第65話 クズ、滾る

 

 自らを守るべく、ヒロが初めて校章の力を使った。

 それは強烈な雷術として発現し、稲妻を帯びた閃光となって魔物を吹き飛ばしていく。

 放たれた稲妻の一部はたまたまレズンのそばで弾け、彼の髪の毛、その先端をほんの少しだけ削り取った。

 しかしそれだけでも、レズンに恐怖を覚えさせるには十分だった。

 今まで自分にろくな抵抗が出来るはずがないと思っていたヒロが、初めて反逆の意思を示し、その力を示した。



 ――この野郎。

 おとなしく俺のものになってりゃ良かったものを……あの、鬱陶しい眼鏡野郎の差し金か。



 空中から落下してきたイブルウルフの四肢は完全に麻痺していた。命までは奪っていないものの、獣の全身はビクビク痙攣し、喉から真っ赤な舌が突き出ている。

 そのすぐ後ろで、激しく呼吸をしながら身を起こすヒロ。あまりの威力に一瞬、薙ぎ払われた獣を呆然と見つめていたが――

 すぐに痛みがぶり返したのか。立ち上がれずに思わず脚を押さえ、ぺたんと座り込んでしまっていた。

 噛みつかれた右脚はズボンが足首まで大きく破られ、血まみれの太ももと細いふくらはぎが露出している。

 苦痛をこらえ歪む表情。その頬から水兵服の襟元にかけてが獣の白いよだれでぐっしょりと濡れ、スカーフの先端から粘液が糸を引いていた。



 それを見て、レズンの中で何かがうずうずと蠢いた。

 毎晩、ミラスコでヒロのあの姿を見ていた時に感じたものと全く同じ感情が、頭をもたげる。

 ルウラリアの妨害によってヒロをいたぶれなくなってから、その欲求は一層激しくなっていたと言っていい。



 そんなレズンの心を見透かしたかのように――

 ヒロの周囲の草むらが、森が、ざわざわと明確に音をたてていた。まるで脈でも打っているかの如く。

 勇者が欲しい。勇者の血が欲しい――

 森全体が、そう囁いている。

 森だけではなく、周囲を満たした湖さえもざわめいていた。


 大きな眼に恐怖をにじませながら、それでも注意深くヒロは周囲をうかがう。

 そして再び校章を手に、レズンに向き直った。



「お願いだ――レズン。ルウを元に戻してくれ。

 でなきゃ今度は俺、お前を……撃たなきゃならなくなる!!」



 誰も傷つけたくない。そんな矜持を投げ捨ててまでの、ヒロの決死の懇願。

 向けられているのは、まだ雷撃をバチバチと放散している校章。

 それでもレズンは眉ひとつ動かさず、彼を嘲笑った。



「じゃあ撃ってみろよ?

 俺に撃ったら、俺も死ぬけどルウラリアも一緒に死ぬぜ?

 命がけで俺を守ってなァ」



 そんなレズンの言葉に、今度こそ絶望したように大きく目を見開くヒロ。

 両腕からわずかに力が抜け、レズンに向けられた校章――

 会長から託された武装、その『銃口』も、少しだけ下げられてしまった。

 それを見て、レズンの中で何故か苛立ちが湧きあがる。



 ――ほら見ろ。お前なんかに、俺を救えるわけがない。

 だからさっさと、俺のモノになるしかねぇんだよ。



 校章をどうにも出来ないまま、ヒロの両目からは涙があふれていた。

 撃ちたくない。その想いは、嫌という程レズンにも見て取れる。



「どうして……何でだよ、レズン?

 俺、分かんないよ。俺を傷つけるためだけに、どうしてこんなことまでするんだよ!?

 俺を殴りたいなら、俺だけを殴ればいいじゃないか。何でルウや、関係ないみんなまで巻き込むんだ!?

 昔のレズンは、絶対にこんなことしなかった。俺が悪いことしたら、それを止めようとしてくれたじゃないか!!」



 だがその涙も叫びも、レズンの苛つきをさらに加速させる結果にしかならない。

 昔の自分? 昔の優しかった自分?

 そんなものに、まだこだわっていたのかお前は!



「撃てもしない、立ち上がれもしない癖に、エラソーなことばかりほざきやがって。

 てめぇのその、根拠のねぇ上から目線。前から大嫌いだったんだよ!」



 レズンの苛立ちが頂点に達し、感情がそのまま言葉となった、その瞬間。

 ヒロの周囲を満たす、空を覆い尽くすほどの森。その闇の奥から、無数の枝がまるで意思を持つ蔓の如く、一気に伸びて来た――

 当然、ヒロに向けて。


「!?」


 何が起こったのか理解出来ないまま、群れをなして襲いかかってくる枝を見つめるばかりのヒロ。

 その彼の両手首と両肩に一瞬で巻き付き、枝はその動きを封じていく。触手と似た動きをしているが、触手特有の柔らかさは皆無で、ふしくれだった枯れ木のごつごつとした感触しかない。

 それが肌の上を容赦なく滑り、ヒロは思わず痛みに声を上げた。


「あ……うぁ……っ!!」


 その悲鳴を聞きながら、レズンは唇を笑いの形に歪めた。

 さぁ、ヒロ。いつものように、たっぷり遊ぼうぜ――

 俺が満足するまでな。

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