第54話 少年、縛られる

※作者注※ 今回、そこそこの流血描写があります。

なお今回以降、似たような流血描写が頻出します。苦手なかたはご注意ください。




 

「……えっ?」


 それは全く唐突に、ヒロの頭の中で響いた声。

 突然のことに彼は思わず動きを止めてしまい、きょろきょろと周囲の魔物たちを見渡した。

 しかし彼らはヒロたちを舐めるように眺めまわしては、一方的に飛びかかってくるばかり。



「誰だ……ルウ?

 違う、これは……」



 確かに聞き覚えがある声だったが、明らかにルウのそれではない。

 勿論スクレットでもない。これは。


「……まさか」


 声の主にヒロが思い当たった、その瞬間だった。



「ヒロ! 

 下見ろ、下!!」

「!?」



 スクレットの怒声。

 と同時に、ヒロの足元に異変が発生した。

 ボコボコと音を立てて地面が膨らんだかと思うと、真っ黒に変色したデビルカズラの蔦が、一斉に何本も地表へ飛び出した。土煙と共に。

 ヒロが避ける余裕もない。一瞬で蔦はその足首に絡みついていく。

 いや、足首だけではない。気が付いた時には腰にも太ももにも、そして両手首と頭にさえも蔦は蛇のように巻きついて、ほぼ完全にヒロの動きは封じられてしまった。


「う……あぁっ!!」


 そのまま大きく伸びあがる蔦。当然ヒロの身体も、空中に持ち上げられていく。


「ヒロ!」


 スクレットも慌てて蔦を切り裂こうとしたが、そんな彼すらも蔦に足元をすくわれ、すぐにがんじがらめにされてしまっていた。

 全身を拘束され、仰向けの体勢で空に持ち上げられてしまったヒロ。

 両手を封じられたせいで、術を使うことも出来ない。ほぼ無防備になってしまった彼の元へ、空中からも鳥型の魔物が群がってくる。良い獲物だとばかりに。


 真っ先にヒロに攻撃してきたのは、小型のドラゴンにも似た形状の魔物。

 小型とはいえその頭部はヒロの頭とほぼ同じ大きさで、あんぐりと開いた口は耳まで大きく裂け、尖った牙が無数に見えた。

 黒い頭部の中で唯一紅に燃える眼球が、ギョロリと音を立てるかのようにヒロを睨んだかと思うと――



 次の瞬間、無防備だったヒロの左肩に

 魔物は容赦なく嚙みついた。

 まだ成長途上の肌と肉に突き刺さる、牙の音。



「あ……

 がぁああぁあああああぁああああぁああああ!!!」



 痛みに満ちたヒロの絶叫が、天にこだまする。

 同時に舞い散ったものは、真っ赤な血飛沫。


「ひ……

 ヒローッ!!!」


 そんなヒロを見せつけられながら、スクレットはどうすることも出来ずに喚くしかない。

 しかもその一撃だけでは魔物は離れず、なおもヒロの肩に食らいついていた。

 魔物はちゅうちゅうと音をたてながらヒロの血を吸い続け、さらに牙を食いこませる。流れ出した血もちぎれた肉も、全て吸い尽くすかのように。


「あ、あぁ、あぐああああぁあああぁあああぁあああぁ……

 る……ルウ……っ!!」


 骨まで届くかというほどの激痛に耐えながら、思わずヒロはルウの名を呼んでいた。

 眼前が真っ赤に染まり、自身の血が頬にまで飛び散っていく。



 もう、駄目なのか。

 ルウたちに何があったかも分からないうちに、俺は――



 ――だが。

 激痛のあまり、意識を手放しかけてしまった

 その瞬間だった。




「ヒロ君! 諦めるな!!」




 よく通る声が、ヒロの耳に届いた。

 と同時に、ガシュッと嫌な音がすぐ近くで響き

 左肩に噛みついていた魔物の牙から、一息に力が抜けていく。

 見ると、魔物の首根っこから大量の黒い体液が噴出し、空をさらに黒々と染めていた。

 その向こうに見えたものは――



「か……

 会長?」



 それはヒロも良く知る生徒会長、ロッソ・ヴァーミリオの長身。

 当然のように宙にふわりと浮かびながら、右掌に電撃魔法を充填している。その左腕には、負傷したらしき女子生徒が軽々と抱えられていた。

 きっちり整えられたブレザーと、両耳を覆い隠す白い布、眼鏡の奥から覗く鋭い紅の瞳は、いつもと何ら変わらない。

 しかしその銀髪は、何故かこの闇の中でも自ら光を放ち、妖しく煌めいていた。


「大丈夫だ。

 今、君の拘束を解く!」


 その瞬間、彼の掌から閃光が放たれ――

 次の数秒にはもう、ヒロとスクレットを縛っていた蔦は全て木っ端みじんになっていた。

 空中から落ちてきたヒロの下へ慌てて駆けつけ、抱きとめるスクレット。


「ひ、ヒロ! 平気か!?」

「う……うん……何とか……」


 助かった。

 何が起こったのかまるで分からないけれど、とにかく、助かったんだ。


 解放されたからといって、痛みと出血が消えるわけではない。

 ヒロは息を荒げながら、無意識のうちに左肩をぎゅっと握りしめていた。

 流れ出した血が、肩に触れた指まで染めていく。

 動揺と困惑で、眼窩を歪ませるスクレット。人間なら多分眉が完全にハの字になっているはずだ。


「すまん!

 オレがついていながら、こんな怪我を!!」

「いいんだ……ありがとな、スクレット。

 それより……」


 スクレットの肩ごしに、ヒロは状況を確認する。

 ヒロの拘束を解くと同時に、会長が一瞬で周囲の魔物を薙ぎ払ったのか。

 黒で覆い尽くされていたヒロたちの視界も、やっとはっきりし始めていた。

 しかし魔物たちは相変わらず空から無限に湧き出し、学校めがけて降下してくる。既に炎をあげ、倒壊しつつある校舎へと。

 校庭では生徒も教師も、悲鳴をあげながら逃げ惑っている。



 会長はそんな光景をぐるりと見渡し――

 その瞳に静かな怒りを滾らせた。


「ヒロ君。ちょっとだけ、彼女を頼む」

「えっ?」


 彼は音もなくヒロたちの前に舞い降りると、左腕に抱えていた女子生徒を地面に横たえた。

 そのまま会長はすぐさま、魔物との戦闘に戻っていってしまう。間もなく、目も眩むような閃光弾の嵐が上空に吹き荒れた。

 一瞬呆然とするしかないヒロとスクレットだったが、倒れた少女の顔を見て、二人とも思わず叫んでいた。


「さ、サクヤ!?」

「サクヤちゃーん!!?」


 ショートの黒髪に、見慣れた水兵服。

 ぐったりと力なく倒れているその少女は、間違いなくサクヤだった。

 ただその身体は至るところボロボロで、膝や腕も軽い怪我をしている。額からも出血して、意識も失っているようだ。

 思わずヒロは手をかざし、水術を発動させる。

 ルウの治癒魔法ほどの力はないものの、ヒロの水術も、少々の傷ならすぐ治せるレベルに成長していた。

 治癒の力を持つ水術の青い光が、サクヤを包む――すると。


「ん……うぅ……

 ひ、ヒロ君?」


 少しだけ瞼を開き、唇を震わせるサクヤ。

 そんな彼女を見て、ヒロは思わず目を潤ませてしまった。


「良かった。無事だったんだな、サクヤ!」


 そんなヒロを見て、サクヤも驚いて目を見張る。


「ヒロ君……スクレットさんも、どうしてここに?

 それに、その怪我! ヒロ君こそ、治療しないと」

「ううん、大丈夫だって。みんなほどじゃない」


 サクヤの声を聞き、ヒロの胸にほうっと暖かな安堵が広がる。

 サクヤが無事なら、きっとルウも、レズンも大丈夫だ。

 まだ痛む肩を押さえながら、ヒロはちょっとだけ強がってみせたものの――

 すぐに涙声になってしまう。


「ニュースで見てから……俺、いてもたってもいられなくて。

 ルウやサクヤに、……レズンに、何かあったらって思ったら……!!」


 傷もそのままに、袖でごしごしと涙をぬぐうヒロ。

 そんなヒロをじっと見つめるサクヤ。その表情はどこか沈んだままだ。


「……落ち着いて聞いて、ヒロ君。

 ルウさんとレズン君は……」


 声を落とし、サクヤは俯き加減で呟く。

 ルウやレズンはどうしたのか。ヒロがそう尋ねようとした、その瞬間だった。



「ふぅ……鬱陶しいな。

 みんなを避難させる時間ぐらいは、稼がせてもらうよ!」



 そんな会長の言葉と共に――

 魔物でびっしり覆われた空に、ひときわ眩い火球がさく裂した。



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