第46話 触手令嬢と唐突な父上

「ヒロ様。

 何故、抵抗なさらないのです?」


 そんな言葉に、彼は一瞬きょとんとしてわたくしを見つめました。

 泥を前髪から滴らせながら、まっすぐこちらを見つめてくる若草色の瞳は、いつ見ても美しい。

 ですがその眼はすぐに、憤怒の色に染まってしまいます。あぁ、くるくる変化するこの表情もまた。


「ふ、ふざけんな!

 あんな四方八方から滅茶苦茶に攻撃されて、反撃も何も出来るわけないだろ!?

 逃げるくらいが手一杯だよ!!」

「そんなことはないはずです。

 初日ならともかく、修行開始からかなり時間も経っております。

 ヒロ様は自分のうちに秘めた力に、わずかながら気づいているはず」

「……!」


 そうなのです。わたくしの攻撃の激烈さは初回よりは大分セーブしていたものの、それでも日に日に力も速さも少しずつ増していくよう調整しています。

 しかしヒロ様がその攻撃をかわすスピードは、それに負けないくらい成長していました。

 逃げ足だけではありません。例え攻撃を喰らったとしても――

 当初はただの殴打でも一撃で気絶していたのが、今では単純な打撃なら三発か四発程度は耐えきれるようになり、風の刃などによる斬撃もなかなか肉を抉るまでに至らなくなっています。スカートはしょっちゅうミニになってしまいますが。

 炎や氷の術攻撃でもかなりの長時間を耐え、さらにはあの電撃までも十秒ちょっとを耐えられるようにまで。


「ヒロ様の回避力や耐久力、予想外の伸びですわ。

 これはわたくしとしても喜ばしいのです。それだけなぶる時間が増えるということなので!」

「どこまでも正直なのって、いっそ美点だなと思えてきた」

「で、あれば!

 反撃だって、十分可能なはずです!!」



 わたくしの触手に全身を抱かれたまま、ヒロ様は思わずわたくしを見上げましたが――

 すぐに視線を逸らしてしまいました。

 もう分かります。これは、彼が心を閉ざしかけている証拠だと。


「ヒロ様、わたくしのような触手族はですね。

 捕縛対象の反骨精神にこそ、美しさを感じる生き物なのです」

「は、反骨……?」

「だってそうでございましょう?

 抵抗も出来ず恐怖に震え上がるだけの弱者をなぶるのは、最初は良くても段々、哀れみの感情の方がまさってしまいます。

 しかし、どんな状況においても気高く美しく誇りを失わず、希望を捨てずに決死の反撃を試みる勇者様の方が、見ているのも戦うのも、色々と楽しいですもの~♪」

「…………」


 わたくしは思い切って本音を曝け出しまくりました。

 楽しいってどういうことだよ。絶対そう怒られると覚悟した上での言葉でしたが――

 しかし、彼は答えてくれません。

 その唇が、震えだしている。これは……?



「だって……」



 先ほどとはうってかわって、消え入るような声で呟くヒロ様。

 濡れそぼった肩が震えだしています。わたくしは思わずその身を包み込みました。

 身体に纏わりついたメイド服の残骸を通して、感じられる体温と心音。

 その奥にあるものは、震える心。



「ごめん……ルウ。怖いんだ。

 反撃したら、もっと酷いことをされるかも知れないって思ったら。

 レズンの時、そうだったから」



 あぁ……やっぱりヤツですか。

 ヒロ様の心に、どこまでも巣食う悪魔。


「俺だって一度、レズンをぶん殴ったこと、あるんだよ。

 これ以上バカにされるの、耐えられなくてさ。

 そうしたら……そこからますます、あいつ、酷くなって……!!」


 小刻みに震え続けるヒロ様の身体。

 わたくしの胸元で、彼の拳がきゅっと握りしめられます。

 そんな彼の様子だけで、その後どれだけのことが起こったかぐらいは想像がつきました。


「分かってる。ルウとレズンは違うって、分かってるんだ。

 でも、あの時のこと思い出したら……身体が、動かなくなっちまって。

 ごめん。ごめんよ……!」


 わたくしの胸にむしゃぶりつきながら、必死で謝り続けるヒロ様。

 人間の男性にとって女性の胸は天国という話をよく聞きますが、こうして胸に頭を埋められるのは、女性にとってもなかなかくすぐったくて気持ち良いものです。勿論、それが愛するかたであった場合に限りますが。


 それにしても……魔物への本能的な恐怖は早くも克服寸前まで来ているのに、レズンへの恐怖が消えないとは。

 あのクズ、一体どんなクズ行為をヒロ様に。


 わたくしはその背中を静かに撫でながら、彼が落ち着くのをしばし待っていました。

 しかし――だとすると、困りましたね。

 ヒロ様の秘められた力は、どうやって引き出せば良いのでしょう?



 ですが、わたくしが思案にくれたその時。


 背後の森から、ズズンという奇妙な地響きが聞こえました。

 突然のことに、思わず振り返ると――



「――え、え、えっ……?

 ひょああぁああぁああああぁああ!!?」



 ヒロ様の眼前だというのに、わたくし、とんでもない奇声を発してしまいました。

 何故って、すぐ背後の森に出現していたのは――

 何と、わたくしと同じ、触手族。

 それも、わたくしより数倍の体躯を誇り、わたくしと同じ桜色にテカテカ輝く皮膚を持ち。

 そして頭部の触手は、目も眩むほどの金色に光り輝いている――

 こ、こ、このお姿はまさか……!!?



「ち、ち、父上!!?」

「え、えぇっ?」



 そんなはずはありません。ヒロ様とわたくしだけの世界に、突然あの父上が踏み込んでくるなど、あっていいわけが。

 しかしわたくしの眼前に傲然とたたずみ、酷く冷たい眼差しでわたくしたちを見下ろしているのは、間違いなく――

 触手族の王、ゴルドロッチョ・ウ・ド・エスリョナーラ。

 触手族最強と称えられるエスリョナーラ一族、その頂に君臨せし者。


 あまりに突然のことに、さすがのわたくしもどうしていいやら、動けませんでした。

 そんなわたくしを見下ろし、父上?は森全てを吹き飛ばす勢いで咆哮を上げます。



『ルルルルルルルウウウウウウウウウウラララァアアアアアアアアリリリリアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアああああああああああああああ!!!!!!

 貴様、勝手に一族を抜け出した挙句、またも腑抜けた姿を見せおってからに!!!』



 ひゃああぁああぁあ!

 天に森に反響しまくるそのひと声だけで、わたくしは縮み上がってしまいました。

 心なしかこの父上、わたくしが覚えているよりもずっと巨体のような気がします。傲岸不遜っぷりもパワーアップしているような。

 というか、理不尽です。わたくしを追放したのは父上でしょうに、勝手に抜け出したとは。


 しかし、わたくしの魂までも凝固させてしまうが如き声質と声量は何でしょう。抵抗どころか、頭を上げることすら憚られるほどの畏怖は。

 わたくし、父上に怯えることはあっても、それでも頑張って抵抗しまくっていたはずなのに――

 父上に必死で抵抗し家出したからこそ、今ヒロ様と共にいられるのです。なのに。


 そんなわたくしの戸惑いも知らず、父上?はギロリとわたくしたちを睨みつけました。

 容赦ない視線が、わたくし、そしてその腕の中のヒロ様に向けられます。


『ルウラリア……貴様、この期に及んで未だ、着衣凌辱などという腐った真似を!

 何故脱がさぬ!? 未熟なれどそれ故に前途有望な、この素晴らしい逸材を!!

 貴様はまた、中途半端に弄ぶだけ弄び、やるべきことをいつまでもやらぬつもりか!!』


 あぁ。やはり父上?も、ヒロ様の魅力をお認めになっていらっしゃるのですね。

 さすが世界の勇者、銀河のトップアイドルになるべきお方です。全裸凌辱派の覇王たる父上まで、一瞬で魅了してしまうとは。

 しかしその彼自身は何のことやら訳が分からず、父上を見上げるばかり。


「あ、あれが……

 ルウの、父さん?」


 彼の眼前で、情けなくも父上に怯えるしかないわたくし。

 家出当時には怒りに燃え上がり、父上と一緒に大暴れしたはずのわたくしが――

 何故今、こんなにも恐怖におののいているのでしょうか。


 そんなわたくしに向かって、父上は一斉に自らの触手を振り上げました。

 そのひと振りだけで、森の木々が一気に十数本ほど引きちぎられ、天に舞っていきます。

 さらにその触手のうち一本が、わたくしたちのすぐそばに叩きつけられました。


「きゃああぁああぁ~~っ!?」

「う、うわああぁあああっ!!?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る