第73話 触手令嬢、惚れ直す
わたくしは傷口を必要以上に動かさないよう、ヒロ様をそっと抱きしめました。
刺さった触手から直接治癒術を流し込むと、傷から青く柔らかな光が溢れてきます。
「ルウ……ありがとな。
やっぱりお前の治癒魔法、すごく気持ちいい……
痛みが、雪みたいに溶けてく感じがする」
「そう言ってくださるのはとてもありがたいですが、ヒロ様にこのような傷を負わせたのはわたくしです……
組織の修復にはちょっと時間がかかりますので、もう少し我慢してくださいね」
「うん」
素直にこくりとうなずいてくれるヒロ様。どこまでも愛おしい。
しかし軽いかすり傷ならまだしも、ここまでの深手となると――
元通りに血管や筋、皮膚などを修復するのはかなり高度な技術となります。刃物が突き刺さったも同然。
触手を少しずつ抜きながら慎重に術を施し、修復を重ねていかなければなりません。特に動脈や神経に触っては一大事です。
この傷以外にもよく見ると、ヒロ様の身にはいくつもの黒いあざや裂傷が確認できました。
ちらりと裾をめくってみると、おヘソの周りには焼け焦げたような傷さえ見えます。これは――
雷術、それもかなり強烈なものによる火傷ではないでしょうか。傷口の周りの布にも焦げたような跡が見え、かすかに煙の臭いもします。
あぁ。何となく、思い出してきました。
わたくしは……あのクズンの罠にはまり、まんまと操られていたのです。
わたくしは確かに見ていました。クズンによって容赦なく傷つけられていくヒロ様を……
何故、どうして、わたくしは何も出来なかったのでしょう?
「ひ、ヒロ様……本当に、申し訳ありません!」
「えっ?
どうしたんだよ、ルウ? そんなに震えて……」
ヒロ様は優しく囁きながら、そっと右手でわたくしの肩を抱いてくださいました。
その純粋な瞳を見ると、自分の罪深さがさらに恐ろしくなります。
「わたくし……傷つけられるヒロ様をずっと見ていました。
見ていながら自分は、何も出来なかった!」
「いや、それは……
笛のせいだよ。レズンが使った、『魔妃の角笛』。
あれに操られたらどんな強い魔物でも、どうしようもないって会長が言ってた」
『魔妃の角笛』――存在自体はわたくしも知っていました。
まさかレズンが使ってくるとは思いもよりませんでしたが。あれほど恐ろしいアイテムを、あのクズが手にしていたとは……
「それでもルウはすぐに危険を察知して、サクヤを脱出させてくれた。だから俺たちも、ルウに何が起こったか、分かったんだ。
お前が操られたのは、絶対ルウのせいじゃない。角笛のせいだよ」
前髪からぽたぽた雫を落としながら、わたくしを慰めてくださるヒロ様。
頬を寄せて身体の匂いをかいでみると、濃い血と汗の香り以外に、何やら少し不快な異臭も混じっています。これは魔草の体液でしょうか、ちょっとべとついて気持ち悪い。
あぁ……レズンに痛めつけられるがままだったヒロ様の姿が、次々と鮮明に脳裏に蘇ってきます。
あの時のわたくしはきっと、感情が凍りついてしまっていたのでしょう。目の前で何が起こっても何故か心が麻痺し、動かなかった。
世界で一番大切なヒロ様がどれほど傷つけられていようと、その時のわたくしの心はどういうわけか、微塵も動かなかったのです。
今思えば、感情も魂も氷の牢獄に閉じ込められたような感覚でした。ただひたすら、『主の意思のままに動け』。その思考に全身を支配されておりました。
そもそも、世にも可愛らしい男の子が服を破られまくり素肌を晒しまくりえっちな悲鳴をあげまくっていたというのに、触手族本来の根源的欲求さえ全くわかなかったとは……
なんと恐ろしい……!
それでもヒロ様はわたくしを抱きしめながら、呟きました。
「それに……
一番悪いの、俺だから……
ルウの言うこと聞かずに、レズンと向き合わなかった俺が。
ルウと一緒に俺が行っていれば、レズンだって……あぁはならなかったかも知れない」
そうでしょうか。
仮にヒロ様があの場に一緒にいたとしても、レズンの行動がそこまで変わっていたとは思えません。クズンはクズンです。わたくしには分かります。
少なくとも、一番悪いのがヒロ様だなんてことはありえません。
そう考えると……本当に腹が立ってきましたわ……
わたくしともあろう者が、何故あのようなドクズにいいように操られてしまったのか。心の底から情けない!!
あのクズ、最早ぶん殴る程度では到底すまされないことをやらかしましたわね。
光景を思い出すだけで腹が立ち情けなくなるばかりですが、それでも――
奴に関して、分かったことがあります。
少なくとも、クズンのカスを決して許してはならないということ。
そして――奴は恐らく、ヒロ様に……
強烈な性的欲求を抱いている。
それも到底、愛情と呼べるものではありません。ひたすら自分の欲望をぶちまけるはけ口として、赤ん坊のようにわがままにヒロ様を欲しているだけ。
以前から何となくそんな気はしていましたが、実際に眼前で見せつけられて確信に至りました。そう、心も身体も自由にならずとも、わたくしはちゃーんと全て見ていましたから!
ヒロ様を執拗に傷つけ、襟元を引きちぎっていたあの時のレズンは――
欲求に支配されつくした、傲慢な野獣そのものでした。
あんな獣とまともに向き合ったりしたら……
いいえ、果敢に向かい合ってしまったからこそ、ヒロ様はここまで傷つけられてしまったのでしょう。
それでもヒロ様はまだ、自分を責めています。
「さっきだって俺、ルウに酷いことした。
ルウが水苦手だったのを思い出して……一度溺れさせれば、正気に戻るんじゃないかって。
それで……」
なんと、まぁ……
するとわたくしを助ける為に、ヒロ様は暴れるわたくしを抱いて、湖に飛び込んでくださったということでしょうか。
「勿論、ルウが溺れてもすぐに助けようと思ってた。
だけど……やっぱり、酷いことしたなって……」
ぽつぽつと呟くヒロ様を見つめていると、光景が蘇ってきます。
わたくしの触手を左肩に受けてもなお、諦めなかったヒロ様の姿が。
激しく輝く魂術の光を、決してわたくしに当てないようにしてくださった――
その強い想いを今更のように感じ、思わず涙が溢れました。
今も空にきらきら輝く、エメラルドの光。あれはまさしく、ヒロ様の想いの塊と言っていいでしょう。
「あぁ……ヒロ様、ヒロ様ああぁあ!! どれほど痛かったことでしょう……
わたくし……ヒロ様にどう謝罪してよいか……!!」
「だから、ルウのせいじゃないってば。
それにこうしてルウはちゃんと、戻ってきてくれたんだ。十分だよ」
わたくしを励ますように、ヒロ様はどこまでも優しくわたくしの触手を撫でてくれました。
幼いながら、魂の底の底までイケメンすぎませんか。
「それよりさ。俺がやられまくってるトコよりも……
俺が頑張ったトコ、思い出してくれると、嬉しいんだけど。
カッコよくはないかも知れないけど、俺、結構頑張ったんだぜ?」
ちょっと頬を赤らめながら、わたくしに微笑んでくださるヒロ様。
あぁ……傷だらけになりながらそれでも笑顔を見せてくれる勇者様というのは、ここまで美しいものでしょうか。
「えぇ、勿論覚えていますとも!
拘束され激しく鞭打たれる中、必死で唇を噛みしめ歯を食いしばり、痛みと恐怖に耐え抜いていたヒロ様の、あの健気な表情といったら……
それでも苦痛のあまり思わず出てしまう呻きと悲鳴も、至高中の至高でしたわ! 飛び散った水兵服の切れ端を残らず回収して夜な夜な頬ずりしたいくらいです……あの布切れ一枚あればわたくし、砂漠のど真ん中に放り出されようとも一カ月、いえ一年は生きていられる自信がございますわ~!!」
「…………」
「それにヒロ様が懸命に森を駆け抜けていた時の、風にひるがえるボロボロの水兵服の裾や後ろ襟は、まるで傷ついた勇者のマントの如く美しく勇ましく……!
やはり激しい戦いによって引きちぎられた服は至高ですわ、そこからちらちら覗くお背中や脇、腰骨や太もものあの曲線! あの色気! 見ているだけでも分かる瑞々しい素肌と筋の弾力!!
あれはもう……!」
さすがに怒られるかと思い、ちらっとヒロ様を見てみましたが。
ヒロ様は右手首で涙をごしごし拭いながら、それでも笑っていました。
「えへへ……やっぱり、ルウだ。本物だぁ……
あはっ、あははは」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます