第84話 触手令嬢、触手に拘束される


 な、なんと。

 レズンが家を飛び出した?


「か、会長……

 それ、ホント?」


 当然ヒロ様も思わず腰を浮かせています。

 窓の外は先ほどの雨がいよいよ激しくなり、ざぁざぁと音を立てながらガラスを水が流れだしていました。ほぼ豪雨。


「伯爵が無理やり彼を家に帰した、その直後だったらしい。

 親子で喧嘩になって、何とかレズンを部屋に閉じ込めたが――

 気づいたら、窓から逃げていたそうだ」

「そんな……レズン。

 こんな嵐なのに、どこへ?」


 不安げに外を眺めるヒロ様。

 というか、あそこまでされてもレズンの心配をするヒロ様、健気というかお人好しが過ぎるというか。


 それに、大事なことをひとつ忘れていました。

 わたくしは思わず叫びます。


「そ、そういえば。

 問題のレーナ・カスティロスは。魔妃の末裔とかいう毒母は今、どこに!?」

「それも不明だ。学校の事件が沈静化した直後から憲兵たちが探し回っているが、消息が掴めない。

 彼女がレズンを連れ去った可能性も考えられる。そうなれば、また……」


 素早くヒロ様とわたくしに視線を送る会長。

 その意図は明白です。ヒロ様に再び、危機が迫っている。


「そういうことならばお任せください、ロッソ会長!

 今度こそわたくし、ヒロ様を完璧にお守りしてみせますわ!!」


 胸を大きく張りながら、堂々と宣言するわたくし。

 ヒロ様が少し嬉しそうに、そんなわたくしを見上げてくださいました。


「ルウ……!」

「ヒロ様、安心してください。

 これからはわたくし、何があろうともヒロ様を……」



 お守りいたします!

 ――と、わたくしは宣誓するつもりでした。

 しかし。




「――いけませんな、ルウラリアお嬢様。

 貴女ともあろう者が、触手族の掟をお忘れで?」




 どこからともなく響いたのは、年老いた男の落ち着き払った声。

 部屋にいた全員が、思わずきょろきょろと周囲を見回します。

 しかしわたくしは、その声にはっきりと聞き覚えがありました

 ――って……う、嘘ですよね?


「ま、まさか

……ヒャァッ!?」


 声の正体に気づくと同時に、何とわたくしは全身を拘束されてしまいました。

 前触れもなく床から不意に出現した、半透明の触手によって。

 エスリョナーラ一族を拘束するとは、ただ者ではありません。これは――



「か、カシム! お前、何故……!?」



 リビングの暖炉の前、ぽっかり開いた空間に唐突に現れたのは、一人の老人。

 しかしその腕も足も、無数の触手に覆われています。そう――

 ちょうど、わたくしと同じように。

 それは間違いなく、わたくしの同族――しかも。



「お久しゅうございます、お嬢様。

 このじいやを覚えていただいておいでで、私も嬉しゅうございますぞ」



 あぁ、間違いありません。

 恐らくこれは、わたくしの所業が父上に……


「る、ルウ! 大丈夫か!?」


 ヒロ様が慌てて、わたくしに駆け寄ります。わたくしに絡んだ触手を引き剥がそうとしてくださいましたが、ヒロ様の力でも触手はびくともしません。


「くそっ……駄目だ、外れない!

 この爺さん、何者だよ?!」

「彼は同じ触手族で、代々エスリョナーラ一族に仕える執事。

 名をカシムと言います」

「えっ?

 じゃあ何で今、その執事がルウを?」



 わたくしが飛び出した頃と何ら変わらず、カシムはのほほんとした表情。

 たっぷりとした白髭を呑気にほぐしながら、伸びた眉毛の下からじろりと一同を眺めまわしました。


「お取込み中まことに申し訳ありませんな、ヴァーミリオのご子息殿……それにグラナート子爵。

 しかしこれは触手族の掟であり、何より――

 ゴルドロッチョ・ウ・ド・エスリョナーラ。わが王のご命令なのです」


 うぅ……なんという最悪のタイミング。ここにきて父上のお出ましですか!

 意識がなかったといえど、やはりわたくしの行為、許されるものではなかったのですね。


「どーいうことだよ!? ルウを離せっ!!」


 何も知らないヒロ様は、カシムにくってかかります。剥きだしの八重歯も可愛い。

 わたくしの為に怒ってくださるのはとても嬉しいですが――こればかりはどうしようもないのです、ヒロ様。

 そんなヒロ様を、カシムは目を細めながら上から下まで眺めまわしました。


「ほほぅ……貴方がヒロ・グラナートですな。

 生で見ても確かに、なかなか可愛らしい美少年。しかも幼いながらに意思も強そうで、お嬢様が惚れこんだ理由も分かろうというもの。

 これは泣かし甲斐も脱がし甲斐もたっぷり……あー、おほん」


 うぅ。カシム、その物言いは我が忠臣ながら若干気持ち悪いです……

 しかし彼の拘束は、どうやっても外れません。

 これは恐らく彼自身の術ではありませんね。父上から一時的に術力を付与されての、この力なのでしょう。

 あぁ、本当に身勝手な父上ですわ。一方的にわたくしを追放しておいて、こんな時に連れ戻しに来るとは! 

 腹が立つったらありゃしませんが、今のわたくしにはどうしようもありません。


「ヒロ様、ごめんなさい。

 こればかりは仕方がありませんわ。父上のご命令とあらば……

 そして、触手族の掟とあらば」

「何だよ、そのオキテって?

 ルウはなんにもしてないだろ!」


 人間のヒロ様にしてみれば、それは当然の感情かも知れませんが

 ――わたくしは首を横に振るしかありません。


「何もしてないなどということはありませんよ、ヒロ様。

 わたくしは学校であれだけ暴れ、多くの人々や魔物を負傷させた。死者が出てもおかしくなかったところです」

「だってそれは、笛で操られてどうしようもなかったからだろ!?

 ルウは何も悪くない、むしろ心も身体も操られた最大の被害者じゃないか!」

「人間の世界ではそう解釈され、許されることもあるかも知れません。

 しかし触手族は違うのです。『操られていた』は決して、免罪符にはならないのですよ」

「そんな!」


 茫然と立ち尽くすしかないヒロ様。

 ゆうゆうと髭を撫でまわすカシム。あぁ、昔から慣れ親しんだこの仕草さえ今は鬱陶しい。


「左様。

 自身の生命保持と快楽の為、人や魔をいたぶり拘束し凌辱することこそが触手族の本分。しかしそれを超えることは許されない。例え操られたといえども……

 いや、敵に隙を見せて操られるという失態そのものが、エスリョナーラ一族においては大罪。

 それは十分お分かりですね、お嬢様?」

「……返す言葉もないですわ」


 全触手をゲンナリさせて、うなだれるしかないわたくし。

 それでもカシムにくってかかろうとするヒロ様を、会長がそっと抑えました。


「触手族の掟……

 触手族が他者を殺めても許されるのは、自身もしくは自身の周囲に生命の危機が迫った時のみ……でしたね」

「ほぉ、よくご存じですな。さすがはかの魔王の血を継ぐ者」

「祖母からよく聞かされてきました。

 尖った性質を持つ触手族が、他種族と争うことなく融和する為に生み出された掟とか」


 冷静にカシムと相対する会長。

 しかしその掟、大事な部分が抜けています。自身の栄養摂取の為ならば、他者を『適度に』傷つけても脱がせても泣かせても弄んでも結構!(殺しさえしなければ)という条項が。

 この『適度に』というのがかなり難しいのですが、そこが抜けてしまっては、触手族は生きていけませんわ会長!


 そこへ、おじい様も割り込んできます。


「カシム殿。

 ルウラリア嬢は操られて暴走はしたが、死者は出しておらぬ。

 それに魔妃の術具の脅威は、エスリョナーラ王もご存じのはず。どれほど強靭な魔法盾でも、容易に防ぎきれるものではないぞ。

 それでも彼女は許されぬと?」


 会長もおじい様も非常に心強い支援をしてくださいますが――

 カシムは頑固に首を振るばかり。


「致し方ありませぬ。

 その点を鑑みても、なお許されぬとの――王の仰せですので」

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