第100話 一緒に死んでくれよ
「一番最初から、素直にそう言ってくれれば
――俺だって、ちょっとは考えたかも知れなかったのに!!」
レズンにとって、それはあまりにも衝撃的な言葉だった。
傷ついたヒロの身体を無理やり押し倒し、びしょ濡れのワイシャツに手をかけようとした時、雷鳴のように轟いたヒロの絶叫。
レズンにしてみればあまりにも長い葛藤を経て、ようやく紡ぎ出した、『好き』の言葉。
その言葉さえ告げられれば、何もかも解決するに違いない。ヒロだって、自分を受け入れるに決まっている。レズンはそう思い込んでいた――
それは間違いなく、レズンの幼さと傲慢である。
「……何言ってやがる」
そんな一言が、思わず唇から転がり出した。
やっと言えたのに。やっと、自分に正直になれたのに。
最初からそう言え、だと?
俺がどれだけ悩んだと思ってるんだ。
ヒロを強引に両腕で抱き起こす。半分泥に浸かっていたも同然のヒロの身体を、さらに滝のような雨が洗い流していく。
びったりと身体に張りついたワイシャツから透ける肌。そこに飛沫となって飛び散る雨。
ガタガタ震えながら、それでもぎりっと唇を噛みしめて自分を睨む、若草色の瞳。
それが、レズンの欲求をさらに加速させていった。
「なぁ、ヒロ。
俺を受け入れてくれよ……」
「嫌だ」
「何でだよ。もう俺には、お前しかいないんだ」
「だったら何で、あんなことばかりしたんだ!
ずっと痛い目に遭って、何も出来なくて、誰にも相談できなくて……
どれだけつらかったか、少しでも考えたのかよ!?」
「そんなの俺だって同じだ。
お前のことを考えたら、いてもたってもいられねぇ。気づいたら、お前のことしか頭になかった。
だけどそんなの、誰にも話せるわけがなかった。
今やっと、お前に、お前だけに言えたのに……
なんでそんなこと言い出すんだ。なんで!!」
全く交わることのない、二人の会話。
ヒロの背中に手を回し、腰を強引に抱こうとするレズン。それでも唇だけは奪われまいとしてなのか、ヒロは全力で顔を背ける。
薄手のワイシャツを通して感じられるヒロの体温と肌の弾力が、レズンを欲求の坩堝へと突き落としていく。もう止まらない。
レズンに組み伏せられ、ヒロは無理やり背中から押し付けられてしまう。もはや川と化している地面へ。
「うぅっ……!」
痛みに顔をしかめるヒロ。
左肩の傷口が再び開いたのか、水煙に混じって血の匂いがする。
身体の熱に混じる雨と鉄の匂いが、レズンの感情をさらに高揚させていく。
どれだけヒロが抵抗してももう、レズンはヒロを離そうとしなかった。
「これだけ我慢したんだ。もう逃げられると思うなよ」
「ぐ……そんな、ただのワガママじゃないか!」
「ふざけんな」
「!」
思わずカッとなり、ヒロの頬を叩き払うレズン。
欲求と共に、怒りの衝動さえもがレズンを突き動かしていく。
「最初から言ってくれれば、だと?
最初から言えてりゃ、俺ぁこんな苦労もしなかったんだよ」
「……!」
「最初から好きだって言ってりゃ、ちょっとは考えた……?
なら、今だって大丈夫だろうが」
「違……ぐぅっ!!」
ヒロを押さえ込みながら、レズンは力まかせに平手で頬を打ち続ける。
「お前は言ったよな。俺と話がしたいって……
何か悩んでるなら、自分に出来ることなら何でもするって!
だから俺は話したんだぜ? 自分の本心を。
誰にも言えなかった気持ちを――!!」
言葉にするたびに、さらに荒ぶる感情。
憤怒のままに、レズンはヒロの襟元を思い切り縦に引きちぎった。
「あ……うあぁあっ!!」
ヒロの悲鳴が、雨を切り裂いていく。
彼の水兵服を切り刻んだ時の仄暗い欲求が、レズンをさらに暴走させていく。
トラウマが蘇ったのか、思わず身体を震わせて目を背けるヒロ。
そんな彼の胸に、腹に、レズンは容赦なく拳を何度も叩きつけた。
それは学校でヒロを痛めつけていた時の行動と、一切何も変わっていない。
「ぐ……あぁ……!!」
「なのに何で今、てめぇは俺を拒絶する!?
親父もお袋も、誰一人として俺を受け入れなかった。
どんなに俺が泣いても叫んでも、誰も俺を見ちゃくれなかった!!
周りの奴らは俺の家と金にしか興味がない。俺のことなんか、最初から誰も見ちゃいねぇ!!」
「だからって……!」
だがそんなレズンの言葉にも、ヒロはもう怒りを隠さない。
「それが、他のみんなを傷つけていい理由にはならないだろ!?
俺が欲しかったって、ただそれだけの理由でルウを操って、みんなを傷つけたのなら――
俺はもう、レズンを許せない。
レズンがやったことは、俺にとってそう簡単に許せるものじゃないんだ!」
「な……畜生が!」
レズンはさらに何度も、ヒロの頬を打つ。
何でだ。俺は謝ったじゃないか、さっきだって。
それなのにお前は、何で俺を受け入れない。何で俺を好きにならない!?
お前は俺の、『友達』じゃなかったのかよ。
「そこまで言うなら、何で俺に手を伸ばした!?
俺を好きにならないなら、何で俺に希望を見せた!?
言っただろ。てめぇのそういうところが、一番ムカツクって……!」
言葉と共に、何度も何度もヒロを殴り続けるレズンの拳。
レズン自身も泥にまみれ、もはや両手は真っ黒。
それでもヒロは決して折れず、傷だらけになりながらレズンを睨みつけていた。
その瞳には絶望を突っ切ってしまったかのような、諦念が満ちている。
「……レズン。いい加減にしろよ」
「何を!」
「もう、無理だ」
汚れた手でヒロの前髪を掴みながら、それでもヒロを抱こうとするレズン。
「おかしなこと言うなよ。
俺たちは昔からずっと二人、お互い助け合ってきたじゃないか……」
猫なで声でヒロをなだめつつ、その片手は引きちぎらんばかりに髪を掴み、もう一方の手はヒロの腰に回されている。
それでも――ヒロは屈しなかった。
「その気持ちは俺だって同じだったよ。
だけど、ずっとそう信じていた俺を裏切ったのはレズンだろ」
「だから、何度も言ってるだろうが。悪かったってさぁ……
なぁ、ヒロ。ずっと俺のこと、知りたかったんだろ? 分かりたかったんだろう?
だったらおかしなわがまま言わずに、俺を分かってくれよ。
俺を受け入れてくれよ。俺を……!」
しかし、ヒロの血まみれの唇から紡がれたものは――
レズンにとって絶望的な、言葉。
「もう無理だって言ってるんだ。
俺は、レズンの気持ちを知るより先に
――ルウに出会っちまったんだから!!」
どん、という衝撃と共に、突き飛ばされるレズンの身体。
予想外の抵抗に、レズンは思わず尻もちをついてしまった。
ヒロの術か。一瞬そう思ってヒロを睨んだものの、その手からは術の光らしきものは何も放たれていない。
ということは――
俺はヒロに、単純に腕力で突き飛ばされたってのか。
成績も、頭も、術も、何もかも――
腕力でさえ俺は、こいつに負けたのか!
気持ち悪い泥水の感触が下半身から湧きあがり、同時に彼の怒りもさらに理不尽な方向へと暴走していく。
「そうか……
そんなに俺が嫌いか。
そんなにあの変態触手の方がイイってのか。
俺がどんなにお前を想って悩んでいたか、何も分かってねぇ癖に!!」
再びヒロに組みつき、怒りと欲求と力にまかせて押しつぶそうとするレズン。
それでもヒロは、傷ついた左腕まで必死に動員して抵抗する。
「ルウをこれ以上馬鹿にするな!
ルウは一生懸命、俺を分かろうとしてくれた。自己主張も結構強かったけど、それでもちゃんと俺を分かろうとして、受け止めてくれたんだ!」
「人間に化けてる時だけはそこそこカワイイしなぁ、あの怪物女。
あんな見かけに騙されやがって」
「レズンは自分のことばかりだ。俺のこと全然分かってないし、分かろうともしてないだろ!!」
「てめぇは俺の親父やお袋以下だよ。
ありもしない希望を見せつけて、他人をさらなる絶望に突き落とす」
「違う、レズン!
俺はただ、きちんと謝ってほしいだけだ!
今のレズンからは、何も響いてこない。自分がどういうことをしてたか、本当に分かってるのかよ!?」
レズンの想いを、ヒロは決して受け入れず。
ヒロの言葉もまた、レズンに届くことはなかった。
どこまで行っても、二人の言葉は交わらず。
どんなに言葉を交わしても、二人は衝突を繰り返すばかり。
――なら。
もう、方法なんて、一つしかねぇだろ。
「……一緒に死んでくれよ」
レズンの唇から転がり出た、低い呟き。
同時に彼の両手が、思い切りヒロの首筋を掴んだ。
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