第64話 少年、反逆する

 

 やっと、レズンと話が出来る――

 一縷の希望を抱き、この魔の領域まで孤立無援のまま乗り込んできたヒロ。

 しかし彼を待っていたのは、その想いを丸ごと否定しせせら嗤うかのようなレズンと、まんまと彼の意のままにさせられているルウの、痛ましい姿だった。


 会長から託された、雷術の校章。どれほど魔物に襲われてもずっと使用をためらっていた、ヒロの武装。

 レズンに対しても、使うつもりはなかった。使いたくなかった。しかし――



 全く変化のないレズンの、横柄な態度。

 そして、意思と言えるものを全て消され、奴隷のように従順になっているルウ。

 認めたくなかった現実をまざまざと眼前で見せつけられ、ヒロの中で得体の知れない憤怒が湧きあがってくる。

 それは、ルウを奪ったレズンへの嫉妬だったかも知れない。ヒロが生まれて初めて感じる、他人への強烈な嫉妬。


「ルウラリアはもう、俺の奴隷だ。

 ド・レ・イ。分かるだろ? お前にだって」


 ヒロの決意を馬鹿にするように、せせら嗤うレズン。

 酷薄に吊り上がった灰色の瞳は、ヒロにとって今や最大の脅威だった。

 かつて学校でやられた行為の数々を反射的に思い出し、全身が震えだす。


「おかしなこと言ったら、ヒロく~ん? 俺、怒っちゃうよ~?」


 その言葉で、一瞬硬直してしまうヒロの身体。

 殴られ蹴られ、身体を汚され、切り刻まれ、笑われたのは――大抵、この言葉の直後だった。

 みんなの前で散々痛めつけられ、酷い思いをさせられてきた。

 レズンを信じている。自分はそのつもりでも、あの苦痛は今も身体がはっきり覚えている。


 それでも――

 レズンにぐしゃぐしゃと頭を撫でられるルウを見て。

 ヒロの中でいつのまにか、激昂が恐怖を凌駕していった。



 嫌だ。認めるもんか。

 ルウはお前のものなんかじゃない。元から、誰のものでもないんだ。

 それを――!



 気づいた時には、校章を胸元からちぎり取り、レズンに向けていた。

 自分でもがくがく震えていると分かる手で校章を構え、その裏側の紅い宝石に指をかける。引き金とも言える部分に。

 ヒロの感情のうねりを察したのか。校章は既にバチバチと火花を発し、膨大な雷術の片鱗を漏出させていた。

 会長の言葉が、ヒロの中で反響する。もう何度、自身に言い聞かせてきたか分からない言葉が。



 ――彼が君にとって大切な存在なら、なおさら。

 彼が悪意をもって君を傷つけようとするなら、君は断固たる意志でそれを払いのけ、自身の正義を示さなければならない。



「レズン。どうしても、ルウを返さないっていうなら――

 俺だって、考えがある!!」



 それは、ヒロの怒りが恐怖を乗り越え、初めて示したレズンへの反逆の意思。

 必死で真っ直ぐ両腕を伸ばし、両手で校章を握りしめる。しかしその手も声も小刻みに震え、心臓は早鐘の如くうち続け、呼吸が苦しくなってくる。

 肩で大きく息を整えるヒロ。しかしレズンは、そんな彼さえ平然と見据えていた。

 面白い余興でも眺めるように。


「へぇ。

 何のつもりだぁ? それ……」


 どうせ撃てるはずがない。そう高をくくっているのだろう。

 それでもヒロは声を限りに叫んだ。


「これはロッソ会長から渡されたんだ。

 会長の術が仕込んである。俺のじゃない、あの会長の術だよ。

 俺はまだ一度も撃ったことがない。どんな威力かは俺にも分からない!」


 それを聞いて、多少の危険を感じたのか。

 レズンは若干顔をしかめ、舌打ちが響いた。

 その音だけで、森がざぁっと不気味な音をたてる。


「だけど――レズン。俺、撃ちたくない!!

 レズンはどんなことがあっても、俺の友達だから……」


 ヒロの必死の言葉が、レズンに投げかけられる。

 しかしレズンは不機嫌そうに顔をしかめるばかり。


「うるせぇな……

 てめぇのそういうトコが嫌なんだよ、俺」


 ヒロにとって、そんな絶望的な言葉を吐きながら――

 レズンは懐から、何かを取り出した。

 ドラゴンを模した形状の、オカリナにも似た黒い笛。間違いなくそれは、あの『魔妃の角笛』。

 ルウから全てを奪い、学校を滅茶苦茶にして、みんなを傷つけた元凶。



 ――この目で実際に見るまで、信じたくなかったのに。

 レズンが、あんなものを使って……みんなを酷い目に遭わせたなんて。



 絶望が、ヒロの胸に広がっていく。

 そんな彼に見せびらかすかのように、くるくると掌で笛を回して見せるレズン。

 ヒロは思わず、校章を構えた手にぐっと力をこめたが――



 大きな影が無言で、ヒロの前に立ちはだかった。まるでレズンを守るかのように。

 それは勿論、真っ黒に染まってしまったルウの巨体。

 上半身は人間、下半身はタコのような触手の塊。本来の姿とも人間体とも違う、中途半端な姿。自らの命を省みることなくレズンを守る、歪んだ姿。

 紅の瞳は全く感情を交えずヒロを睨んでいる――

 そんな彼女を目にして、ヒロの中で何かが爆発した。



「駄目だ、ルウ! どけっ!!」



 自分でも信じがたいほどの怒声で叫んだヒロ。

 そんな彼の感情に呼応するように、森が一気にどよめいた。

 上空に向かって突風が巻き起こり、足元の草がまるで意思を持つかのように、ヒロの足首を、靴を撫ぜる。


「……チッ、チッ」


 ルウの背後から、レズンが何やら不自然に舌打ちしている。

 瞬間、背筋を走る寒気。

 ヒロは思わず後ろを振り返った――


「!!」


 そこにいたのは、牙をむき出しにしたイブルウルフ。

 真っ黒な巨体に紅の眼を持つ、魔に染まった狼。普通の狼と違うのは、頭部が二つあることだろうか。その体長は、ヒロの身長の軽く2倍はある。

 そんな狂獣が今、真っすぐにヒロを見据え、唸りながら飛びかかってきた。

 二つある口からは涎が噴き出し、黄色い牙と紫の舌がヒロにもはっきり見える。


「わ、わあぁああぁ!!」


 咄嗟にヒロは校章を獣に向かって構え直した。しかしヒロに出来たことといえばその程度で――

 彼が撃つより遥かに速く、狂獣はヒロの右脚、その太ももに容赦なくガブリと噛みついた。



「……っ!!」



 激痛。

 悲鳴すら上げられず、そのままウルフの巨体に仰向けに押し倒されてしまうヒロ。

 鋭い牙が食い込んだ太ももの痛みだけでも、普通の子供だったら気絶していただろう。

 自分が意識を失わなかったのは、ルウの修行の賜物だろうか。こんな状況下でも、ふとヒロはそんなことを考えてしまった。

 しかし獣はそれだけでは止まらない。脚に噛みついていない方のもう一つの頭部が、今度は彼の左肩――既に傷ついている肩を、狙っていた。

 勇者の血の匂いでひどく興奮しているのか。白く濁った涎が牙の間から滝の如く溢れだし、ヒロの顔を、襟を濡らした。

 獣の熱い息が、すぐ鼻先で臭う。胸と肩を強引に押さえてくる前足。

 尖った爪先で肩の傷が軽く抉られ、包帯が解けかけていた。



 ――駄目だ。撃たなきゃ。

 今撃たなかったら、ルウも、レズンも、俺自身もみんな、駄目になってしまう!!



 そう思った瞬間。

 ドンッと腹の底まで響くかの如き音と共に

 獣の図体が、宙に吹き飛んでいた。


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