第18話 少年、飲まされる

※前回に引き続き、かなり激しめの虐め描写があります。

苦手なかたはご注意ください。



******


 

「ぐ……っ!!?」


 途端に、喉へと流れ込んでくる熱。

 消毒液にも似た濃い匂いだけで、鼻は勿論、頭の芯にまで激痛が走った。

 押し込まれたガラス瓶から、どろどろと粘り気をもった液体が、容赦なくヒロの口へ流れ込む。

 それは粘膜に触れた瞬間から熱を伴い、喉を焼くと同時に一気に頬へと溢れだした。



 これは……まさか。

 じいちゃんの棚にあったものを間違えて飲んだ時、滅茶苦茶叱られたけど……

 それより、ずっと強い……!



 溶岩を思わせる熱の一部は痛めつけられた肺にまで達し、ヒロは激しく咳き込む。



「が、はっ……!?

 げふっ、あ、が、あぁあ……!!」

「おいおい~。ちゃーんと全部、飲まなきゃ駄目だろ。

 お前とイイ気分になりたくて、せっかく持ってきてやったんだぜ?」



 必死でもがくヒロ。だが手足は勿論、頭までも完全に押さえつけられている。

 悲鳴を上げようにも、瓶で口を塞がれ、ろくに声が出ない。

 出来たことと言えば――

 何としてもこれ以上この液体を身体に入れないよう、努力する程度だった。

 吐き出された液体は顔じゅうを汚し、水兵服の襟まで垂れて泥と混じり合い、しゅうしゅう泡立ちながら不気味な赤黒に変化している。

 そんなヒロを、うっすら笑いながら見据えているレズン。

 灰色の瞳の奥の感情を読み取ろうとしても、今のヒロには何も分からなかった。



 ――駄目だ。何も出来ない。

 俺、やっぱり、何も出来ない。



 酷い無力感が心を満たし、全身が弛緩していく。

 目から熱い何かが溢れ、視界が霞む。

 レズンはそんなヒロの眦から流れたものを、嫌味ったらしく指でふき取った。


「お~お~。ヒロ君、気持ち良すぎて泣いちゃったかぁ?

 だったらもっと気持ちイイこと、してやろっかなー♪」


 突っ込んだ瓶を手離さないまま、レズンはもう片方の手を、ヒロの下腹部へと伸ばす。

 他の生徒たちも先を争うように、そのズボンを掴んだ。

 無理矢理ベルトを抜き取られ、ズボンの中にまで冷たい手が侵入してくる。誰の手だかすら、もう分からない。びぃっと、布が裂ける音が響く。

 必死で目を瞑って現実を拒絶しようとしても、レズンたちは止まらなかった。



 ――もうやめろ。やめてくれ。

 レズンは、こんなヤツじゃなかった。ずっと俺に優しくて、弱っちい俺をずっと守ってくれたはずなのに!



 そんな心の叫びは、誰にも届かないまま封じ込められていく。

 絶望が、心を侵食していく。

 無理矢理喉に注ぎ込まれる、熱い液体。

 あまりに濃厚な刺激臭に、意識さえもが飛びかけていたが――




 その時。

 頭上を不意に一陣の風が駆け抜けたかと思うと

 レズンの手の感触が、不意に消えた。

 いや、消えたのではない。その身体ごと、空中に浮いていたのである。




「――え?」




 ヒロの目に映ったものは、天高く吹き飛ばされるレズン。

 何が起こったか、本人さえ理解出来ていないのか。口は嘲笑の形を保ったまま、目だけが虚ろに地上を眺めている。

 しかも吹き飛ばされたのはレズンだけではない。周囲の男子生徒はほぼ全員、同じように空へ投げ上げられていた。


 同時に宙を舞っていたのは、桜色の刃――に似た何か。

 それは風の如く大気を切り裂き、男子の腕力などものともせず、彼らを殴り飛ばす。

 ただの一撃でぶっ倒れてしまう生徒たち。

 しかもその刃、二つ三つという数ではない。何十本も宙を舞い踊っては、目にも止まらぬ速さで次々と手足を拘束し、空へと投げ上げていく。



 まさか――

 酷く咳き込んで口の中の液体を吐き出しながら、ヒロはわずかに身を起こす。



 そこにいたのは、自称・ヒロの運命の存在――

 ルウラリア・ド・エスリョナーラ。



 ただしその姿は、最早明らかに人の姿を保っていない。

 長い桜色の髪は全て、無限に伸びる触手となり。

 手足もまた、何本にも枝分かれする触手へと変化していた。元に戻ったというべきか。

 感情の昂ぶりのせいか、身体自体が大きく膨れ上がり始めている。

 上半身だけはまだ辛うじて人の形を保っていたものの、スカートはとうに弾け飛び、上着も身体の膨張を抑え切れず、はちきれる寸前だ。

 そして、青い眼球は顔から飛び出さんばかりに見開かれ、既に顔の半分を覆い尽くすほど巨大化していた。



 先ほどまでのルウの声とはまるで違う、静かな低音が、あたりに響く。



「わたくし、警告したはずですよ。

 その汚らわしい手でヒロ様を辱めるならば、実力行使に出ると」



 投げ上げられた生徒たちは、次々に池へと落とされていく。

 勿論レズンも例外ではなく、片足をルウの触手に掴まれたまま、泥の池へとざんぶと叩きつけられた。盛大な飛沫がヒロにも飛んでくる。

 最早、眼前の光景から目を離すことが出来ない。ただ茫然と、ルウが暴れるさまを見つめるしかない。

 レズンたちを投げ落とすだけでは飽き足らず、さらにその上から触手で、何度も殴りつけるルウ。

 ぷはっと水面に顔を出したレズンの手足を拘束し、頬を容赦なく叩き続ける。

 そこに憐憫は欠片もない。

 ついさっきまで、ヒロを強引に抱きしめ、はしゃいでいた可憐な少女は――

 とうに、どこかに吹き飛んでしまっていた。



 ――そこにあったものは、ただただ憎悪と憤怒に満ちた、魔物の姿だけ。

 負の感情に支配され、暴走する悪魔。



「ひ、ひぃい!!」「化け物!!」

 ルウの異変に、口々に悲鳴を上げて逃げていく生徒たち。

 拘束されたレズンを助けようとする者は、誰もいなかった。

 腹部を滑らせながら、池へと乗り込んでいくルウ。

 あまりの事態の急変に、びしょ濡れのまま何も出来ないレズン。彼は池の真ん中で、しりもちをつきながら叫ぶ。


「て、てめぇ!

 魔物如きが俺にこんな真似して、どうなるか分かってるんだろうな!?

 退学にしてやってもいいんだぞ!!」


 それでもルウは全く動揺を見せず、レズンの首に触手を巻きつけた。


「退学? やってみるがいい……

 それならばわたくしは、ヒロ様の保護者としてここに赴くまでのこと」

「!?」


 堂々とそう答えたルウ。

 その上半身ではちきれんばかりになっていたブレザーが一斉に弾け飛び、彼女は完全に元の触手に戻ってしまった。


「ヒロ様の痛みに比べれば、こんなものは苦痛のうちにも入らない!

 一体どれだけの屈辱恥辱をヒロ様に味わわせ、苦しめたか。

 少しでもその身で思い知るがいい!!」


 叫びと共に、その青い眼球がギロリとレズンを睨みつける。

 最早眉も鼻も確認出来ず、眼球と唇しか残っていない触手族の顔面。

 伸ばされた触手は一切緩められることなく、レズンの首を激昂と共に絞め上げた。


「や、やめ……助け……

 く、苦しい……っ!!」


 そんな彼の呻きも一切聞かず、レズンを絞め続けるルウ。

 顔色が赤黒くなり白目を剥き、大量の涎を流そうとも。

 彼女は決して、その手を離そうとはしなかった。



 ――駄目だ。

 ルウ、そんなことしちゃ駄目だ。

 このままじゃ、レズンが……!



 ヒロは身体を動かそうとしたが、両脚は弛緩しきってろくに動かない。

 飲まされた液体の影響だろうか。視界はぐらぐら揺れ、世界が回転するかのような強烈な眩暈が止まらない。

 ルウを止めようと叫ぼうにも、咳き込んでしまって声すらまともに出ない。

 咳き込むと同時に、昼間食べたものを思いきり戻してしまっていた。ソフィのお弁当、久しぶりにゆっくり食べられたのに。



 ――だけど、それでも、止めなきゃ。



 どうにか動く両腕だけで、地面を這いずるようにしながら、ヒロはルウに近づく。

 先ほどまでは暴れ狂っていた触手。だが今はレズンの絞め上げに集中しているせいか、他の触手は比較的沈静化していた。

 その隙を利用して、ヒロは眼前に伸びていたルウの脚――

 つまり背中のあたりから生えている触手に、力いっぱいしがみついた。


 しかし、触手の本能か。

 ヒロに掴まれたルウの触手は、彼を振り払おうと大きくぶん回される。

 当然ヒロの身体も宙に舞い、次の瞬間、池の底まで叩きつけられた。

 ――それでもヒロは、両腕を離さない。

 殆ど意識が飛びかけながら、ただひたすらにその精神力だけで、彼はルウにしがみついていた。


 ――ルウ。レズンを殺しちゃ、駄目だ。

 俺の知ってるレズンは、本当は、とても優しい奴なんだから……!!



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