第16話 触手令嬢、お昼を楽しむ

 

「はぁ~あ、退屈な授業でしたわねぇ~特に一時間目が。

 この年頃の生徒たちには高等魔法たる氷術の授業だから期待していたのですが、瞬間氷結の基本中の基本にすら触れずに終わるとは……」

「魔物だったらそうかも知れないけど、人間が出来る魔法って限られてるからな」


 わたくしの、記念すべき登校初日。

 午前の授業が終わり、ほっとしたわたくしはヒロ様の隣で一息つき、ソフィの作ってくれたお弁当を二人で食べておりました。

 ゴールドポテトとマダラ鮭の包焼は、わたくしも大好物です。


「でも……ありがとな、ルウ。

 何だかんだで、久しぶりに普通に授業受けられた気がする」


 授業中も何度となく、奴らがヒロ様に紙屑を投げるなどのしょうもないイタズラを仕掛けてきましたが、わたくしが全て叩き払ってやりました。

 こういった嫌がらせに、どれほど長い間ヒロ様が一人で耐えてきたかと思うと、胸が痛みます。

 それでもヒロ様は、少しだけ元気を取り戻したのか。

 美味しそうに梅トマトの甘蜜漬けを頬張りながら、笑ってくれました。


「こうやって普通にソフィの弁当食べられるのも、すごく嬉しいんだ。

 いつも大体、あいつらが……」

「言わずとも分かりますよ。

 色々と邪魔してきたのですね……こんな美味しいお弁当まで馬鹿にするとは、許せません。

 食べ物を粗末にする輩に、ろくな者はいない。この掟は人間も魔物も同じですね」


 わたくしが始終目を光らせていたせいか、今は特にヒロ様にちょっかいをかけてくる生徒はいません。好意的に近づいてくる者もおりませんが。

 クズン、いやレズンたちはどこへ行ったのやら、姿が見えません。

 サクヤさんが少し心配そうにわたくしたちを見ていましたが、目が合うとすぐに視線を逸らしてしまいました。



 そして、ちょうどお弁当を食べ終わった頃。

 あの役立たず……じゃない、ミソラ先生が不意に教室にやってきて、わたくしに告げました。


「えっと、ルウラリアさん。

 午後の最初の授業なんだけど、女子は水泳なの。

 プールと更衣室まではちょっと遠くて分かりにくいと思うから、今のうちに案内するわ」

「えっ? なな、なんと……

 ヒロ様と一緒に水着で授業を受けられるのではないのですかっ?!」

「そこらへん、この学校はちょっと厳しくて。

 男子は体育館で剣道なの」


 眼鏡の奥で困ったように笑うミソラ先生。

 うぅ……そういうことなら、仕方がありません。

 ヒロ様を一人にするのは若干不安ですが、ほんの少しならば――

 そんなわたくしの気持ちを察したのか、ヒロ様はにっこり笑いました。


「大丈夫だって、ルウ。

 俺、これまでずっと一人だったんだぜ? ちょっとの間一人になるくらい、平気だから」



 **



 数分後。

 気は進みませんでしたが、わたくしはヒロ様に促される形で彼から離れ。

 ミソラ先生の案内で、プールや体育館や図書室などの各施設を見回っておりました。


「えぇと、図書館と体育館の向こう、中庭の通路を辿った先が学園のプールです。

 今日はルウラリアさんは水着を持ってないし、見学になってしまうけれど……」

「いいえ先生。

 こんなこともあろうかと! わたくし、水着はちゃーんと用意してありますわ」

「え、えぇ!?」

「だって愛しのヒロ様と憧れの学園で、こんな天国のようなプールに入れるのですよ?

 水着持参は当然ではありませんか!」

「あ、あの……水泳の授業は男女別なんだけど……」

「うっ……そうでした」


 さすが良家の子女が集まる学園だけはあり、かなりの規模です。触手族の街一つ分以上はありそうな。

 その上、きちんと手入れも行き届いております。多くの建物が赤レンガで構成された落ち着いた雰囲気。校舎の周囲にも至るところに花や樹が植えられ、良い香りが漂っています。

 全天候型プールには水晶のように輝くドーム型の屋根が張り巡らされ、屋内に日光が降り注いでおりました。透明の屋根には術が施されているのか、日光は強すぎも弱すぎもせず適度に調整されております。水面に輝く光の飛沫が何とも美しい。


「とても残念ですわ。こんなプールにヒロ様をぶちこm……

 あ、いや、一緒にいられたら。世にも美しい光景が見られたでしょうに」

「そのへんは我慢してください、としか……

 でも、魔物と人間で更衣室の区別はないから大丈夫」

「むしろそちらを何とかすべきなのでは。

 わたくしは大丈夫ですが、全裸になるとガスを噴出する特性を持つ魔物もいますよ」

「そこは個別対応で何とかしているから……」


 本当に何とかなっているのでしょうか。気弱にうつむくミソラ先生の横顔は、何とも頼りなげです。

 そもそも、ヒロ様が酷い目に遭っているのを知りながら、何故この教師は何もしないのでしょう。机だけなく顔にまで卵を塗りたくられるような真似をされて、教師が気づかないなんてことがあっていいのでしょうか。


 ――いえ。気づいてないのではなく、気づいていても何も出来ないだけなのでしょうね。

 この教師の様子からして、普段から生徒たちに舐められているのは何となく分かります。

 レズンらのようなクソガk……少々態度がデカいだけの子供にひと睨みされただけで、震え上がってしまうのでしょう。

 あのレズンの態度を考えると、他にも様々な脅しがなされている可能性もあります。

 ここは単刀直入に聞いてみましょうか。


「先生――ヒロ様のことなのですが。

 何故、彼らを止めないのですか?」

「えっ……

 あ……あの、それは……

 ご、ごめんなさい」


 ヒロ様の話題になると、途端に目を逸らす先生。


「ごめんなさい、ではありません。

 ヒロ様があれだけ痛めつけられていると分かっていて、彼らを放置しているのは何故です?」

「その……

 教頭先生からも他の教師たちからも、よくある子供の小さな喧嘩だと……言われて。

 大人が介入するようなことではないと……」


 はぁ。聞いていて呆れるほど古典な言い訳ですね。


「よくある小さな喧嘩なら、何故ヒロ様が一方的にやられるばかりなのです?

 他者の物を奪うという行為ひとつとっても、犯罪なんですよ」

「そ、それに……弄られるのは、何も言わないヒロ君にも責任があると、他の先生方も」

「担任でもない教師たちのたわ言を、貴方はそのまま信じたのですか?」

「ご、ごめんなさい!

 私、教師になったばかりの新人で……」


 あぁもう、イライラしてきました。

 このやりとり、一体どっちが教師だか分かりませんわ。



「教師が新人かどうかなんて、生徒たちには関係ないでしょう。

 昨日ヒロ様が一体何をしようとしていたか、教えてあげましょうか。

 彼はあの湖で――」



 わたくしが声を張り上げた、その時でした。

 廊下の向こうからドタドタと騒々しい足音が響き、思わずわたくしも先生もそちらを振り返ると――

 真っ青になったサクヤさんが、ショートの黒髪を振り乱しながら全速力で走ってきました。



「ルウラリアさん!

 大変! ヒロ君が……

 ヒロ君が、レズン君たちに連れていかれて!」



 わたくし本来の身体に毛はほぼありませんが、総毛立つとはこのことでしょうか。

 これは――ただ事ではありません!



「ど、どこですか? ヒロ様はどこに!?」

「北校舎の裏だから……多分、池のところ……!

 早く!!」


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