第78話 触手令嬢、抜く

 

 ――そうしてヒロ様が必死で耐え続け。

 わたくしはそんなヒロ様を抱きしめ続け、数分後。

 何とかわたくしは、自分の触手をヒロ様の左肩から引き抜くことに成功しました。

 どうにか組織の修復もうまくいったようで、新たな出血も殆どありません。さすがわたくし。

 勿論水兵服は血みどろのままですが、染み込んでしまった血や泥はどうにもしようがありません。傷がほぼ治っただけでもよしとしましょう。


 触手が完全に抜けた瞬間、わたくしにぐったりともたれかかるヒロ様。

 おぉ、今度こそしっかりと全力でヒロ様を抱きしめられます! 触手が刺さったままの状態では、どうしてもそちらのコントロールに気を取られてしまっていましたから。

 ヒロ様の全身から漂う血と汗の香りが、わたくしの感覚を強く刺激してきます。

 わたくしの身体にまでひんやりと張りついてくるスカーフの感触。その向こうに感じる、ヒロ様の体温と心音。半開きになった口の端から垂れた涎まで、愛おしい。



「はぁっ、はぁっ、ふぅ……

 あ、頭、クラクラする……」



 ぜいぜいと激しく呼吸しながらも、わたくしの背に両腕を回してくださるヒロ様。良かった、ちゃんと神経も元通りになったようです。

 髪の色と同じくらい紅潮しきった頬が、目の前にあります。

 あぁあ……今度はわたくしの脳裏に、極彩色の花々が咲き乱れてきました。


「でも……ルウ……ありがと。

 俺を運んでいた時、絶対に触手を動かさないようにしてくれてたんだな」

「それはもう、当然ですわ。

 これ以上ヒロ様を傷つけるわけにはまいりませんもの」

「俺ならもう大丈夫。まだちょっと痛いけど、ちゃんと手は動くし。

 それより、ルウは……?」

「えぇ、わたくしも今、滅茶苦茶気分が良いですわ! 身体も一気に回復してきました!!」

「ほんとだ。肌、黒いところが殆どなくなってるな。

 というか、今までで一番ツヤツヤしてないか?」

「うふふ、それもヒロ様のおかげですわ~

 だってこーんなに可愛らしいお姿を見せつけられて興奮のひとつもしなかったら、それこそ触手族の赤っ恥ですから!!」

「えっ?

 う、うぅ……またそんなことばっかり言って……

 俺だって、俺だってなぁ……!!」


 ちょっと膨れながら、わたくしの腰をそっと撫ぜるヒロ様。

 少々デリケートなところに触れられ、思わずわたくしも軽く叫んでしまいました。


「ひ、ひゃぁあっ!?

 そのあたりを撫でられるのはちょ、ちょっと恥ずかしいです……」

「いつもやられっぱなしだし。お返し」


 ふふ、やっぱりヒロ様も男の子ですわね。

 何せわたくしは未だに水着姿のようなもの。下半身は触手ですが、上半身は人間の女性形態……しかも肌の色が元通りになると同時に何故か水着(っぽい部分)も色が変わり、紫から濃紺になっております。こ、これはヒロ様のお好きなスク水では……!?

 そんなわたくしの身体を見つめながら、ヒロ様はふと呟きます。


「でも、やっぱりまだ完全な触手状態には戻れないのか?

 今のままじゃ、不便だろ?」

「ふーむ……何となくですが、戻ろうと思えば戻れる気はしてきたのです」

「そうなのか? じゃあ……」

「しかしここでヒロ様の治療をするには、この形態もちょうど良いかもと思えてきまして。

 だって水に沈まないように下半身の触手でヒロ様を支えながら、上半身の女性の姿でヒロ様を抱けるのですよ? 

 確かに最初は不快でしたが、ものは考えようですわ~」


 そう言いながらわたくしは触手で一旦泉の水を思い切り吸収し、その先端をヒロ様の頭上にかざしました。

 まだ痛々しく腫れあがっているまぶたと頬。額からも血が流れていますし、恐らく頭部にも傷があるはず。そこに向けて、泉の水を一気に吹きかけます。


「わ、わわっ!」


 滝のように降りそそぐ治癒の水。思わず頭を振りながらぶるぶる震えるヒロ様。


「い、いいよルウ! 多分これ、自分で泉に頭突っ込めば治るだろ?」

「いーえ、わたくしに治させてくださいな。

 意図していなかったとはいえ、ヒロ様をここまで傷つけてしまったのはわたくしですし。

 それに……なんか、おかしな臭いもしますし」

「あぁ……きっと、魔草の臭いだ。

 ほら、口に色々突っ込まれたし……その……」


 ヒロ様は少しうつむき加減に目を伏せます。

 前髪やまつ毛からこぼれる雫、襟やスカーフの上を流れていく水。それらが泉に落ちるたび、水面に波紋が広がる。その全てに水晶の光がチカチカと反射し煌めくさまは本当に美しいですが


 ……イヤな光景が脳裏に蘇ってまいりました。

 あのクズンは、心の底からクズンです……!!


「そうでしたわね。あとでお口も徹底的に洗浄させていただきますわ」

「いや、自分でやるから! お前また触手突っ込む気だろ!?」

「そうしなければ、染みついたクズンの穢れは取れませんわ!!

 さぁ、ヒロ様! 左肩の治療の次は、お身体を隅から隅まで洗わせていただきますわよ~!!」

「いや、いいって、ホントに自分で……

 う、うわ、ルウ、ズボンの中はやめろって、うわぁああぁ~っっ!!??」



 ******


 数十分後。


「はぁ、はぁ、はぁ……

 も、もういい……ルウ……もう、駄目……やめっ……」


 上から下まで治癒の水でずぶ濡れになって、ぐったりとわたくしの胸にもたれかかるヒロ様。

 身体を汚していた血や土、粘液などの類は何とか、その殆どをわたくしが吸い込んで取り除きました。

 クズンの体液も多く付着している可能性を考えると激烈にムカついてきますが、ヒロ様を少しでも癒すためですから仕方ありません。


「まだまだこれからですわ~、ヒロ様。おヘソのあたりの火傷も治っていませんよ?」

「うぅ……さっきやっただろ、そこ」

「調べただけですわ。多分校章を使われた時のでしょうけど、おパ〇ツまで焼けこげてちぎれておりましたし、ちゃんと治癒の術を……」

「それでも……ちょっとだけ、休ませてくれよ。な?」


 とろんとした眼で、わたくしに哀願してくるヒロ様。

 あらぁ……こんな風に甘えられては、従うしかありませんね。

 それに、治癒術をずっとかけられていると逆に身体に負担になることもあると聞きます。薬の飲みすぎが良くないのと同じですね。


「気持ちいいな……ルウの胸。

 なんだかまた、母さんを思い出す……」


 静かな泉のほとりで、そっと抱きしめあうわたくしたち。

 こんな時間が、いつまでも続けば幸せなのですが――


 取り戻したはずの、ヒロ様の笑顔。

 しかしその微笑みには、どこかにまだ影があります。

 レズンの件も、完全に解決したわけではありませんし。

 それに――


「そういえば――ヒロ様。

 少し気になっていたことがあるのですが」

「うん……なに?」


 わたくしの胸元で、ふと顔をあげるヒロ様。完全にわたくしに身をゆだね、無理やり起こされた子供のようにぼんやりとわたくしを見上げています。

 そんな彼を抱き起こしながら、わたくしは尋ねました。



「お母様のことですが……

 本当に、ショックだけで忘れられるようなものでしょうか?」

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