第106話 救出!!
「レズン!?」
眼前の状況が一瞬信じられず、思わず声を荒げるヒロ。
レズンが、明確に、人を刺した。それも、自身の父親を。自分の家族を――
だが、ここまでのカスティロス伯爵の行為や言動を考えれば、ヒロにもその理由は十分理解できた。
ほぼ初対面に近かった伯爵。ヒロとまともに話をしていたのはほんの数分にすぎない。
それでも嫌という程分かったのは、レズンやレーナに対するあまりの愛のなさ。
ユイカへの偏愛に反比例するかのような、自分の家族への無関心と暴力。
自分の家族をゴミを捨てるかのように排除した上、赤の他人にすぎないヒロを一方的に取り込もうとした横暴。しかもその理由はただ一つ、ヒロがユイカの息子だから。
伯爵には自身の家族もヒロの家族も、何も見えていなかったのだろう。それどころかヒロの心も、ユイカの本当の想いさえも。
笑いの形に引きつり、歪みきったレズンの表情。
視点は全く定まらず、何もない空中を泳ぐばかり。
その口はうわごとのように、同じ言葉を繰り返している。
「許さねぇ……てめぇだけは、死んでも許さねぇ……
何があっても、絶対に、許さ……」
その『許さない』相手が父親か母親か、それともヒロか。それすらも最早定かではない。
両手とナイフを覆った
歪み切った家庭。暴力と無関心の父。半ば気が狂ってしまった母。
ただでさえ異常な環境の中、彼は同性で親友たるヒロに性的欲求を抱いてしまった。
それは恋とも愛とも到底呼べぬレベルの、歪んだ一方的な感情。しかしある意味それがレズンを現世に繋いでいた、唯一の糸だったとも言える。
ヒロがレズンを真っ向から拒絶したことによって、その糸は切れた。
それまでの行為から考えれば完全に自業自得であるが、拒絶された事実を認められないまま、さらに彼は父親から暴力をふるわれ、完全なる断絶を告げられた――
それを考えれば、まさしくこの結果は来るべくして来たものだろう。
だがヒロにしてみれば、どうしていいか全く分からない。
レズンを包む黒い靄は、さらに濃くなっていく――そして。
――ふふっ。
ここにいたのね……レズンちゃん。
さぁ、一緒に行きましょう。大丈夫、あの子も一緒に連れて行くから。
ママはちゃんと約束を守るわ。あの子の身も心も、ぜぇんぶ、貴方のモノにしてあげる。
靄の中から聴こえたものは、女の囁き。
それを聞いた瞬間、ヒロの背筋にぞわりと悪寒が走った。
――間違いない。
この声は、魔妃の末裔・レーナ。
レズンの母親であり、レズンに角笛を渡して学校を滅茶苦茶にし、みんなを傷つけ――
ルウを操った張本人。
そして――俺の母さんを!
そう思った時、ヒロの中で次第に怒りが、恐怖と混乱を超えていく。
冷静に。冷静になるんだ。今俺に出来ることは――
ぐっと両拳を握りしめたヒロ。
そんな彼の前で、レズンは何故か不自然なほどに頭を傾け、パクパクと口を動かし始めた。
まるで、何かに操られているかのように。
レズンの腕を覆っていた瘴気はやがて肩にまで達し、首までも絞めつけるように彼を侵食していく。
ぐるりと回転したレズンの眼球。その視線はやがて、倒れたままもの言わぬ伯爵に向けられた。瞳に全く生気が感じられない。
そして、その口から発せられた声は――
レズンの声帯を使って発せられてはいたが、彼の声ではなかった。
『――あの女。
アナタ。私もやっト、思いダせたの。ユイカのコとを……』
ヒロは瞬時に確信した。
間違いない。レーナが、母親が、今のレズンを操って声を出しているんだ。
息子の身体を乗っ取り、野太い声で自分の意思を表明しているレーナ。そんな彼女に、ヒロは何とも許容しがたい気持ち悪さを感じとった。
最初はカタコトだったものの、次第に完全にレズンの喉を乗っ取ったのか。
はっきりと言葉を口にするレズン。否、レーナ・カスティロス。
息子の眼を使って伯爵を、自分の夫を見下げながら、彼女は語る。
『ずっト、分からなかった。貴方が何故いつも、あの女ノお墓へ行っていタのか。
大事な大事なレズンちゃんを見捨てて、何故あの女のところにばかり行くのか。
そもそも、あの女って、誰だっタのか。
デも、やっと思い出せた。ううん、貴方が思い出すよりずっと早く、ワタシは思い出していたノ……ユイカのことを』
そしてレズンの眼は――今度はぐるりと回ってヒロを見つめた。
レズンの表情筋が、笑いの形に無理矢理動いていく。動かされていく。
レズンは笑っていないのに、笑わされている。ヒロにはそれが、たまらなく気持ち悪かった。
『あぁ。なんて……なンて、可愛らしいコ。
本当に、ユイカにそっくり……
ママのモノにしちゃイたいくらい……ううん、ダメ。このコはレズンちゃんのモノだし』
どこまでも自分勝手な。
レーナの言葉を耳にして、最初にヒロの中に生まれた感情はそれだった。
――自分の夫を、自分の息子が刺した。
レズンの行為に、どこまでレーナの意思が関わっていたのかは分からない。だが、極限まで追いつめられていたはずのレズンをいいように操り、息子が父親を刺した事実を眼前にしても平然としている母親――
そのこと自体、ヒロには信じられなかった。
その上ヒロを目にして最初に言った言葉が、『自分のモノにしたい』?
ふざけるな。伯爵といいこの女といい、どうしてそこまで簡単に、子供を自分の勝手にしようとするんだ!!
「……この、クソバカ野郎が」
自分でもらしくないと思える言葉が、自然とヒロの口から零れた。
そんなヒロの感情に呼応するように――
彼自身の両拳が、ほんのりとエメラルドの煌めきを放ち始める。
恐らくレーナにほぼ身体を乗っ取られかけているレズン。その両手が、剝き出しになったままのヒロの肩を掴み、まるで万力のように締めつけていく。
それでもヒロはその手を懸命に引き剥がそうとしながら、叫んだ。
「目ぇ覚ませ、レズン!
お前はもう、親に操られちゃいけない!!」
レズンの手を包んだ魔の瘴気と、ヒロの手で煌めくエメラルドの――魂術の輝き。
それが仄暗い室内でぶつかり合い、一気に力の奔流を生んだ
――その瞬間。
どこかで硝子のようなものがバリンと割れる、破砕音が轟いたかと思うと。
ヒロにとっては一番大切な、そして懐かしささえ感じる声が、響きわたった。
「ヒロ様ぁああぁ!!
ヒロ様、ヒロ様、ヒロ様ああぁああぁ!
お待たせいたしました! わたくし、やっと助けに来られましたわぁあぁ~!!」
何もなかったはずの空間を引き裂くようにして、突如としてその場に出現したのは勿論、
――ルウラリア・ド・エスリョナーラ。
一体何をどうしてそうなったのか、完全に人間の姿から触手形態に戻ってしまい、しかも桜色の触手のほぼ全てが煤だらけになって煙まで噴いている、触手令嬢であった。
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