第63話 クズ、反逆される

 

 やがてヒロは立ち上がり、真っすぐにレズンを見据える。

 意思の強い眉は怒りに吊り上がっているが、手足が僅かに震えていた。

 右手は胸元を、ちぎれんばかりにぎゅっと握りしめている。よく見ると、握っているのは左胸に着けられた校章だった。



「レズン……」

「よぅ、ヒロ。

 久しぶりだなァ、こうして二人っきりになるのは」



 ヒロは答えない。恐怖によるものか、額から玉のような汗が滲んでいる。

 いつもそうだった。俺がヒロをいたぶる直前は、大抵こいつはこんな風に怯え、すくみ、震えだす。

 今ヒロを支配しようとしているのは、俺に対する恐れだ――

 それはもうレズンも自覚していた。自覚しながら、愉しんでいた。

 そうすることで、ヒロはいつでも自分のモノになったから。

 暴力と恐怖で心を支配し、動けなくなった身体を存分に痛めつけ、欲求不満のはけ口にする。それがレズンのやり方だった。

 ルウラリアの出現によってそんな関係は一時的に壊れてしまったが、彼女をもヒロから奪うことによって――

 こうして再びヒロは、レズンの前に自ら現れた。しかも一人だけで。

 ヒロもある程度力はつけたらしいが、今の俺の前ではカスの役にも立たないだろう。レズンはそう高をくくっていた。



 いつも学校でそうするように、レズンはヒロをせせら嗤う。

 しかしそんな彼に突きつけられたのは、意外なヒロの第一声だった。



「れ……レズン。

 ルウを……ルウを、返せ!」



 震えてはいるが、よく響く少年の声。

 ざわり、と黒い森が蠢いた。その声に反応するかのように。

 森だけではない。ヒロの足元の灰色の草も土も、全てが勇者の血に、勇者の声に反応している。

 その全てが、生まれたばかりの勇者をねっとりと舐めるように眺めている。

 それでもヒロは叫んだ。震えながら、叫んでいた。



「ずっと不思議だった。

 レズンがどうしてこんなことばかりするのか。どうして俺を痛めつけるのか。ずっと分からなかったし、理由を知りたかった。

 俺だってこうやって、ちゃんと話をしたかったんだよ。

 レズン。すごく悩んでるなら、俺に出来ることだったら何でもやる。

 だってレズンは、昔から身体張って、いつでも俺を守ってくれたから……!

 みんなが何て言ったって、俺はレズンが優しいって、信じてるから!」



 それはヒロの、心からの言葉だった。

 しかしレズンには全く響かない。いや響いてはいたが、その言葉は呪いの如く彼の憤怒を増幅させるだけだった。

 すごく悩んでる? 何でもやる?

 そんな軽い言葉で片づけんじゃねぇ。てめぇがどうにか出来るレベルの悩みなら、俺はこんな風になってねぇよ。

 それに――俺が、優しい?

 いつまで俺に夢見てるんだ、てめぇは!



「でも……レズン。お願いだ。

 ルウはお前と同じくらい、俺にとって大切なヤツなんだよ。

 だから、頼むよ。今すぐにルウを返してくれ。元に戻してくれ!

 こんな風になっちゃったルウは、もう俺、見たくない!!

 俺のことなんか、気が済むまで殴ったって構わない。でも、ルウは……ルウだけは!!」



 声を限りに叫びながら、脚ががくがく震えているのが分かる。

 そうか、そんなに大切だったか。この、気色悪いだけの化物が。

 だったら――

 レズンの答えは、とっくに決まっていた。



「嫌だね」



 その一言だけで、ヒロの大きな眼がさらに見開かれ、凝固した。

 奥歯がギリッと噛みしめられ、眉も眼も怒りと失望で吊り上がる。

 眦からぽろりとこぼれる涙。それを面白そうに眺めながら、さらにレズンは追い打ちをかけた。


「ルウラリアはもう、俺の奴隷だ。

 ド・レ・イ。分かるだろ? お前にだって。

 もう、お前のもんでも何でもない。つか、元からてめぇのもんじゃなかっただろ。

 それを、返せだと? 

 おかしなこと言ったら、ヒロく~ん? 俺、怒っちゃうよ~?」



 挑発めいたレズンの言葉。それだけで、ヒロはさらに青ざめる。

 その言葉は一種の合図。レズンがヒロを徹底的にいたぶる直前、よく使っていたものだった。

 言葉の後にいつも続けていた行為を思い出し、レズンは思わず唾を呑み込んだ。

 もう少しだ。あの震える唇も、細い首筋も手足も、全部俺のモノになる――



 だが、次の瞬間にヒロがとった行動は、レズンの予想とはほんの少し違っていた。

 ぐっと唇を噛みしめたかと思うと、胸元の校章を、引きちぎるように勢いよく外したヒロ。そして彼は、何故かその校章を真っすぐ、レズンへと向けた。

 肩で激しい呼吸をしながら、ヒロは両手で校章を構えていた。そのさまはまるで、銃でも撃つかのよう。

 菖蒲を象った校章。ほのかな金色の花の裏側に、ちらりと紅に輝く何かが見えた。

 そのあたりをよく見ると、バチバチと音を立てながら、火花にも似た小さな電撃が表面に幾つも弾け飛んでいる。

 何らかの強力な術を充填している。それぐらいは、レズンにも分かった。



「レズン。どうしても、ルウを返さないっていうなら――

 俺だって、考えがある!!」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る