第92話 クズ、傷を診る
そっと左肩に触れ、再び水術を発動させて治療を試みるヒロ。
しかしやはり力が弱っているのか、傷口はなかなか塞がらない。
窓の外から入ってくる、ほのかな水晶の光。それが、濡れたヒロの身体の線をよりくっきりと浮かび上がらせている。
わきあがる感情に耐えきれず、レズンは思わずヒロの両肩を掴んだ。
「何だそれ……わけ分かんねぇ!」
「わっ!?」
そのままの勢いで、ヒロをベッドに押し倒す。
馬乗りになったレズンは、ヒロの血まみれの左肩にぐっと手をかけた。
真っ青になり、顔を背けるヒロ。
やっぱり俺を怖がってやがる――そんな失望が、レズンの胸に押し寄せた。
「な、何する気だよレズン!?
や、やめ……っ!!」
「うるせぇ! ガキみてぇにピーピー騒ぐんじゃねぇ!!」
「嫌だ! もう嫌だ、やめてくれよぉっ!!」
血に濡れそぼった左袖を、思い切りビリビリと引き裂いていくレズン。
ひときわ甲高い悲鳴を上げるヒロ。しかしレズンは反射的にその頬を思い切り殴りつけ、さらに袖を引きちぎっていく。
絶叫と殴打、そして布の裂ける音が交互に鳴り響いた。
学校のトイレで、ヒロの服を切り刻んでいた時と同じ快感と恍惚が、身体中にせりあがってくる。
ヒロも恐らく、あの時と同じ感情を抱いているのだろう。ただしそれはレズンとは真逆の、恐怖と絶望に違いないだろうが。
――だが。
「ほらみろ……まだ出血してやがる。
てめぇのチャチな水術ぐらいで、治る傷かよ」
剥きだしになった白い二の腕には、半円状に幾つもの小さな穴が穿たれていた。
恐らく、イブルウルフの咬み跡だ。強引にヒロに噛みつき、肉をひきちぎろうとしたんだろう。
見た目以上に傷は深いのか、ヒロがどれほど術をかけてもまだ傷の奥からじわじわと出血が続いている。
さらにその上、肩に近いあたりには――
まだ完治していない、黒い痣があった。
恐らくルウラリアの触手が直撃し、大きく抉れた傷だろう。ルウラリアを操ってこの傷をつけさせたのはレズン自身だが。
彼女の治療により、今は治りかけの痣にしか見えない傷。それでもその黒は、ヒロの肌を執拗に侵食していた。
「い……嫌だ……もう、嫌だ……」
唇をぶるぶる震わせながら、必死で顔を背けるヒロ。
その眦から溢れ出す涙。
よく見ると、ヒロの身体のあちこちに同じような痣がある。
胸にも、首筋にも、わき腹にも。頬もよく見ると、まだ僅かに腫れあがっている。
服を完全に脱がせば、さらに多くの場所に傷跡が見えるに違いない。
――レズン自身が散々ヒロを傷つけ、痛めつけた。その何よりの証左が。
「……何だよ。
ホント、わけ分かんねぇぜ。頼みもしないのに勝手に俺を助けといて、俺を怖がるとかよぉ」
それらの痣から無理やり視線を引き剥がし、レズンはベッドの隣の棚を見た。
あそこに救急箱があったはず。親父が言ってたな、監視所にはだいたい、治癒術を封じ込めた薬箱があるって――
確かに棚の上の方に、昔と同じ緑の救急マークが刻まれた木箱があった。
今でも使えるといいが。思わず棚に駆け寄り、木箱を手に取る。かなり埃はかぶっていたものの、蓋を開いてみると。
黒い丸薬が大量に詰め込まれた琥珀色の小瓶が、真っ先に目についた。
「――これだ」
レズンは思い出す。親父がよく怪我の応急処置に使っていたヤツだ。
丸薬を一粒取り出すと、改めてヒロの傷口を見る。
まだ出血が続いている、黒く濡れた傷口を。
確かこの薬を使う時は、親父はこうやって――
レズンはおぼろげな記憶の中から、何とか呪文を思い出して闇雲に呟いてみた。
これは消毒用の呪文だったっけ。やたらと頼りない記憶だったが、それでもある程度術は成功したのか。
薬をつまんだレズンの手が、白い光に包まれていく。
「ヒロ。ちょっと痛いかもしんねぇけど、我慢しろよ」
「……うぅ……レズン?」
「そもそも、勝手な真似したてめぇが悪いんだからな」
そう呟きながら、レズンは丸薬をほぼ力任せに、ヒロの傷口へと押し込んだ。
途端、痛みに満ちた絶叫が小屋中に響く。
「あ……がぁっ!!」
反射的に身体をエビのように反らし、激痛に悲鳴を上げるヒロ。
慌ててその身を両足と片腕で抑え込みながら、レズンはそれでも薬を指でぐいぐいと傷口へと押し込む。血塗られていく指。
おかしい。親父が患者にやってた時は、ほぼ痛みもないように見えたのに。
「痛い、痛い、痛いっ!!
やめっ……レズン!!」
「だからうるせぇ!! 暴れたら入るもんも入らねぇ!!」
「嫌だ、嫌だぁあっ!! ルウ、ルウーっ!!」
「バカ、このっ……!」「んぐっ!?」
あまりにヒロが暴れるので、レズンは咄嗟にバスタオルを掴んだ。
それを無理やりヒロの口に押し込む。確か、痛みが酷いと患者が舌を噛み切ってしまうことさえあるって、親父が言ってたような……
ぼんやりとそんなことを思い出したレズン。それでもヒロは痛みに呻き、なおもレズンの手から逃れようと虚しい抵抗を繰り返す。
真っ赤に上気した頬には、ぽろぽろと涙が転がり落ちていた。
「ん、んんっ……うー!!」
「……がぁ……このっ……!!」
――もうちょっと、真面目に医術を勉強しておけば良かった。
そうすれば、もっとちゃんと、ヒロを治療できたかもしれないのに。
――っていうか。
何で俺、ヒロを治そうとかしてるんだ。
こいつは俺にとって、一番忌むべき存在なのに。
俺をこんなクズにした。俺の、引き出しちゃならない部分を引きずり出した……
本当なら、俺の前にいちゃいけないヤツなのに。
なのに……
ヒロの痛々しい悲鳴が響く中、レズンはぼんやりとそんなことを考えていた。
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