第56話 少年、絶望を知る

 

 思わず震え上がり、ヒロは無意識に左肩の傷を押さえ込んでいた。

 レズンのあの顔を見た途端、痛みがぶり返してきた気さえする。

 慌ててスクレットがそんな彼を抱え込んだ。


「ど、どうしたヒロ!? 顔色ヤベェぞ!」

「う……うん、大丈夫……」


 吐き気さえ覚え、ヒロは画面から視線を逸らしてしまった。

 真っ黒い絶望が心に浸みこみ、広がっていく。



 ――ルウの言う通りだった。

 レズンは、何も反省なんかしていなかった。

 元に戻ってなんか、いなかったんだ。



 帰り際のルウの言葉が、頭に反響する。

 同時に湧きあがったものは、激しい悔悟。



 ――あの時、ルウは言ってたっけ。

 受け入れないといけない現実もあるって……

 それなのに俺は、ルウの言葉を何も聞かず、その手を叩き払った。



「俺……俺……

 ルウと喧嘩した挙句、あいつを一方的に否定して、逃げ出して……

 全部あいつに押しつけた。

 本当なら、俺がちゃんとレズンと話をしなきゃいけなかったのに!!」



 いつの間にかヒロの両目からは大粒の涙が零れだし、止まらない。

 そんな彼に気遣ってか、サクヤは一旦映像を止めていたが――

 会長が冷徹に彼女を促した。



「続けてくれ、サクヤさん。

 一体何があったのか、皆が早急に知る必要がある。

 僕だって、知らせを聞いて駆けつけたらたまたま、地下から何とか脱出してきた君を見つけられただけだ。一連の不可解な現象の発端は何も分かっていない。

 恐らく――レズン・カスティロスが大きく関わっているのだろうとは思うけどね」



 会長の言葉に、ヒロは身震いを隠せない。

 学校全部を巻き込むほどの災厄に、レズンが関わってる? 一体どうして?

 サクヤはほんの一瞬戸惑ってはいたものの、それでも意を決してミラスコの映像を再生させた。


 映像では、何かが机に乱暴に放り投げられている。

 それは間違いなく、レズンのミラスコだった。机の上を滑り、もう少しでルウに届くかというところで止まっている。

 いかにも挑発的なレズンの言葉が聞こえ、それに呼応するようにルウが注意深くゆっくりと一歩を踏み出した――



 その瞬間だった。

 ルウの足元からどういうわけか、黒い煙のようなものが立ちのぼる。

 それはあっという間に彼女の全身を包みこんでしまった。撮っているサクヤ自身も驚いたのか、画面自体が激しく揺れている。



「る、ルウ!?」

「この煙は……!」


 

 ヒロも会長も、揃って身を乗り出した。

 レズンの目の前で、黒い煙に囚われてしまったルウ。

 彼女はどういうわけか、頭を抱えて苦しげな呻きを上げていた。そんなルウにサクヤが慌てて駆け寄ったのか、大きく揺れる画面。レズンの顔が一層はっきり映し出されていく。

 二人の少女の悲鳴が交錯する中、レズンは――


「――これは、まさか」


 最初に『それ』に気づいたのは、会長だった。

 苦しむルウを前に、レズンが何かを咥えている。それはドラゴンを模した形状の、オカリナにも似た黒い笛。

 ヒロには何も分からなかったが、スクレットは明確に顔をしかめた。


「こ、この音! ぐ、き、きもち、悪い……っ!!」

「え?

 何か聞こえるのか、スクレット?」

「う、うぅ……ヒロには聞こえねぇのかよ、この、頭蓋骨を内側から直接引っかかれるようなイヤーな音!!」


 そんなスクレットを見ながら、会長も僅かに眉をひそめる。


「サクヤさん。ちょっと……音量を下げてくれないか。

 ミラスコごしなら恐らくそこまで悪影響はないだろうけど、万が一のこともある」

「は、はい」


 サクヤが慌てて音量を調整したが、会長の横顔にはいつになく焦りが見える。

 画面内で苦しみ続けるルウ。その下半身はいつの間にか変身が解除され、元の触手形態に戻っていた。

 それだけではない。彼女の身体はどういうわけか、次第に奇妙な黒紫に染まり始めている。

 その異様な変色を見るなり、会長は叫んだ。


「間違いない。

 これは……『魔妃の角笛』!

 まさか、こんな特級術具を持ち出すなんて!!」


 会長が何を言い出したのか、ヒロは当然理解出来ない。

 画面の中でルウの身体の黒はさらに全身を蝕み、ついには桜色のストレートヘア、そしていつも自慢していた金の縦ロールまでが黒く侵されていく。

 何故か上半身の変身は解除されないという中途半端な状態のまま、彼女は苦しみ続けていた。


「ルウ! ルウー!!」


 もう見ていられず、ヒロは泣き叫ぶしかない。

 しかしその瞬間、画面は再び大きく揺れた。

 ルウの声と共に。



 《お願いです、サクヤさん!

 これはレズンの罠です。このままでは学校中が大変なことに……

 今すぐここから逃げて、ヒロ様と会長に連絡を!!

 わたくしの意識はもうじき……うぐぅっ!?》



 そんなルウの声と同時に――

 ザリザリという嫌な音がして、彼女の姿は突然、画面外へと消えた。恐らく撮影者たるサクヤ自身が大きく移動させられたことでフレームアウトしたのだろう。

 さらに轟いたのは、激しい爆発音。画面自体も暗転する。



「……この時、ルウさんは私をつかまえて、実験室から強引に投げ飛ばした。

 その咄嗟の機転のおかげで私も、地下からどうにか脱出できたの。だけど……

 この後彼女がどうなったかは……分からない。

 外に出た時にはもう、空から魔物が降りてきてて……何が何だか、わけが分からなくて!」



 涙をこらえながら、一部始終を語るサクヤ。

 そんな彼女を励ますように、会長は彼女の肩をぽんと軽く叩いた。


「ありがとう、サクヤさん。

 君のおかげで、この異変の真相がだいたい分かったよ」

「えぇっ!?」


 ヒロもサクヤもスクレットも、ミソラまでが驚いて会長を見つめた。


「ただしこれは……とてつもない大事なのは間違いない。

 このまま放置すれば学校のみならずこの街、下手をすれば国をも巻き込んでしまう。

 それだけじゃない。今まで均衡を保ってきた魔物と人間の関係にも、著しい影響を及ぼしかねない。

 それほどのことをやらかしたんだよ。レズンはね」

「そ、そんな……」


 ヒロは思わずごくりと唾を呑み込みながら、会長の言葉を聞いているしかなかった。

 その背後でスクレットが骨をガタガタ揺らし、苛立ちを露わにする。


「な、何だよ。もったいぶってないでさっさと説明しろや、カイチョー!」

「教えてくれ、会長。レズンはルウに、一体何をしたんだ!?」


 ヒロにも問われ、会長は眼鏡をさっと直した。

 しかし声色こそ冷静さを保っていたものの、その紅の瞳にははっきりと動揺が現れている。


「レズンが使っていたのは、『魔妃の角笛』。

 かつて魔妃ヴィミラニエが使用していたと言われる、特級術具だ。

 これを手にした彼女は絶対無敵を誇り、人間たちのみならず、当時対立関係にあった魔王さえも苦しめたと言われている」

「れ、レズンがそんなものを? どうして?」


 真っ青になりながら、ヒロは尋ねる。

 ぎりっと唇を噛みつつ、会長は淡々と答えた。


「以前も少し触れたが、レズンの母親――レーナ・カスティロスは、ヴィミラニエの末裔だ。

 恐らくカスティロスの屋敷に代々保管されていたものを、何らかの方法でレズンが持ち出したか、レーナが息子に与えたかしたんだろう。

 あの術具は魔妃の血を継ぐものしか使えないが――もし使用された場合、甚大な被害が出る」

「甚大な……被害?」



 ヒロは思わず周囲を見回した。

 降下してきた無数の魔物、炎上する校舎、泣き叫ぶ生徒たち。

 それもこれも、全てレズンがやったというのか。その『角笛』を使って。



「まず第一に――

 笛の音を聞いた魔物は、その場でその使用者の虜になる。

 つまり、使用者の思い通りに動く傀儡。操り人形となってしまうんだ」

「……!!」


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