第96話 クズ、期待する

 

「――理由なんかお前に教えて、どうなるってんだよ」


 冷たく吐き捨てるレズン。

 叫び続けるヒロを眺めながら、彼は他人事のように考える。


 そうだ――俺の気持ちは、もう昔には戻らない。

 ヒロとただの友達でしかなかった、昔には。

 その証拠に今も俺の眼は、ヒロの身体を探っている。

 首筋を、鎖骨を。剥きだしになった白い肩を。


 それでもヒロは、一心不乱にレズンを見つめていた。

 ただひたすらに真っすぐな、エメラルドの眼差しで。

 眦からはぽろぽろと涙がこぼれだしている。



「俺、直すから……

 俺に悪いところがあるんだったら、俺、直すから!

 弱い俺が嫌いなんだったら、もっと強くなるから!」



 そんなヒロを見ていると――

 不意にレズンの中で、またもあの記憶が蘇ってきた。

 ヒロの叫びと共に。



 ――自分のことクズだとか……そんな悲しいことばかり、言わないでくれよ。

 ――お願いだから、もうこれ以上、自分を傷つけるようなことばかり言うな!!



 あの小島でヒロを散々痛めつけた挙句、角笛の力を失い。

 俺は大人どもに取り囲まれ、何もかもを失った。

 それでもヒロは――俺に手を伸ばしてきた。



 ――もしかしたら。



 どくん、とレズンの中で何かが疼く。

 それは、ずっと心のどこかで期待しながら、そのたびに激しく否定し続けた希望。



 ――もしかしたら。

 ヒロは、こんな俺でも……

 いや、無理だ。絶対に無理だ。そんなわけがない。



 自分の中の希望をねじ伏せるように、レズンも叫ぶ。



「てめぇが何しようが、無駄なこった。

 俺はとっくにドクズに成り果てちまったんだよ!」

「何で! だから何でだよ!!」

「てめぇのせいだ。ヒロ、全部てめぇのせいなんだ!!」

「だから理由を言ってくれよ! 何で俺のせいなんだよ!!」



 胸の奥から猛烈に湧き上がってくる願望。

 それを必死で否定しようとするレズン。

 駄目だ。そんなわけがないだろう、そんなわけが……

 しかし無防備かつ純真そのもののヒロを見つめていると、否定の感情が恐ろしいほどに薄らいでいく。



 ――もしかしたら。

 もしかしたら……



 そんなレズンの葛藤も知らず、ヒロは少し恥ずかしそうにうつむき、胸元を隠した。レズンの視線が気になったのか。

 まだ乾ききっていないワイシャツごしに、うっすらと肌が透けている。しゃくりあげ、震え続ける小さな肩。



「もし、俺の……何もかもが、本当に嫌いなんだったら。

 俺、もう二度と、レズンに何もしないけど……

 でも、理由は知りたいんだ。

 お願いだよ……!」



 その瞬間、さらに強烈に湧き上がってきたものは。

 レズン自身にとって非常に都合のいい、願望だった。



 ――もしかしたら。

 ヒロも、俺を好きだったのかも知れない。



 一度浮き上がってしまったその願望は、レズンの中で瞬く間に形を変えていく。

 それは最早、妄想と言っても過言ではなかった。



 ――そうだよ。

 でなけりゃ、ヒロが俺をここまで信じる理由がない。

 ヒロがここまで身体を張って、俺を助けようとしているのは――



 ならば。

 もしかしたら、ヒロは。

 こんな俺を、こんな俺でも、受け入れてくれるかも知れない。



 もしそうなら、俺が今までやってきたことは何だとなるが――

 些細なことだ。もう、過去のことだ。

 気づくまでに、ちょっとばかり時間がかかっただけさ。



 一度膨れ上がった願望は止まらない。

 レズンの中で、全てが彼にとって都合よく書き換えられていく。



 そうだ。ヒロだって、俺が好きだったんだろ?

 だから俺にあれだけ酷い目に遭わされても、我慢してたんだろ?

 むしろ、嬉しかったんじゃねぇのか。俺に弄られるのが。



 だったら、俺の気持ちだって――



「ヒロ。

 一度しか言わないから、よく聞けよ?」



 両の手でヒロの肩をわし掴み、ついにレズンは口にした。

 ずっと言えなかった、言葉にすることすら憚られた、その欲望を。




「俺さ……

 好きなんだよ。お前が」




 宝石のような涙をこぼしながら、ぽかんとレズンを見つめるヒロ。

 何を言われたのか、まるで理解できない。そんな表情。

 頬にこぼれおちる涙さえも奪い取るように、レズンはヒロの頬にぬっと顔を近づける。


「あ……えっと……

 その……レズン?」


 意味は分からずとも、その異様さを感じ取ったのか。

 ヒロは反射的にレズンの唇を避けてしまう。

 それでもレズンはヒロの肩を両手でぐっと掴んだまま、強引に引き寄せた。

 濡れたワイシャツごしに、ヒロの心音が身体に直接響いてくる。紅潮している頬に、さらに流れ落ちる涙。

 その一粒を、レズンはべろりと舌で舐めとった。



「――!!」



 ヒロの全身が、ぶるっと震える。

 それをからかうように、レズンは彼の耳元で囁いた。


「あれ? 分かんねぇか。てめぇはまだまだお子ちゃまだもんなぁ~

 なら――!」


 肩に回っていた右手が、するりと背中から腰へと回った。

 そのままワイシャツの裾をめくりあげ、臍からズボンの中に入っていく太い指。

 やっぱりヒロの肌は艶やかで、すべすべだ。尻にも適度に筋肉がついて、弾力もある――

 自分の息が荒くなっていくのが、はっきり分かった。



「や、やめっ……レズン!」



 ぶるぶる震えながら、身を縮めるヒロ。

 しかしレズンはもう、止まらない。左手でヒロの後頭部を抑えながら右手はヒロの身体を弄り、乾ききった口腔はひたすらにヒロの唇を求めていた。

 もう、言葉にしてしまった。口にしてしまったんだ。

 もう戻らない。もう、戻れない。こうなったら――!!



 その欲望のままに、ヒロの唇を奪おうとするレズン。

 だがヒロはそれでも懸命に、レズンから逃れようと顔を背ける。

 ベッドの上でもみ合う二人。ヒロは叫ぶ。



「そんなわけない!

 だって、レズンは……」

「そう、俺は男でてめぇも男だ。俺だって最初は信じられなかったし、信じたくもなかったさ。

 だから今まで必死で抑えてた。だからお前を殴ったり、結構酷いこともした。

 そいつぁ悪かったと思ってる」

「そんな……!!」

「だが、もう無理だ。もう耐えられねぇ。

 ヒロ――てめぇが俺を、こうしちまったんだよ!!」



 ヒロの叫びを覆い隠すように、レズンも叫ぶ。

 背けられるその顔を、無理矢理こちらに振り向かせ、口元を押し付けた。だがあと少しのところでヒロの唇には届かず、その舌は頬を舐めるばかり。

 苛立ったレズンは遮二無二ヒロを抱こうとしたが、ヒロはその腕の中で必死で暴れた。



「違う。違うよレズン……

 こんなの、違う!!」

「何が違う。

 てめぇは理由が知りたかったんだろ? 俺がてめぇに当たり散らす理由を。

 それがコレだ」



 ヒロの首筋に飛び散った血の塊さえも、逃がさないとばかりに舐めとるレズン。

 そのままレズンは、ヒロの耳たぶにまで舌を絡めながら、そっと囁いた。



「なぁ、ヒロ。お前も言ってたよな。

 どんなことがあっても、俺たち、『友達』だろ?

 だったら、俺の気持ち。受け入れてくれよ……」



 囁きと共に、次第に唇へと近づいていく、レズンの舌。

 だがレズンはその瞬間、禁断の言葉を口にしてしまう。

 ヒロの前では、絶対に言ってはならない一言を。



「少なくとも――

 あの触手のバケモンよりか、全然マシだろ?」

「――!!」



 その瞬間だった。

 レズンの腹に、思わぬ衝撃が走ったのは。

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