悪い……ですか。しかもグラナート家、つまりおじい様にまでその責任を押し付けるなど。

 呆れてものも言えないのか、さすがに黙り込む会長。

 その背後から、おじい様がじっとカスティロス伯爵を見降ろしていました。


「カスティロス。そこまでワシらが憎かったか……

 しかしそもそも、お主にはユイカを娶る度胸なぞ、最初からなかったであろう」

「なっ!?」


 おじい様を見上げながら、憤然と鼻を鳴らす伯爵。その目には身勝手な憎しみしかありません。

 会長、もう治癒術中断した方が世の為では。


「何を言う……小汚い魔物に侵された醜い家の分際で!

 私はユイカを、心から愛し――」

「本当にユイカを愛していたなら、何故家を捨ててもユイカを手に入れようとしなかった?

 何故ワシと真っ向から対立してでも、ユイカを奪おうとしなかった?

 何より――ユイカは魔物も人間も、分け隔てなく愛する娘だった。

 そんなユイカを、お主は何故理解しようとしなかった?」

「そ……それは!」


 おじい様の静かな問いに、思い切り口ごもる伯爵。

 ……あぁ、そういうことですか。

 伯爵のユイカ様への愛など、愛とすら呼べないシロモノだったと。


 さらにおじい様は仰いました。

 それは静かなれど、カス伯爵にとってはこれ以上なく厳しい言葉だったでしょう。


「お主は家柄の差などと言っておったが、ただ単に魔物の臭いがしみついたワシの家が嫌いだっただけじゃろう。

 だからグラナート家に乗り込みさえせず、ワシとろくに口論すらせず、ユイカを強引に奪おうというそぶりすら見せなかった。

 実家から反対されたら、それに抗うことさえ出来なかった。

 そこまでユイカを愛していたなら、実家を捨ててワシからユイカを奪うぐらいの強さが欲しかったものよ」

「な、何を馬鹿なことを!

 そんなことが現実的に可能なわけが……!!」


 いいえ、出来るはずです。本当にユイカ様を愛していたなら。

 現にわたくし、ヒロ様の為ならあの父上の性根も性癖も変えてみせる覚悟ですもの。

 もし父上がヒロ様をお認めにならないなら、わたくしは軍を率いてでも、いいえただ一人になっても、父上と戦う覚悟ですもの!!


「それすらせず、ユイカの方から家を捨てて自分の元へ来てくれると望んでいたのじゃろう、お主は。

 自分は家も身分も何も犠牲にせず、ただユイカを手に入れることだけを望んだ。

 そして自分の身勝手を棚に上げ、ユイカと一緒になれなかった責任をただひたすら、他者におしつけた。

 それもワシらやカスティロス家のみならず、自身の妻、そして息子にまでも」

「ち、ちが……私はユイカを、心から……

 だが、出来るわけが……っ!」


 なおも抗弁しようとする伯爵。

 しかしおじい様は皆まで言わさず、伯爵を一喝しました。


「出来る出来ないの問題ではない。

 そんなお主の本性を見抜いたからこそ、ユイカもお主を見捨てたのじゃ!!」


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