第11話 触手令嬢、クズと鉢合わせ
晴れやかな空の下。
人間の少女に変身したルウは、足取りも軽やかに歩いていく。
それに対し、ヒロの足はどうしても重かった。
彼の様子にすぐ気づいたルウは、駆け戻りながらヒロの手を引く。
「ヒロ様、大丈夫。わたくしがついておりますわ。
何があっても平気です!」
大きな青い瞳でにっこり微笑みながら、ぐいぐいとヒロの手首を引っ張るルウ。
そんな彼女につられながら歩いていると――
根拠は全くないものの、大丈夫と思えてきたから不思議だった。
「ヒロ様の学校――聖イーリス学園でしたか。
確か貴族を中心として、高名な勇士や賢者の子息令嬢が多く集まり、立派な騎士や魔術師に育てるそうで」
「よく知ってるな」
「ここエーデルシュタットの街は風光明媚で利便性も良いですが、それだけに富裕層も多いと聞きました。恐らく学園も、良家の子女ばかりでしょうけれど……
そのような学校に魔物の学生もいるとは、何とも不思議なものですわね」
「お前みたいに、魔物の中でも地位の高い奴らが来てるからな。
魔物と人間の間で平和条約が結ばれて、もう100年になる。別に珍しいことじゃない」
「学生寮もありますが、殆どの生徒は直接、お家から通っているそうですね」
「あぁ。
俺の家は街外れだから、結構歩くけどさ。
だいたいみんな、徒歩で通える距離で――」
そう言いかけた時、ヒロはふと足を止めた。
視線の先には何人か、女子学生たちが連れ立って歩いている。
ヒロと同じ色と形の水兵服に、清潔なプリーツスカートを着用していた。行き先はヒロたちと同じく、イーリス学園なのだろう。
その集団の中にいた、黒髪のショートカットの少女。
彼女に目を止めたと思ったら、ヒロはすぐに視線を逸らしてしまう。
向こうもこちらに気づいたのか。思わずヒロを呼ぼうと声をかけ――
ようとして、慌ててその声を引っ込めた。
そんな少女とヒロを、不思議そうに交互に眺めるルウ。
栗色の瞳を見開きながら、心配そうな表情でヒロを見つめた少女。
しかし、何も言い出せなかったようで。
結局――
彼女は仲間の女子たちに引っ張られるようにして、ヒロから離れてしまった。
何がなんだか分からず、ルウはヒロに尋ねる。
「???
ヒロ様、今の不思議な間は何ですの?
彼女はお知り合いですか?」
「……うん。
サクヤ、って言うんだ。同級生で副級長もやってるし、とってもいい子だよ」
言葉とは裏腹に、ヒロの表情は沈んだままだった。
「いい子だから……
俺なんかに、巻き込みたくないんだ」
**
愛しのヒロ様と、念願の初登校を楽しんでいたわたくし。
愛するかたと、憧れの学校で青春を満喫できる。なんと素晴らしいことでしょう!
青春と言えば――
薄暗くジメジメした洞窟の中、ひたすら父上に怒鳴られながら、触手を伸ばす特訓をさせられた記憶しかありません。そんなわたくしにとって、このような学園生活は夢のまた夢でした。
ですが――
その登校途中から、何故か不穏な気配が漂い始めました。
正確には、聖イーリス学園の校門にたどりつく、少し前あたりからでしょうか。
わたくしたちとすれ違う生徒の数は必然的に増えてきましたが、そのうちの数人がわたくしたちを見るたび、そそくさと避けるように走り去ってしまいます。
わたくしの姿が美しすぎるのかと最初は思いましたが、どうも違うようで。
逃げていく何人かの生徒たちは、わたくしではなくヒロ様を見るなり、視線を逸らしておりました。
ヒロ様もそれを分かっているのか、寂しそうに俯いてしまいます。
どういうことなのか。わたくしがヒロ様に尋ねようとした、その時でした。
「よう、ヒロ。
昨日はゆっくりずる休み。今日はカワイコちゃんとご登校ですかぁ~?
いいご身分だなぁ、おい」
豪華な花の紋章のついた校門のあたりで。
男子生徒が4、5人固まって、こちらをニヤニヤと眺めておりました。
その中の一人――
金色の短髪、切れ長のグレーの瞳をした生徒が、のそりとヒロ様に向かって踏み出してきます。
少し浅黒い肌に、そこそこ鍛えられた幅広の肩。人によってはイケメンに見えるかも知れないですが、わたくしの琴線には全くと言っていいほど触れない風貌ですね。水兵服の似合わなさが異常です。
先ほどヒロ様に声をかけたのはその彼でした。
口元に酷薄な笑みを浮かべながら、無遠慮にヒロ様に近づいてきます。
「サボリかました癖に、また堂々と現れるたぁいい度胸だ。
化物屋敷にずっと引っ込んでりゃ良かったのになぁ、お坊ちゃんよぉ」
「レズン……」
一言呟いたきり、視線を逸らして急いで素通りしようとするヒロ様。
しかしそうはさせじと、少年はずかずかとヒロ様の前に立ちはだかり、当然のようにその襟元に手を伸ばします。
――危ない!
わたくしは、本能的に動いていました。
「おやめなさい!」
レズンと呼ばれた少年の指が、ヒロ様の水兵服のスカーフに触れるか触れないかのところで。
わたくしは思わず、その手を叩き落としていました。
生来の勘でしょうか。嫉妬とも憎悪ともつかない、何やらおぞましい悪意を感じたのです――
その手の動きに。
「なっ!?
て、てめぇ……!」
払われた手を思わずさすりながら、彼はヒロ様とわたくしを交互に見据えました。
しかしすぐに、鼻息でヒロ様を笑い飛ばします。
「なぁるほどなぁ。
誰だか知らないが、女に守ってもらうことにしたってか。
ウジ虫のお前にゃお似合いだぜ」
な……?
なな、なんということを。ひ、ヒロ様がウジ虫?
思わず唇を噛みしめ、相手とその背後の一団を睨みつけてやります。
レズンというその少年の言葉に合わせるように、ウヒャヒャと猿のようにはしゃぐ生徒たち。
そのうちの一人が、何かを両手に持って飛び跳ねております。
ヒロ様がそれを見て、思わず声を上げました。
「お、おい!
またかよ、返せ!!」
その生徒が持っていたのは、靴と本でした。
ヒロ様の反応からして、恐らく彼の持ち物なのでしょう。
慌てて走り出そうとしたヒロ様でしたが、その肩をむんずと他の生徒たちに、乱暴に掴まれてしまいます。
ヒロ様の靴と本を持った生徒はそのまま校庭へと走り出すと、思いきり空高く放り投げてしまいました。
「あ……!」
「な、何をするのです!?」
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