第86話 触手令嬢と超絶面倒な一家

 

「なっ……!?

 なんとまぁ……めんどくさい一家じゃのう!!」


 なんということ。これはおじい様に完全同意です!

 レズンといいその親といい、この家族はどれだけ周囲に迷惑をかければ気が済むのでしょうか。

 おじい様も苛立ちを隠さず、お髭を思い切り三本ほどブチブチ引きちぎりながら腰を上げました。


「さすがにわし一人では心もとない。

 相手は魔妃じゃ。末裔といえど、何が起こっても不思議ではないぞ」

「勿論、僕もお供いたします。レズンとその母親が魔法陣の奥にいる可能性は否定できませんからね。

 出来れば、もう少し応援は欲しいところだけど……」


 会長はちらりとわたくしに視線を向けましたが、当然わたくしは囚われの身。

 うぅ。これでは、肝心な時に役立たずのダメヒロインですわぁー!!


「ルウさんは無理だし、スクレットも……」


 思案にくれる会長。

 スクレットが元気よく飛び跳ねました。しかし。


「カイチョー! オレなら大丈夫、いつでも準備オッケーだ

 ――って、イテ、イテテテ!! ヒビが、骨のヒビがヒビいたぁ!!」


 思い切りソファへ飛び上がった途端、そのまま腰から崩れ落ちてしまうスクレット。

 どう見ても無理そうです。会長はちょっとだけため息をつきました。


「仕方ないね。

 ヒロ君は……当然駄目だし」


 冗談ではありません。ヒロ様を再び魔妃の手に晒すなど、あっていいわけが。

 しかしヒロ様は身を乗り出します。


「会長、じいちゃん。俺も行くよ。

 レズンがどこ行っちゃったのか、心配だし!!」

「駄目じゃ。お前、奴に何をされたか分かっているのか!?

 せっかく治った傷を、またこじ開けられても良いと!?」


 おじい様も眉を吊り上げてヒロ様を諫めます。それでもヒロ様は食い下がりました。


「でも……それでも、レズンは……」

「駄目だよ、ヒロ君」


 会長も冷徹にヒロ様を退けます。


「さっきの話で分かっただろう。レーナ・カスティロスの狙いは君だ――

 ならば、君が下手に動くのはどう考えても危ない。

 ルウさんはこの状態だけど」


 会長はゆっくりカシムに視線を向けました。するとカシムは胸を張りつつ、うねうねと触手を得意げに伸ばしてみせます。


「お任せ下され。

 私はわずかとはいえ、我が王の力を託された身でございます。必ずや、ヒロ殿をお守りしてみせましょうぞ!」


 なるほど……

 わたくしが動けない以上、会長はカシムにヒロ様を託すおつもりなのですね。

 会長は改めて眼鏡をくいっと直し、姿勢を正しました。


「ただ、カシム殿。

 もしヒロ君に危機が迫り、貴方だけで対応できない事態が発生したら。

 その時は……どうか、柔軟な判断をお願いしたい。

 このお屋敷にはソフィさんもいる。ヒロ君のみならず、彼女にまで危害が及んだ場合――」

「ソフィ?

 あぁ、あのノーム族のメイドですか」


 のほほんと答えるカシム。しかしその瞬間、会長の紅の眼光が眼鏡の奥からギロリとカシムを射抜きました。

 こ、これはまさしく魔王のひと睨み。その銀髪も心なしか逆立っております。

 さすがのカシムもぶるっと震えあがったようですね。



「――その時こそ、僕は正気を失う。

 恐らく、魔王の末裔の名にふさわしい行動をとるでしょう。

 この言葉の意味は……分かりますね?」



 ま、まずいです。会長の言葉自体は丁寧なだけに、余計に凄みがあります。

 これはソフィに万一があれば、魔王と触手族の大戦争になりかねません。ヘタをすればこの街、いやこの国ごと一瞬で吹き飛んでしまうほどの。

 ソフィ本人はそんなことなど露知らず、一生懸命お洗濯ものを取り込んでいる最中でしょうに。


「わ、分かりました。

 どうかお静まりくだされ、ヴァーミリオのご子息殿。何がお気に召さなかったのか分かりかねますが」


 そうでしょうね。教えられていなければわたくしも多分理解不能でしょうから。


「ともかくこのカシム、ヒロ殿をお守りする為全力を尽くします。信用してくだされ」

「ヒロ君は勿論だが、この屋敷の者たち全てを守ると約束してくれ。人も魔物も、勿論ソフィさんも、全員だ。

 ソフィさんの命は当然として、彼女を悲しませたり苦しめたりするようなことはあってはならない。元々その為に、僕はこの件に首を突っ込んだようなものだからね」

「……???

 わ、わわ、分かりました」


 不承不承ながらも頷くカシム。

 そして会長は改めてヒロ様を振り返りました。


「いいかい、ヒロ君。

 レズンは確かに、君の親友だったのかも知れない。どうしても感情的になるのは分かる。

 しかし同時に、君の身も心も深く傷つけた者でもある。それに君のみならず、ルウさんを始めとして多くの者たちを巻き込み、血まで流させた。

 過去にどれほど彼が君に優しかったからといって、許される行為ではないんだよ」

「…………」


 そんな会長の言葉に、ヒロ様は何も言えず座りこんでしまいました。

 きっとヒロ様も、頭では分かっているのでしょう。レズンがどれほど極悪な存在になってしまったか、ヒロ様自身その身体に嫌というほど刻みこまれてしまったのですから。

 それでも――彼は納得できない。

 先ほど泉でヒロ様は仰いました。レズンは何故、あそこまで自分を嫌いになったのかと――

 その答えが分からない以上、ヒロ様は到底納得できない。ただレズンがざまぁされるだけでは、ヒロ様の不満が燻るばかりでしょう。


 レズンが何故あぁなってしまったか――

 わたくし自身は既に、何となく想像はついています。

 しかしそれをわたくしの口から告げたところで、ヒロ様がにわかに信じられるとは思えません。ヒロ様にとってレズンはあくまで、今でも大切な『友達』なのでしょうし。

 もしかしたら、ヒロ様自身も心のどこかで気づいている可能性もあります。ただ、それを決して認められていないだけかも知れません。


 ただ、ヒロ様へのあの行為の数々を客観視すれば――

 ヒロ様への尋常ならざる感情がレズンの中で膨らんでいるのは確実でしょう。周囲にどれほど危害を及ぼしてでも、ヒロ様を自分のモノにしたい。ヒロ様を弄びたい。

 それは単純な好き嫌いでは済まされない、恐ろしく危険な感情です。どれほどためこんだらこうなるのかというレベルまで歪みきった欲求。


 そのような危険人物の前に、むざむざヒロ様を放り出すようなことがあってはならない。

 わたくしはそっと、鳥籠の中からヒロ様に囁きました。


「ヒロ様。どうかここは、会長の仰る通りになさってくださいな。

 全てが落ち着いたらレズンをとっちめて、ヒロ様の何が不満なのかを洗いざらい吐かせてみせますから」

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