第52話 異変

 

「さすがに……

 悪いことしたよな。ルウに」


 屋敷に戻ってからも、ヒロは先ほどの出来事が頭から離れなかった。

 制服はびしょ濡れのままだったが、脱ぐ気になれない。自分もルウと一緒に学校に戻るべきだったんじゃないか――そんな気がして。


「あらあら、ヒロ様!

 どうしたのですか、そんなにずぶ濡れになって!?」

「おいおい……また学校で何かあったのかよ!」


 着替えもせず、リビングのソファに座ってぼうっとしていたヒロ。そんな彼に気がつくなり、ソフィにスクレットが慌てて駆け寄ってきた。

 ソフィから渡されたバスタオルで頭を拭きながら、ヒロはそっと首を振る。


「ううん……大丈夫。

 ちょっと、ルウと喧嘩しちゃってさ」


 ヒロは簡単にいきさつを説明した。

 ソフィとスクレットはうんうんと頷きながら聞いてくれていたが――

 話をしているうちに、やっぱり悪いのは自分だったという気がしてならなかった。



 ――出会ってから俺は、ルウにどれだけ助けられたか分からない。

 学校で普通に過ごせるようになったのも、ルウのおかげなのに。

 なのに俺は、何で……



 最初は、言うことなすことやたらおかしい、変な触手だとしか思わなかった。

 勝手に俺と結婚するとか言い出し、やたら俺のことを褒めそやすから、おかしな魔物にとりつかれちまったと――最初は思ってたけど。



 常時スケベ根性丸出しなのは、さすがにかなり引いた。

 何かと俺の身体を弄ってくるし、隙あらば服の中に触手を入れてくるし、事あるごとに俺を服のまま風呂に入れるし……修行中なんか、絶対他人に言えないことも何度も……

 それでも、いつも強引に一緒にいてくれて。

 俺を助けてくれて、俺を理解して、力いっぱい抱きしめてくれて。

 俺が本当に嫌がることは、ギリギリのところで止めてくれた。

 そうしているうちほんの少しずつ、あいつのことも分かるようになってきた。

 いつだって、全力で俺を好きだって言ってくれる、あいつのことを。


 それにあいつは、俺を持ち上げるだけじゃない。

 全面的に俺を肯定するだけじゃなく、おかしいと思うところがあれば指摘してくれる。ついさっきもそうだったように。


 

 それなのに――

 思わず手を叩き払ってしまった瞬間の、彼女のあの表情。

 何をされたか一瞬では受け入れられず、当惑で見開かれた青い瞳。



 ――きっと、傷つけてしまった。

 そんな彼女を見ていられず、逃げるように屋敷に帰ってきてしまった自分が情けない。

 彼女を傷つけた自分を認められなくて、俺は逃げ出したんだ。

 ――何が勇者だ。ただ卑怯で臆病なだけだ、俺は。



 ルウはそのまま学校へ戻ってしまっただろう。

 レズンにミラスコの画像を消させる、その為に。

 本来はルウじゃなく、俺がやらなきゃいけないことなのに。



 ひととおりの話を終え、押し黙ってしまったヒロ。

 そんな彼に、ソフィはそっと優しく言葉をかける。


「ヒロ様……そこまで気に病むこと、ありませんよ。

 彼女とヒロ様とでは、レズン様に関する見解が違っても仕方のないこと。

 だってそもそも、彼とお付き合いされている時間が違うのです。

 ルウラリア様も正しいですが、ヒロ様の意見にも一理あると私は思います」

「ソフィ……」

「良いことではありませんか。

 こうして意見を戦わせてこそ、よりお互いの理解が深まるというものですし。

 現にヒロ様は今、もっとルウ様を知りたいと考えていらっしゃるでしょう?」


 黒目を思いきり細めてにっこり笑うソフィ。

 スクレットも相変わらず全身の骸骨を左右に揺らしながら、ヒロを励ました。


「そんなシケた顔してんじゃねぇぞ!

 レズンの野郎がヒロの言う通り、ホントに昔に戻ったんならさ。

 きっとミラスコも、何とかなるだろ!!」

「わ、わわっ!」


 そう言いながらスクレットは両手でヒロの頭のバスタオルを掴み、強引にぐしゃぐしゃと拭いた。タオルごしでも骨の感触は結構痛い。


「そうそう、おじい様も今はまだお仕事ですし……

 テレビでも見てゆっくりしてくださいな、ヒロ様。

 と言っても、今の時間はニュースぐらいしかやっていませんが」


 そう言いながらソフィは、リビングの壁に据え付けられたテレビのスイッチを入れた。

 ミラスコと同じ通信技術を元に作られた、家庭用映像音声伝送装置。この国では一般的に『テレビ』と称され、様々な情報番組や娯楽番組を流している。

 しかしヒロはじっとうなだれ、スクレットに身体を拭きまくられるままだ。

 それでも楽しげに、いそいそとテーブルを拭くソフィ。


「ヒロ様、今日はとっておきのブラッドレーズンのタルトを焼いてあるんですよ。久しぶりに焼いてみたら、うまくいったので是非召し上がっていただければ」

「おぉ、楽しみだな! ソフィのタルトは滅茶苦茶美味いし、ブラッドレーズンはサイコーだぜ!!」

「スクレット、ヒロ様とルウ様の為に焼いたのですよ。いつも貴方は食べ過ぎるんですから

 ……って、アラ?」



 ふと、テレビ画面に黒目を向けるソフィ。

 彼女の反応に、ヒロも思わず顔を上げてテレビを見る。

 ――そこには、俄かには信じられないような映像が流れていた。



 画面いっぱいに広がる黒い煙。

 その中心には、僅かにちらちらと紅に燃える建物が見える。それは、ヒロもよく見覚えのある赤レンガだった。



「な……

 何だ、コレ……?」



 美しい古城にも似た赤レンガの建物が、殆ど全ての窓から煙を噴きだし、炎上している。

 よく見ると一部は崩落し、逃げ惑う人々の姿までがうっすら見えた。

 何が起こったか理解出来ず、茫然と画面を眺めるヒロ。その耳に、レポーターの声が飛び込んでくる。



 《えー、ただ今番組を変更し、臨時ニュースをお伝えしております。

 先ほど、エーデルシュタット市の聖イーリス学園にて、大規模な爆発事故が発生したとの情報がありました。現在の学園上空からの映像で確認する限り、火はさらに燃え広がっています!

 事故発生時刻はまだ校内に残っていた学生や教師も多く、かなりの負傷者・行方不明者が出ている模様です。繰り返します――》



「そんな……!!」



 思わず立ち上がってしまうヒロ。バスタオルがひらりと床に落ちた。

 ソフィもスクレットも真っ青になって飛び上がる。


「が、学校が?! ルウ様は!!」

「ルウだけじゃないぜ! サクヤも、会長だってまだいるんじゃないか!?」


 映像はさらにズームアップされ、辛くも校庭に逃れた生徒たちを映し出す。

 ヒロも見慣れた、水兵服の生徒たちの姿。それが黒煙の向こうにちらちら見えた――

 中には、教師に介抱されている生徒も数名いた。

 さらにレポーターの声が無情に響く。


 《事故原因ですが、地下実験室で正体不明の魔物が突然暴れ出したとの情報が入っています。詳細は不明ですが、爆発と同時に周辺の魔物も暴走を始めた、生徒たちに襲いかかったなど、現場でも情報が錯綜しており――》


「ルウ!!」


 それを聞いた途端、ヒロはリビングから駆け出そうとした――が。

 咄嗟に追いついたスクレットが、強引に背後からヒロを押しとどめた。

 両脇から軽々と抱えられ、ヒロは空中で思わず足をばたつかせてしまう。


「駄目だ、ヒロ!

 今お前一人が行ったって、どうなるってんだよ!?」

「は、離せ、離せってば!

 地下実験室って、ルウたちとレズンが会ってるはずの場所なんだよ。きっとルウに何かあったんだ――

 俺が一緒に行ってれば!」


 殆ど半狂乱になり、泣き叫ぶヒロ。

 だがスクレットはそれでも、彼を離そうとはしなかった。


「落ち着けって!

 お前が行ってたら、今度はお前まで巻き込まれたかも知れねぇんだぞ!?」

「でも、でも!

 俺がいれば、何とか出来たかも知れない。こんなことになる前に、止められたかも知れないのに!!」

「バッカ野郎!

 何が起こったかも分からんうちに、自分なら止められたとか……うぬぼれんな!!」

「いいから離せってば、スクレット!

 とにかく、俺は行かなきゃ。ルウたちを助けなきゃ!!

 俺、ルウに謝ってないんだ。レズンともちゃんと話、しなきゃいけなかったのに!!」


 なおもジタバタ無駄に暴れ続けるヒロ。

 しかしスクレットはこの状況下でありながら、案外冷静だった。


「なぁ、ヒロ。

 オレは何も、行くなって言ってるわけじゃねぇぜ?」

「えっ?」


 スクレットはヒロを押さえつつも、いつも通り陽気にニカッと笑って見せた。


「ヒロが行くなら、オレも一緒だ。

 知ってるだろ? オレが本気でケンカしたら、結構強いってこと!」

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