第59話 再会

 

「す、スクレット!!」


 居てもたってもいられず、無我夢中でスクレットに駆け寄るヒロ。

 ヒロを守りながら警戒を緩めず、慎重に接近する会長。

 ボロボロになった骨のあちこちをギイギイ軋ませながら、それでも――

 骸骨執事は、ほっとしたように笑っていた。


「あ、ありがとよ、カイチョー……

 もうちょっとでオレ、ヒロを……殺っちまうトコだった……ぜ……」

「今の一撃で君は無力化したはずだ。

 だからもう、君がヒロ君を襲う心配はない。ゆっくり休んでいろ」

「よ……よかっ……」


 それを聞いて安心したように、ガクリと肩を落としてしまうスクレット。

 いつも真っ白に輝いていた頭蓋骨は今や、灰まみれで全体が黒く汚れていた。


「す……スクレット!

 何で……どうして、こんなことに!?」


 ヒロの目からは、もう涙が止まらない。

 叫びながら思わず骸骨を抱きしめようとしたが、やはり会長に止められた。


「ヒロ君、泣いている暇はないよ。

 周りを見るんだ」


 はっと顔をあげ、ヒロはきょろきょろと辺りを見回す。

 次から次へと、血眼になった生徒たちが涎を垂らしながら、まるでゾンビの如くにじり寄っていた。完全に周囲を固められ、最早逃げることすらおぼつかない。

 サクヤとミソラもその輪に巻き込まれ、怯え切って生徒たちを見つめている。

 闇の中でも鈍く光る魔物たちの眼。その視線は全て――

 何故か、ヒロだけを見据えていた。


「これは……

 会長。何でみんな、俺を?」

「もう分かるだろう。

 君は魔妃の術具に唯一対抗できる『勇者』。一発逆転の切り札を潰そうとしてくるのは当然と言えば当然だ。

 それに勇者の血は元々、魔物たちを惹きつける習性がある。

 勇者の血を舐めれば、不死身になれるとか魔王を超えられるとかいう噂さえあったほどにね」



 ヒロは思わずごくりと唾を呑み込む。

 俺は――そんな大それた存在なんかじゃないのに。

 ルウを助けたい。レズンとちゃんと話をしたい。

 ただ、それだけなのに。



 だがそんなヒロの心の呟きは、さらなる異変によって簡単に踏みつぶされた。

 生徒たちのみならず、救急隊からも叫びが起こる。



「お、おい見ろ! あの触手……」

「どんどん近づいてくる。しかも……人の形だ!!」



 防壁を突き破ってもなお、ゆったりとした降下をやめなかった、巨大触手の塊。

 やがてその全貌が、衆人の前に晒されていく。

 黒煙の中から現れる、無数の黒々のした触手の塊。その上には、人の……少女の姿があった。

 まるで触手と一体化したかのような、少女の上半身が。


 青黒く染まった肌。毛先が触手と化した、真っ黒なストレートの髪。

 その大きな瞳は血のような紅に煌めいている。両手両肩は剥き出しになり、胸から腰にかけては毒沼の如き紫の鱗に覆われ、そこから下は全て触手だ。

 それでも――ヒロにはすぐに分かった。



「る……

 ルウ!」



 思わず叫び、会長の制止すら振り払って駆け出すヒロ。

 白かった肌も、艶のある桜色の髪も、くりくり動く青い瞳も、全て違ってしまっているが――

 それでも確信できた。間違いなく、彼女はルウラリアだと。

 何より、あの特徴的な両サイドの縦ロールはそのままじゃないか。色こそ、金色から鈍い銀色に変わってしまっているが。


「ヒロ君、止まれ! 危険だ!!」

「駄目、ヒロ君!」


 会長やサクヤの声にも、ヒロはもう止まらない。

 今や王妃の如く、しずしずと校庭へと舞い降りて来たルウ。そんな彼女に向かって、ヒロは一直線に走っていった。



 ずっと、心配だった。

 ずっと、謝らなきゃって思ってた。

 ずっと、助けたかった。

 こんなにもルウのことを想っていたなんて……自分でも、意外だったけど。



「ルウ! 生きてたんだな!!

 良かった。本当に良かった……!!」


 黒々とした触手を広げるルウに、迷うことなく突っ走っていくヒロ。

 魔物たちによって閉ざされていたはずのその道が何故か不自然に開かれたことに、ヒロは気づいていない。

 自らの想いのままにルウに駆け寄り、一息に彼女を抱きしめる。

 黒に侵食されてしまった触手はいつもの温もりが消え失せ、やたらひんやりとして氷のようだったが――

 それでもヒロは泣きじゃくりながら、ルウから離れようとしなかった。



「ごめん。ごめんよ、ルウ……あんな酷いこと言って。

 俺、レズンのこと、何も分かってなくて……ちゃんと話もしないで、ルウに全部押し付けて、逃げて……

 だから……その……っ!!」



 それ以上がうまく言葉に出来ず、涙にむせてしまうヒロ。

 ルウは殆ど動くことなく、静かにそんなヒロを見つめている。紅く変貌した眼球で。

 やがて白い唇が開き、重々しい声が流れた。

 


 ――しかしそれは、ヒロが思ってもいなかった言葉。



「――おいでなさい……勇者よ。

 我が主の為に……素晴らしいねやを用意しました。

 我が主は……貴方のタマシイと、カラダ。その全てをご所望です」



 閨?

 俄かに意味が掴めず、きょとんと首をかしげるヒロ。

 これまでのルウの声とも言葉とも、まるで違う。

 ルウはいつもヒロ様ヒロ様うるさかったけど、こんな風に俺を呼んだことなんてなかったのに。

 それに、『我が主』って……?



 だがヒロには、思考を巡らせる暇も与えられなかった。

 抱きしめた触手の間から、やや細めの触手が一斉に湧き出したかと思うと――

 あっという間に、ヒロの身体を絡めとっていく。



「!? 

 る、ルウ……っ!!」



 細い首筋にきつく巻き付けられた冷たい触手に、一瞬呼吸が止まった。

 勿論それだけでは終わらず、触手は両手首、腰、太ももにふくらはぎを拘束し。

 さらに先端は水兵服の襟や裾から内側にまで、容赦なく侵入していく。ぬめぬめとした冷たい触手に脇腹を直接触られ、思わず全身がぶるっと震えた。

 あっという間に動きを封じられたヒロは、そのまま軽々と空中へと持ち上げられてしまった。


「や、やめ……いやだ、ルウっ……!!」


 しかしルウの触手は全く容赦しない。

 その勢いは止まらず、やがて触手の先端はヒロの左肩、まだ癒えぬ傷口へと躊躇なく突っ込まれた。


「あ、あ、あぁああぁああぁああぁああ!!?」


 痛みのあまり絶叫するヒロ。

 それでもルウの動きは止まらず、さらに触手を傷へとめり込ませていく。

 それも、とても冷徹に。


「なるほど……これは確かに、勇者の血の匂い……勇者の血の味。

 この血こそ、我が主の望むもの」



 畜生。俺が本気で嫌がることは何やかんやで止めてくれるのが、ルウだったのに。

 ヒロが無我夢中で触手を掴んで引き抜こうとしても、その動きは一向に止まらない。

 そんな中でさえルウは無感情のまま、淡々と言葉を継いだ。



「天の結界の向こうで、我が主は貴方をお待ちです。

 そこは魔妃に許された者以外、何人たりとも侵入を許さぬ領域――

 さぁ、勇者よ。敬愛する我が主のもとへ!」



 我が主……って……

 もしかして、レズンのことか。



 そう思い当たった瞬間、ヒロのすぐそばで炎が爆ぜた。

 比較的細めだった触手はその攻撃によってちぎれ、ヒロの身体は地表へと投げ出される。

 尻餅をつきながら振り返った先では、会長がルウに向かって炎術による一斉砲撃を仕掛けていた。


「ヒロ君、離れろ!

 そのルウさんはもう、君の知っている彼女じゃない!!」

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