第77話 触手令嬢、必死の治療
というわけで。
わたくしとヒロ様は数分もしないうちに、お屋敷の地下――女神の泉へと案内されました。
かなり深い場所に掘られた洞窟に、こんこんと清浄な水が湧き出て泉となっております。広さは学園のプールぐらいはあるでしょうか。
しかし、なんと美しいところでしょう――
泉の底がはっきり見えるほどの透明な水。それを取り囲むのは、ほのかに青白く光る無数の水晶。
洞窟の天井も壁も泉の底まで、美しく輝く水晶に覆われ、まるできらきら光る氷の洞窟のようです。それでいて水はそこまで冷たくはなく、触れただけでも気分が落ち着いてくる。
わたくしはヒロ様を抱き上げながら、ゆっくりと泉に身を浸します。
すると水の中から硝子の砂粒のような光が無数に生まれ、身体を覆いつくしていた黒い痣が、少しずつ光に浄化されて消えていく。
あぁ……なんと気持ちいい。
「さ、ヒロ様。
早く傷を治してしまいましょう♪ 早く、早く♪♪」
「う、うん……
ていうかお前、妙にご機嫌だな」
そう言いながらも、ヒロ様はちょっと不安そうにぎゅっとわたくしに縋りついたままです。
少し風にさらされ、生乾きになっている水兵服。それがもう一度水に浸る、その感触を思うとどうしても興奮の震えが……
って、今はヒロ様のお怪我を何とかするのが先決ですね。
「ヒロ様。少々冷たいかもしれませんが、我慢してくださいね。
すぐに良くなるはずですから!」
「う、うん」
この泉に入るのは初めてなのか、小刻みに身体を震わせているヒロ様。
その小さな身体を、ゆっくり静かに水面へと降ろしていきます。
お尻のあたりが水に浸かった瞬間から、ヒロ様の身体にまとわりついてくる光の粒子。
破られたズボンの裾がふわりと水中に靡き、むき出しになった細い素足にも光が集っていきます。あぁ、なんと綺麗な光景でしょう。
「……ん?
すごいな、この水。全然冷たくないし、一気に痛みが引いていく……
って、く、くすぐったい!」
水に浸かったヒロ様の腰や太ももに、集中的に寄っていく光。
どうやら、無数の微生物が集まって治癒の術を施すことによって、この光は生まれているのでしょう。わたくしも光に触れられた部分から、心地よさと同時に少々くすぐったさも感じます。
ヒロ様の腰やおヘソのあたりにも、たくさんの光が集まっている――
つまりそれだけ、このあたりの傷は深いということなのでしょう。わたくしに縋って真っ赤になりながら、ぶるぶる唇を震わせ耐えているヒロ様はとっても可愛らしいですが――
集ってくる光の量が意味するものを思うと、とても笑ってはいられません。
「ヒロ様。もう少し深く沈めますか? 出来れば、肩のあたりまで。
早めに左肩の治療をしたいので」
「う、うう……そうだな。
ルウだってこのままじゃ不自由だろうし」
くすぐったさに耐えながら、少しずつ身体を泉に浸していくヒロ様。
あぁ、ぼろぼろの水兵服の裾に袖、襟にスカーフが水面にふわふわ浮かんでいく。青い水晶の光が水兵服の白に反射して煌めく。髪から落ちた雫が二の腕や首筋で硝子玉のように跳ね、転がり落ちていく。そんなヒロ様のお姿は、まるで水晶の妖精のように可憐で美しく……
さらに、ヒロ様の左肩に一気に光が集中していきます。わたくしの触手が刺さったままの部分に。
「これなら大丈夫そうですわね。
ヒロ様。今から術の力を注ぎこんで触手を抜いてしまいますので、ほんの少しだけ我慢してくださいね」
「う……うん」
こくりとうなずき、大きく深呼吸するヒロ様。
わたくしも気合をこめて、一気に傷口へと治癒術を流し込みました。
ヒロ様の左肩へ、さらに集ってくる光。と同時に、ほんの少しだけ触手を動かしていきます――
「……ぐっ!!
う、うぁ、ああぁ……!!」
途端に洞窟に響き渡ったのは、ヒロ様の悲鳴。
まだ殆ど触手は抜けていませんが、ちょっと抜こうとしただけでも激痛のようです。
一体どこの誰でしょうか、これほどの勢いでヒロ様にぶっ刺した輩は……
って、わたくし自身ですね。
「だ、だだ大丈夫ですかヒロ様!?
お痛みが酷いようなら、もっとゆっくり抜くようにいたしますが」
「い、いや……むしろ、早く抜いて……くれっ……
う、うぅっ!!」
ヒロ様の右手が、痛いくらいにわたくしを掴んできます。
その眦からはぽろぽろと涙が溢れ、次々に水面に落ちていく。あぁ、これもまた――
って、見とれている場合ではありません。
「術で神経や血管などの組織を修復しながらなので、どうしてもゆっくりになってしまうのです。急いで抜こうとすれば大出血しかねませんから」
「う……わ、分かった……
……俺、我慢する、から」
そう呟きながら、再びぎゅっとわたくしの左手を掴むヒロ様。
その手を握り返しつつ、わたくしはもう一度治療を始めました。
動かすたびに組織を修復しながら、自身の触手をほんの少しずつずらしていきます。
そのたびに響く、ヒロ様の悲鳴。わたくしの左手もちぎれんばかりに握りしめられます。
メリメリと微かに音をたてながら、次第に抜かれていく触手。注ぎ込まれる術。
真っ赤になったヒロ様の頬に流れていく、痛みの涙。荒くなる呼吸。
「大丈夫ですよ、ヒロ様。
どうかもう少し、力を抜いてくださいまし」
「う、うん……分かってる……
く、うあぁ……ぐああぁああぁっ!!」
「大丈夫です……大丈夫……
わたくしが支えておりますわ。だからわたくしを信じて、身体をゆだねてください」
痛がるヒロ様の背中を数本の触手でさすりながら、他のほぼ全ての触手を使ってヒロ様の身体を支えます。水中ではヒロ様の左肩に光が次々に集い、血と一緒に痛みを吸い込んでは散っていく……
あぁ。こんなにも美しい光景の中で、可憐な少年が頭からつま先までびしょ濡れになりながら痛みに耐える姿は、あまりに神々しい。神々しすぎてわたくし、頭がどうにかなってしまいそう。
自分でも身体が膨れ始め、お肌がテカテカし始めているのが分かります。これも触手族の本能ですから仕方ないのです。仕方ないんですってば!
ヒロ様に刺さっている触手だけは絶対に膨張させないようにしましょう。そう、気合で!!
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