第93話 触手令嬢、狂乱する


「い、イヤアァアァア!!

 な、なななな何ということ!! ヒロ様、ヒロ様ぁああぁああぁ!!?」


 グラナート家の大広間にて。

 わたくしはほぼ半狂乱になって、鳥籠の中でじたばた暴れまわっておりました。

 それはそうです。だって、眠りから覚めたと思ったら――

 ヒロ様が、すぐそばにいたはずのヒロ様が、忽然と消えていたのですもの!!


「ルウ様! ど、どど、どうか落ち着いてください!! 怪我してしまいますよ!!」


 わたくしが暴れるあまり、倒れかかる鳥籠。

 それを慌てて押さえたのは、もこもこメイドのソフィでした。

 そう――わたくしたちの目を覚ましてくれたのも、このソフィだったのです。



 わたくしのみならず、骸骨執事スクレットも。そして、わたくしのお目付け役たるカシムまでもが何故か眠らされていました。

 難を逃れたのは、たまたま外に出ていたソフィだけ。

 ソフィが大慌てでわたくしたちを起こしてくれたおかげで、ようやく緊急事態に気づいたのです。

 カシムはといえば、全触手を床に伸ばして平身低頭しながら謝り倒すばかり。


「も、申し訳ございませぬお嬢様……!

 私ともあろう者が――王から力を託されていながら、ヒロ殿を……!!

 こうなったら、全触手をかっさばいてお詫びを!!」

「やめなさいカシム!

 貴方がそんなことをしたって、ヒロ様が戻ってくるわけじゃありませんわ!!」


 冗談ではなくカシムは自らの腹にあたる部分を引きちぎろうとしていましたので、わたくしは慌てて止めました。

 スクレットもガタガタ骨を軋ませながら叫びます。


「そ、そうだぜ! オッチャンが死ぬならオレだって死ななきゃなんねぇ!!

 オレだってヒロの執事で護衛なんだからな!!」


 大混乱に陥りかけたわたくしたち。

 しかしそこへ響いたのは、しっとりと落ち着いた低い声でした。



「とりあえず冷静になろう、みんな。

 意味なく騒いだところで、時間の無駄だ。それよりは、どうやってヒロ君を助けるか――

 ちゃんと考えないとね」

「か、カイチョー!?」「それに、おじい様まで……」



 そこにいたのは、いつの間にか戻ってきていた会長とおじい様。

 ソフィが頼もしげに会長を見上げながら、早口で説明してくれます。


「私がお庭から戻ってきたら、皆さまが全員で昏々と寝ておられまして。

 そしてヒロ様のお姿は、どこを探しても見当たらず。

 しかもこの、鬼魔百合の香りを百倍酷くしたような奇天烈な臭いがそこらに充満しておりまして……

 これは一大事だと思ったので、ロッソ様と旦那様に連絡したのです。

 すみません……私がもっと早くに戻ってきていれば」


 そう口にしながらしょげるソフィ。

 しかし会長はすぐに彼女の前で膝をつき、その毛むくじゃらの短い手をそっと包み込むように握りしめました。


「いや、ソフィさん。早々に戻っていたら、貴女も同じように眠らされていた可能性が高い。何しろ相手は魔妃の末裔――ちょっとやそっとで対抗できる相手じゃない。

 むしろ貴女が非常に幸運なタイミングで戻ってきてくれたおかげで、僕らもこちらの状況が分かったんだよ」

「そ、そうですか?

 なら良いのですが……いや、良くはありませんが」


 そんな会長の態度を一瞬理解しかねて、つぶらな瞳できょとんと会長を見つめるソフィ。

 それでも会長は彼女をべた褒めです。ソフィを至近距離で直接触れてとても嬉しそう。

 さっきまで冷徹だったはずの紅の眼光さえ、今やアイドルを見つめるオタクの熱視線と化しております……


「これは殊勲賞ものなんだ、ソフィさん。

 貴女がいち早く機転をきかせて僕らに連絡してくれたから、僕らも事態に気がつけた。

 魔妃の罠にまんまとハメられたことにね」


 あぁもう、謎のいちゃつきはそれぐらいにしてください。

 というか、魔妃の罠? どういうことでしょう。


 するとおじい様が進み出て、おもむろに切り出しました。


「結論から言うと――

 カスティロス家に出現した魔法陣は、ワシらの力でもどうにもならんかった。

 恐らく魔妃の結界に繋がっており、そこにレーナ・カスティロスが潜んでいるであろうことは分かったが、それ以上はどれほど術をぶつけてみてもビクともせんでな……

 大がかりな術式を準備せねばと話し合っていたその時、ソフィからの連絡があったんじゃ」


 会長も若干悔し気に唇を噛みます。


「それで僕らは思ったんだ。

 魔法陣の出現自体が、ヒロ君から僕や子爵を引き離す為の罠だったんじゃないかとね。

 僕らがこの屋敷を離れたら、ヒロ君の周囲に残っているのは囚われのルウさんと、怪我をしているスクレット、戦闘能力を持たないソフィさん。まともに動けるのはカシム殿一人だけだった。

 それなのに僕らは魔妃の力を甘く見て、まんまとヒロ君を攫われた……

 僕自身、本当に迂闊だったよ」

「お、お詫びの言葉もございませぬ……!!」


 最早絨毯の如く全触手を床に伸ばしながら、ひたすらに謝り続けるカシム。

 そんな中、おじい様はクンクンと鼻を鳴らしつつ、注意深く広間を見渡していました。


「まだここには魔妃の残り香があるな……

 この強烈な臭いは、あ奴の幻夢術か」

「そのようですね。あの術は超レアな魔石を使って防御を施さねば魔王でさえも対処不可能だったそうだし、いかにエスリョナーラ王の力をもってしても対抗するのは難しい。

 それに、この香り……かすかに桜の匂いも混じっている」


 うぅ。わたくしの嗅覚はまだ完全には目覚めていないのか、トイレの芳香剤の如き強烈な臭いしか感じ取れません。これが魔妃の幻夢術の痕跡なのでしょうか。

 しかし、桜の匂いとは?


「言われてみれば……これは、水晶果の匂いじゃな。

 この付近では非常に珍しい。迷いの水晶森でしか取れないレア物じゃぞ」

「迷いの水晶森……

 カスティロス家管轄の、あの森ですか!?」


 水晶果に水晶森。謎のワードが出てきましたが、少しでもヒロ様を探す手がかりになるのでしょうか。

『迷いの』とついているのが非常に不吉です。もしやそこにヒロ様が? 一体何故?


 会長はふとカシムを見据えると、その眼前に膝をつきました。


「顔を上げてください、カシム殿。

 自らの腹をさばくよりも、貴方には別の形で責任を取っていただきたい」

「と……仰いますと?」


 何を言われたのかよく分からないのか、ぽかんと頭を上げるカシム。

 しかし会長は間髪入れずに言い放ちました。


「今すぐルウラリアさんを解放してください。

 もし僕の予想通り、ヒロ君があの悪夢の森へ攫われたとするなら――

 あそこを無理にでも突破するには、僕らだけでは力不足だ。ルウラリアさんにも力になってもらわねば!」



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