第60話 少年、決断する
「か、会長!?」
放り出されたまま、茫然と事態を見守るしか出来ないヒロ。
その眼前で会長は容赦なく、炎術と雷術を交えた攻撃を放っていた――
よりにもよって、ルウに向けて。
「『魔妃の角笛』をレズンが発動させた瞬間、彼女は至近距離にいた。
あれだけ接近していれば、どれほど強力な魔物であっても角笛による汚染の影響は免れない。発動者の近くにいればいるほど、その影響は恐ろしく跳ね上がるからね!」
際限ない攻撃を放ちつつ、淡々と語る会長。
しかしその横顔には、明らかに焦りが混じっている。
それもそのはず、ルウに対してどれほどの炎と雷を浴びせても――
最初の不意うちで思わずヒロを手放した以外は、彼女は殆ど動じていなかったから。
「そ……そんな……ルウ!」
あれだけ忠実だったスクレットさえ操りかけ、魔王の末裔たる会長さえも動じさせる『魔妃の角笛』の威力。
角笛が今どこから鳴らされているのか分からないが、多分かなりの遠距離だろう。それでさえここまで酷い影響を及ぼし、みんなを狂わせてしまった。
そんなものを、すぐ近くで浴びせられたとしたら――
ヒロは痛みをこらえながら、ルウを見上げる。
炎と雷の同時攻撃を受けながらも、一切怯むことのない黒い巨体。まるで鋼鉄の触手の塊だ。
ヒロ様ヒロ様といつもうるさかったあの可愛らしい声は、どこからも聞こえない。
紅に変わってしまった大きな眼球は、冷たくヒロを見下ろすばかり。
ルウは本当に、レズンの思うがままに操られてしまったのか。
レズンはルウを操って、どうしようっていうんだ。
ルウの心を、意思を踏みにじってまで、こんなことをして。
しかしそんなヒロの思惑など関係なく、事態は怒涛の如く進んでいく。
会長の攻撃を受けるがままだったルウ。その紅の視線が一旦ヒロから外れ、会長をひと睨みしたかと思うと――
ずっと静止していたはずの巨大触手が
眼前から消え失せた。
かと思ったら、次の瞬間には
会長が薙ぎ払われていた。
掌に炎と雷を充填したまま、あまりにも呆気なく、黒い空へと吹き飛んでいく銀髪。
騎士としても会長としても、そして皆の防壁としてもあれだけ頼れたはずの彼が、いとも簡単に撃破されていく。ルウのたった一撃で。
どうっと酷い音と共に地表に落ちた会長。骨が砕ける音まで、はっきりと聞こえた。
学園最強の魔王の末裔さえ、一撃でやられてしまった。
瞬時に証明されたこの現実を把握できず、生徒たちも教師もしんと静まり返ってしまう。
しかしヒロはその中で一番早く我に返り、一目散に会長に駆け寄っていった。
「か、会長っ!!」
「ひ、ヒロ君……駄目だ、近づくな!」
左足は奇妙な方向へ曲がり、直接打撃を受けたらしき左腕も血まみれ。トレードマークの眼鏡はどこかに吹き飛ばされている。
ルウのたった一撃だけで、会長さえもここまで酷いことになってしまうとは。
それでも会長は、まだ諦めず立ち上がろうとする。
「ぶざまなものだね。まさか彼女の触手が、ここまで強烈だとは……
角笛は、その影響に抗い続ける魔物の力を著しく低下させる効力もあるとはいえ……
情けない」
よろよろと両手を翳しながら、再び術の充填を開始する会長。
しかしヒロにも分かるほど、その力の減退ははっきりしていた。
会長も駄目なら、一体どうすれば――
どうやったら、ルウは元に戻る?
逡巡するヒロ。
余裕の表情で、そんな彼を見据えるルウ。
再び彼を捕らえようと、するすると触手が伸びてくる――
しかしその眼前に立ちはだかったのは、予想外の人物だった。
「や……やめて、ルウラリアさん!
ヒロ君を全力で守ってきた貴方が、何故そんなことをするの!?」
それは、先ほどまでヒロや生徒たちの治療をしていたミソラだった。
恐怖にぶるぶる震えあがりながらも、懸命にヒロを守ろうと両腕を広げ、ルウの前に立ちふさがっている。
会長と比べると、その背中は何とも頼りないものだったが――
それでもミソラは、弱々しいながらも懸命に声を張り上げた。
「私……臆病だった。
今までずっと、ヒロ君とレズン君たちとのこと、見ないふりをして、逃げて……
教師としては勿論、大人としても失格だった。ルウラリアさんと出会って、酷い目に遭ったヒロ君を見て、本当に自分が駄目だと気付かされたの。
だから……その……
ひ、ヒロ君を殴るくらいなら、わた、わた、私を、殴り、なさいっ!!」
内股までガタガタ震えながら、それでも逃げないミソラ。
だがそんな彼女にさえ、ルウは一切容赦しなかった。
「邪魔です」
静かだが重い低音が、辺りに響く。
同時に再び、ルウの巨大触手が薙ぎ払われた。
悲鳴一つ上げられず、呆気なく吹き飛ばされるミソラの四肢。
「先生!!」
ヒロの叫びは、闇へと吸い込まれていく。
どうっと音を立てて、ミソラの身体がヒロの足元まで投げ飛ばされてきた。
うつ伏せになった頭の下からは、じわりと赤いものが流れ出している。
慌てて彼女を抱き起こしたヒロ。その背後では、サクヤさえも完全に怯え切って座り込んでしまっていた。
「せ……せんせ……い?
ルウさんが、先生を、会長を……?
そ、そんな……そんな、ことって……!」
気を失ったミソラの唇から、ごぼりと血が溢れる。
ヒロも何とか治癒の術を発動させようとしたが、手が震えてうまくいかなかった。
だが――
会長やミソラが流した、真っ赤な血液。
怯え切ったサクヤ。
ボロボロになったまま気絶しているスクレット。
ヒロたちを睨みながら、その輪を徐々に縮めていく狂った生徒たち。
ルウを崇めるように、上空でキイキイ騒ぐ魔物の群れ。
それらを眼前にして。
ヒロの中で、何かが、大きく鼓動した。
突然不規則にドクンと脈打つ心臓のように。煮えたぎる火山口から、一気に噴出する溶岩のように。
心の奥底で――恐怖も怒りも超越した、強い感情が生まれていく。
痛みによる呻き声さえ上げながら、会長はそれでもヒロを守るべく、両手に術の力を溜め込んでいた。
そんな彼をギロリと睨みつけるルウ。紅の眼球が光り、巨大触手が唸りを上げる。
駄目だ。次にルウの攻撃を喰らったら、今度こそ会長は――!
そう思った瞬間、ヒロの身体は動いていた。
大地を蹴って駆け出すその動きに、迷いは一切ない。
ルウ。これ以上、大事なみんなを傷つけちゃ駄目だ。
お前にはもう、誰も傷つけさせない。お前の手は、これ以上汚させない。
俺、ちゃんとやるから。自分のやるべきこと、ちゃんと自分でやるから。
きちんと、レズンと話をするから。
だから――!
「やめろ、ルウ!!」
ヒロは躊躇なく飛び込んでいく。
会長に叩きつけられようとするルウの触手、その真正面に。
両手からは――
いつか彼女を助ける為に放った、エメラルドグリーンの光が溢れていた。
強い光だが、決して禍々しくはない。ヒロも、ルウも、そして周囲の皆までも暖かく包み込むかのような、優しい光。
それは、ルウを救う為にヒロが編み出した、ヒロ自身の力。
――そういえば、『魂術』を現実でちゃんと使うの、初めてかも知れないな。
無意識のうちに使ったことなら、何回かあったけど。
無我夢中のまま、ヒロは頭上に光を振りかざした。
光を突き破るかのように、触手の凄まじい打撃が身体中に伝わってくる。
しかし、もうヒロは吹き飛ばされない。両足を踏ん張り、ただ一心に光に力をこめ、彼はルウをひたすら見つめていた。
止まれ。止まってくれ、頼む。そう願いながら。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます