第20話 触手令嬢、眼鏡男子と出会う

 

 小さいながらもよく響く悲鳴に振り返ると――

 サクヤさんとミソラ先生が、茫然と立ち尽くしていました。

 ミソラ先生など、声すら上げられていません。どうしていいか分からないのか、おろおろと涙目になるばかり。

 サクヤさんはちょっとびっくりしたように、わたくしを見つめています。

 マズイです。これは、魔物に戻ったわたくしがヒロ様を襲っているなどと、彼女たちに勘違いされても仕方のない状況では!?

 ――しかし。



「あ、あの、サクヤさん! 違うんです!!」

「えっ!?

 あっ……もしかして、ルウラリアさん!? ルウさんなのね!

 ヒロ君は。ヒロ君は大丈夫!?」



 先生はともかくサクヤさんは、かなり頭の回転の早いかたでした。

 素早く色々と察してくれたようで――

 わたくしの姿に怯えることなく、すぐにヒロ様の元に駆け寄り、その手を取ってくれました。

 助かりました……さすがは副級長です。


「ヒロ君……ヒロ君!!

 酷いよ。こんなの、酷すぎる……!!」


 サクヤさんの涙が、ヒロ様の頬へ零れ落ちていきます。

 彼の手を両手で祈るように握りしめながら、サクヤさんはその名を呼び続けていました。自分が泥に汚れるのも構わずに。

 彼女はわたくしを一切責めもせず、ひたすらにヒロ様の手を握っています。

 彼の言った通り。やはり彼女は、心根の優しい女の子ですね。



「サクヤさん、大丈夫。

 わたくしの治癒術は天下一品ですから」

「でも……でも、こんなのって!」



 サクヤさんはわたくしの言葉にも、ひたすら首を振るばかりです。

 しかし、その時。



「おい……サクヤ。

 言ったろ。そいつに触るなって」



 くぐもったような低音。

 その声は、わたくしが先ほど絞め上げたレズンでした。

 他の男子生徒はいつの間にか逃げ出してしまったようですが、こいつだけは執拗に居直り、わたくしたちを睨みつけています。

 弾かれたように顔をあげるサクヤさんですが、その表情は怒りに満ちていました。



「何で?

 レズン君。どうして、ヒロ君にこんなことばっかりするの!?

 私、もう見てられないよ!!」

「お前が知る必要なんかねぇよ。

 とにかく、そいつと俺のことに口出すんじゃねぇ。

 でなきゃ……分かってんだろ?」



 分かってる? 一体、何のことでしょうか。

 サクヤさんは唇を噛みしめながら、それでも食らいつきます。



「でも……

 もう、無理だよ。耐えられない!

 こんなことしてたら、ヒロ君、死んじゃうよ。何で分からないの!?

 自分がどんな酷いことしてるかって、どうして分からないのよ!」



 サクヤさんの叫びはそのまま、わたくしの心の叫びでした。

 このクズはここまでヒロ様を痛めつけて、何の反省もないどころか――

 サクヤさんを脅すような真似まで。



「酷いこと?

 俺ら、ヒロを鍛え直してやってるだけだけど?」



 この期に及んで、何を開き直っているのでしょう。

 鍛え直すべきはどちらか、分からせてやらねば――

 そう思って、改めてわたくしが体勢を整えた時でした。



「昔はこんなこと、レズン君は絶対しなかったじゃない!

 いつだってヒロ君を守って、仲良く遊んでたのに。

 ずっとずっと一緒だって、二人ともいつも言ってたじゃない!!」



 それは思いもかけない、サクヤさんの言葉でした。

 ヒロ様を守っていた? このクズが?

 ずっと一緒だった? それはつまり――



 わたくしが一瞬、戸惑っておりますと。


「あ、あの。

 他の先生がた、呼んできますね!」


 ミソラ先生はヒロ様に声をかけようともせず、踵を返しました。

 気持ちは分かります。気の弱い人間がこんな光景を目にしては、逃げ出したくなるでしょう。

 また、彼女一人では対処できないと判断して応援を呼びに行ったのも、決して間違いではありません。

 ――ですが。

 教師であれば、一言でもいい。ヒロ様に言葉のひとつでもかけてほしかったものですね。

 これほどまでに傷つけられた、自分の生徒に。


 そんなわたくしの心も知らず、レズンは完全に開き直っていました。


「俺らは何も変わんねぇよ。

 昔と同じ、遊んでるだけだ」

「嘘!」

「サクヤ。

 それ以上言うなら……」


 池から上がりながら、レズンはにぃっと嗤い、わたくしとサクヤさん――

 そして、ぜいぜいと苦しい呼吸を続けるヒロ様を、満足げに眺めました。


「こいつら共々、退学にしてやってもいいんだぜ?

 今この化物が俺らにやった真似だけでも、十分大問題だろうしなぁ?

 だって俺ら、楽しく遊んでただけなのにぶん殴られて、首まで絞められたんだぜ?」


 何という脅し。

 退学という単語で、さすがにサクヤさんも一瞬、唇を噛みしめます。

 わたくしだけならどうとでもなりますが、彼女まで巻き込むわけにはいきません。

 わたくしは声を張り上げました。


「何をふざけたことを。

 ヒロ様は遊んでいただけで、溺れかけてお酒まで飲まされたというのですか!?

 貴方がたのやったことの方が、凶悪犯罪そのものです。

 その自覚がないというなら、退学すべきは貴方がたでしょう!」


 この世から退学させてあげてもいいのですよ。そう言いかけて、何とか喉元で抑えます。

 するとその時――



「全くもってその通りだね。

 一部始終を見せてもらったけど――

 この学園でまさか、こんな不祥事が起こっているとは」



 聞き覚えのない、よく通る若い男性の声。

 サクヤさん共々、びっくりして振り向くと――



 そこにいたのは、眼鏡をかけた銀髪の少年。

 衿に細やかな金の縁取りの入った、ベージュのブレザー姿。深緑を基調にしたチェックのズボンを着用しています。

 胸元で結ばれたのは、短めですがやや幅広のネクタイ。ヒロ様の水兵服のスカーフと同じ、綺麗な臙脂色です。

 いかにも秀才といった風情の少年ですが、頭には何故かターバンに似た長い布を緩めに巻きつけ、両耳が巧みに隠されていました。


 彼はわたくしたちとレズンの間に堂々と割り込み、わたくしにウインクしてくれました。

 眼鏡の奥で煌めくは、鮮やかなカーマインレッドの瞳。

 なかなかのイケメンです。ヒロ様とは若干タイプの違う、近寄りがたい感じの美少年ですが。



「ルウラリアさん。君とは初めまして、だね。

 僕はロッソ・ヴァーミリオ。

 この学園の、生徒会長だ」



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