第104話 少年と母と伯爵の真相

 

「君と同じように、私もユイカの記憶をなくした。

 ただ、遠い幼い日々に誰かを愛した記憶。それだけはちゃあんと残っていたんだよ……

 だからこそ私はずっと、ユイカの墓へ通い詰めていた。

 誰の墓かも分からないのに、何となくそこに行きたい――そんな気がしてね」


 静かに語り始めるカスティロス伯爵。ヒロは思い出す。

 ――そういえば、じいちゃんも言っていた。伯爵と、何度も母さんのお墓で顔を合わせたって。


「私は家族にも黙って、ずっとユイカの墓に通い続けた。意味も分からないままに――

 不自然にぽっかりと空いてしまった心の空白。それを埋めるものが、そこにあると思ってね。

 そして、遂に思い出したんだ。この世の誰よりも愛してやまなかった、ユイカのことを!」



 最初は落ち着いていたはずの伯爵の口調が、次第に異様な熱を帯び始める。

 それでも語り続ける伯爵。

 それは、ヒロの全く知らなかった、母ユイカの真実だった。



「ユイカは昔から、とても賢く、勇敢で、愛らしい娘だった。

 そう――ちょうど今の君のように。

 幼き日に舞踏会で出会ってから、私はずっと彼女に恋焦がれていたよ。

 彼女も、まだ貴族の社会を知らない私に、丁寧に色々と教えてくれたものだ。

 私はユイカと、いつか結ばれる。そう信じて疑わなかった」



 伯爵が熱く語るたび――

 ヒロの背筋が、ぞくりと震えた。

 そうはなっていない。伯爵と俺の母さんが結ばれることは、ありえなかったのだから。



「……だがね。

 大人の世界というものは、そこまで甘いものじゃない。

 ある時、私は気づかされたんだ。カスティロス家とグラナート家では、家柄があまりに違い過ぎると。

 爵位の差は今の時代、そこまで問題にはならない。だが、魔物研究といううす汚い仕事を業とする家ではねぇ……ユイカ自身は可憐だったが、私はあの魔物屋敷がどうも苦手だった。

 しかも長い間、魔物まで召使として雇っている。その点は我がカスティロス家でも、大層忌み嫌われていたよ」


 うす汚い仕事? 魔物研究が?

 じいちゃんや、父さんの仕事が?

 その上、スクレットやソフィまでもを――!!


 しかしそんなヒロの怒りに気づかず、伯爵は語り続ける。


「ユイカも聡明だったよ。早いうちにそれに気づいたのか――

 何とも健気なものだった。わざと私に冷たくふるまい、私を遠ざけようとしたのだ。

 どんなに一緒にいようとしても、話しかけようとしても、冷たく切り捨てられた。プレゼントを贈っても突き返され、待ち伏せしても逃げられたよ。

 これ以上二人が一緒にいても、つらい別れが訪れるだけだと――ユイカはそう気づいたのだろうね」


 違う。それだけは違う――ヒロは直感でそう悟った。

 じいちゃんは言っていたじゃないか。


 ――わしは元から反対じゃったし。

 そもそもユイカ自身、あ奴を全く気に入っておらんかったよ。


 じいちゃんと、この伯爵の言葉にズレがあるなら、俺は間違いなくじいちゃんを信じる。

 母さんは早くにカスティロス伯爵に見切りをつけ、別の相手を――父さんを選んだ。

 それだけだ。



「家柄の差で、仕方なく私たちは別れ。

 お互いに別の相手と結婚することとなったが――

 それでも私は、ユイカをずっと忘れられなかった。

 舞踏会や祝賀会といった集まりのたびに、ユイカの姿を遠くから見るだけで、私は幸せだったよ。

 例え向こうが、全く私を見てくれなかったとしても」



 ヒロの心情にも構わず、滔々と語り続ける伯爵。

 その眼にも口調にも、激しい熱情が露わになっていく――そして。



「だが――

 あの女は、それを妬んだ。

 魔妃の血をひいた、あの女が!」



 伯爵の目つきに、狂気の色がさしこむ。

 あの女――つまりレズンの母、レーナ・カスティロスのことを口にした途端に。


「あくまで政略結婚。

 そういう名目だったはずなのに、あの女はこともあろうに私の愛を求めたんだよ。

 魔の血を引いているのは気になったが、私の親はあちらの家に大層世話になっていてね。

 魔物研究のグラナート家を私の両親は徹底して毛嫌いし、私とユイカを引き裂いたが――

 莫大な資産を持つあの女の家には逆らえなかった。その頃のカスティロス家は経済的にも逼迫していたという事情もある。

 それにこの国は、当時から人と魔の和合を積極的に進めていたし、我が家もその政策に乗らざるを得なかった。

 結果、私も婚姻を断ることが出来なかった。なのにあの女は――!!」


 名前を口にするのも嫌だとばかりに、『あの女』と連呼する伯爵。


「それでもあの女と婚姻をかわしたからには、愛はなくとも子供をもうけ、優秀に育てるのが私の義務だと――そう思っていたよ。

 愛はなくとも家族でいるのが、私の役目だと……」


 愛はなくとも子供をもうける? 家族でいる?

 信じられない発言の連続に、ヒロは思わず目を剥いてしまっていた。

 ――そんな環境の下で、ずっとレズンは。


「あの女って……

 レズンのお母さんのことですか」


 そう。レズンの母親であり、同時に魔妃の血をひくレーナ・カスティロス。

『魔妃の角笛』によって多くの魔物を操り、ルウにさえ正気を失わせた。

 ヒロにとっても、許しがたい人物である――しかし。


 そんな彼女に話が及び、伯爵の声が酷く怒りを帯びていく。


「そうだ。ろくに子育ても出来ん癖にカスティロスの妻を名乗り我が物顔で屋敷に居座る、あの女だ!

 家を継ぐべき息子を過剰に甘やかした挙句、何にも出来んろくでなしに育て上げたクズよ――

 しかもユイカに対してまで、あのメス豚は!!」

「母さんに?

 ……教えてください。二人の間に何があったのか」


 伯爵の異様さに寒気を感じながらも、果敢に母のことを尋ねるヒロ。

 母とレーナの間に、何らかのトラブルがあったのは既に分かっている。

 恐らく、息子たる自分を守る為にレーナに立ち向かった母――その真相に近づけるなら、少しくらい怖くたって構うものか。

 そう気持ちを奮い立たせながらの質問だったが――


 伯爵から返ってきたものは、あまりにも衝撃的な発言だった。


「何かあったどころじゃない。

 あの女はユイカに嫉妬した挙句……

 息子を利用してユイカに近づき、あらゆる手段で彼女に嫌がらせを始めたんだ。

 貴族連中の間だけじゃない。息子の学校の保護者会でまで女王の如くふるまっては、ユイカを追いつめた!

 そうだ、ヒロ君。あのクズ息子が君を追いつめたのと全く同じように!!」


 こめかみをぶん殴られたような感覚が、ヒロを襲う。

 息子――つまりレズンを利用して、レーナが母さんに近づいた?

 俺とレズンは、覚えてないほど小さい頃に出会い、いつの間にか仲良くなっていたと思っていたけど――

 それさえも、レーナに仕組まれていたことだったのか。


 しかも、そのせいで……

 俺とレズンが仲良くなっちまったせいで、母さんがレーナに?

 そういえば、じいちゃんも言っていたじゃないか。母さんがいなくなる直前、ママ友の誰かとトラブルを抱えていたって……


「それでも、ユイカは決して負けなかった。君が負けなかったようにね。

 持ち前のカリスマ性と包容力の高さで、ユイカの周りにはいつでも多くの味方がいた。

 聞くところによると、あの女が打ち負かされたことの方が多かったらしい」


 今なら分かる。

 それは恐らく、母が持つ勇者の素質によるところも大きかったのだろう。


「ところがだ……

 あの女の悪事の数々が発覚し、ユイカに行なった様々な嫌がらせが私の知るところとなってね。

 問い詰めた結果、あの魔妃は狂った。

 そしてユイカを、我が屋敷へと呼び出したんだよ――

 私ですら知らない魔の結界を張った、屋敷の地下深くへと」



 そこで伯爵は不意に口をつぐむ。

 あまりの怒りに手まで震え出し、たやすく言葉を継げないといった様相だ。



「――あの日ユイカに何があったのかまでは、私には分からん。

 周囲の者には止められたようだが、ユイカはただ一人であの魔妃と対峙しようとしたのだろう。

 そして数日後だ――エスピリトの森から、変わり果てたユイカが発見されたのは」

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