第51話 触手令嬢、罠にハマる
「ごめんね、ルウさん。
私も突然呼び出されて、何が何だか分からなくて……」
学校へ戻りますと、校門付近でサクヤさんが待っていました。
彼女の通信によると、どうやら地下の土術実験室にレズンは待っているとのこと。
サクヤさんも突然のレズンの申し出に戸惑っていましたが、わたくしたちはとりあえず指定の場所へ走り出しました。
「ねぇルウさん。ヒロ君は?」
「お屋敷に待機していただいてますわ。まことにありがたき、クズン『様』のご命令ですからね」
ヒロ様とちょっと喧嘩になったことは伏せつつ、思いきり嫌味を言ってのけるわたくし。
それを聞いて、サクヤさんの顔が少し曇りました。
「そう……
もしかしたらヒロ君も来るかな、って思ったんだけど」
確かに、その意見も分かります。
わたくしとヒロ様、そしてサクヤさん、出来れば会長にもいて下さった方が、どれだけ心強いか分かりません。しかし……
「サクヤさん。
相手は未だに究極の一手を隠し持つクズ。その上かなり追いつめられているときている……何をしてくるか分かりません。
ここは一旦、言う通りにしておいた方がいいでしょう」
「そうね。出来れば会長もいてくれたらよかったけど……
今、生徒会の仕事がたてこんでるらしくて」
「会長もお忙しいでしょうし、無理強いは出来ませんわ。
わたくしたちに出来ることなら、わたくしたちで片づけてしまいましょう」
とにかくまずは、クズンからミラスコを取り戻すのが第一。
そう心に念じながら、わたくしたちは学園の地下に入り、土術実験室へと向かいます。
ここの地下施設は学園と同様かなり大規模で、火・水・風・氷・雷など各種魔法の実験室があり、国の有名な術師が時々研究に使用することでも知られています。
しかし土術は他の術と違い、習得まで相当の時間を要する術。大地を揺るがすほどの高度な術となると若い学生風情では扱えず、たまに素養のある者がいてもせいぜい小石を飛ばして攻撃する程度が精一杯。
なので土術実験室は経費削減の影響で、設備も部屋自体もだいぶこじんまりとしてしまっておりました。
そのせいか、生徒たちの間でも土術はかなりの不人気。担当教師も怠惰な為、今では殆ど訪れる者さえいません。亡霊実験室とさえ揶揄される始末です。
そんな実験室に、何故レズンがわたくしたちを?
不可解ではありましたが、わたくしとサクヤさんは到着するや否や、勢いよく実験室の扉を開きました。
窓もなく、殆ど光の射さない薄暗い空間。他の実験室なら、壁に刻まれた術の力による光が自然に溢れているのに、ここにはそんな気配は殆どありません。
埃を被った机や術具に、落書きかどうかも分からない乱雑な文字が描かれた黒板。無数に並べられたガラス瓶は、長いこと使われていないせいか縁が煤けています。
どことなく亡者の匂いさえする、そんな実験室。
そんな暗い部屋の片隅で――
レズンはわたくしたちを待ち構えておりました。
「やっと来たか。
待ってたぜ……化け物よぅ」
唇に酷薄な笑いを浮かべながら、両手をポケットに突っ込んでいるレズン。
嫌な予感は当たってしまったようです。あぁ、ヒロ様――これはどう見ても、心から反省している人間の表情ではありませんよ?
サクヤさんもそれに気づいたのか、思わず一歩踏み出します。
「れ……レズン君!
私たちを呼び出して、何をするつもり?
ヒロ君に本当に謝りたいのなら、まず彼に謝るべきでしょう?」
「だから言っただろ、サクヤぁ?
俺、心底後悔してて、恥ずかしいんだよ。ヒロと顔合わせるのさぁ」
ねっとりとした口調で、サクヤさんとわたくしを上から下まで眺めまわすクズン。あぁ、これだけで気色悪い。
ヒロ様を連れてこなくて正解でした。あれだけこのクズを信じていたヒロ様が、この様相を見たら
――また、酷く傷ついてしまうでしょうから。
こやつが何を狙っているか知りませんが、サクヤさんを巻き込むわけにはいきません。
わたくしは彼女を庇いつつ、一歩前へと踏み出しました。
「レズン・カスティロス。
貴方が謝罪したいというお話でしたから、わたくしたちはここへ参りました。
心からヒロ様へ謝罪し、誠意を見せたいというならば――
まずは、貴方のミラスコを出していただきます。
その上で、ヒロ様に直接謝ってください。恥ずかしいなどという理由で彼に会わないなど、言語道断。
ヒロ様がこれまで、何度貴方に傷つけられ、どれほどの恥辱を味わわされたと思っているのです!?」
「分かった、分かったよ」
わたくしの言葉にさえもひらひらと手を振りながら、鬱陶しげにこちらを睨んでさえいるレズン。
明らかに、反省する気など欠片もないのでしょう。
「これで満足だろ?」
面倒そうに言いながら彼は、ポケットからミラスコを出し、机の上に放り投げました。
あっけなく捨てられたミラスコは、埃を被った机の上に歪な線を描きながら、こちらに滑ってきます。
そしてわたくしの手が届くか届かないかのところで、ミラスコは止まりました。
サクヤさんがほっと安心したように一息つきましたが、まだ油断は出来ません。
この中にあるヒロ様の写し絵の完全消去までやってもらわねば。ミラスコがこちらの手に渡っても、何らかの手段でコピーしている可能性もあります。
さて、どうするべきか。
何となく嫌な予感がして、わたくしは一瞬躊躇しましたが――
「何してんだよ?
俺は気まぐれなんだ。さっさと片づけないと、いつまた俺の気が変わるか分からんぜ?」
そんなレズンの挑発。
何を考えているのかさっぱり分かりませんが、とにかく、このミラスコさえ何とか出来れば――
ヒロ様の平穏は守られる。
もしこれが何らかの罠だったとしても、こちらにはサクヤさんも会長も、おじい様もいらっしゃる。何より、わたくし自身がレズンと対決して、物理的に負けるはずがない。
クズン如きが考える罠など、たかが知れている。
思えば、わたくしと出会ってから悲しい顔ばかり見せていたヒロ様。
彼が心からの笑顔になれたことなど、何回あったでしょう。
普段の可愛らしい笑顔があるからこそ、苦悶の表情だって引き立つのです。いつもいつも物憂げなお顔をされていては、こちらもやり甲斐がありません。
そう。これはヒロ様の、本当の笑顔を取り戻す為です!
心に念じて、思い切ってさらに一歩を踏み出し、ミラスコに手をかけようとした
――その瞬間でした。
わたくしの足元から、何やら冷たく黒い煙が立ち上ってきました。
ゾワリとするような感触が足首に巻きついた。気持ち悪さに思わず足をのけようとしましたが、両脚は何故か動きません。
同時にその場を満たしたものは、キィンと空気を震わせる高音。
一体何故でしょう。その音を聞いただけで、酷い頭痛がしてまいりました。
「あ、あぁ……この音は……うぐっ……!!」
「る、ルウさん!? どうしたの!?」
慌てて駆け寄ってきたサクヤさんには、特に何も聞こえていないようです。
ということは――この音色は、まさか。
痛い。頭が痛い。音は容赦なくわたくしの脳内をガンガンと叩いてきます。
脳の血管が全て破裂したらこんな感じという激痛……こ、これは……!?
身体全体が、まるで鉛になってしまったかのように重い。
一体このクズン、何をやらかしたのでしょう。
何とか視線だけを上げ、レズンを確認すると――
ヤツは何やら、真っ黒な笛のようなものをくわえていました。
オカリナにも似た笛ですが、形状は小さなドラゴンを模しています。
そのドラゴンの眼球は今、妖しい紅に光り輝いていました。
わたくしの動きすら止めてしまう、この笛は――ただごとではありません!!
「ルウさん、しっかりして! ルウさん!!
レズン君! 一体、何をしたの!?」
サクヤさんの叫びにもレズンの返答はなく、ただ、頭が割れんばかりの笛の音が室内に充満するばかり。
しかもわたくしの変化は足元から解除されかかり、気がつけば腰のあたりまで元の触手に戻っておりました。
その上――あぁ、なんということでしょう。
自慢の桜色のピッチピチのお肌が、うっ血したかのような黒紫色に染まり始めています。
これは……まさか。
咄嗟にわたくしは、サクヤさんの身体にまだ動く触手を巻き付けました。
説明している時間はありません。とにかく一刻も早く、この事態をヒロ様に、会長に伝えなければ――
「る、ルウさん!?」
「お願いです、サクヤさん!
これはレズンの罠です。このままでは学校中が大変なことに……
今すぐここから逃げて、ヒロ様と会長に連絡を!!
わたくしの意識はもうじき……うぐぅっ!?」
いけない。最早、声帯までもが動かなくなってしまいました。
残された力を振り絞り、わたくしは絡めとったサクヤさんを力いっぱい、扉の外まで投げ飛ばしました。
「い、いやぁああぁあっ!?」
彼女の悲鳴と共に、盛大に壁が崩壊する音が聞こえましたが。
わたくしにはもう、何も見えません。視界が真っ暗闇に閉ざされていきます……
あの忌まわしい音以外、何も聞こえなくなっていきます。
そんな時、耳元でふと、囁かれた言葉は――
「ルウラリア。
これからお前は、ずっと俺の下僕だ……
ずっと、永遠に、な」
脳に反響する、あまりにも忌々しい言葉と声。
しかし抵抗しようにも、触手という触手はほぼ動きません。
あと数分もすれば、全ての触手は……きっと……
ただ今は、サクヤさんが無事に逃げのびてくれることを祈るばかり――
あぁ……意識が薄れていく。
ヒロ様。わたくし、最後に……
貴方の、心からの笑顔を、見たかっ……
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