第9話 触手令嬢、ベッドイン?

 

「いや~、ここがヒロ様のお部屋ですか!

 なかなかきちんと整頓されて、簡素ながら可愛らしいお部屋です!」


 数刻後、わたくしはヒロ様のお部屋にいました。

 他の魔界風の部屋とは違い、ヒロ様のお部屋は人間の子供らしく、簡素な白い木製の机とベッド、そして古びたタンスや本棚がありました。

 ソフィの掃除が行き届いているのか、ゴミ一つありません。


「も、もしやこのタンスの下の棚には……もしや、ヒロ様の……」

「そこ、勝手に触るなよ。下着入ってんだから」

「きゃー! 自ら言わないでくださーい!!」

「男の下着なんてどうでもいいだろ」

「いーえ、ヒロ様の下着はこの世の全てに優先する財宝であり宝物です!」

「なんでだよ……」


 ヒロ様は面倒そうに言うと、整えられたベッドにぼふっとうつ伏せに寝転がりました。

 パステルブルーの綿のパジャマはちょっとサイズが大きいようで、少し動いただけで左肩が剥き出しになってしまうようです。

 手首まで隠れてしまうほど長い袖もなかなか可愛らしいですが、水兵服の醸し出すあの魅力には勝てませんね。

 抱きしめて撫でたいという庇護欲は強烈に喚起されるものの、適度に叩いて絞め上げて悲鳴を聞きたいという、触手本来の欲求がわきません。



 ――あの後、しばらくわたくしの触手風呂に浸かっていたヒロ様でしたが。

 いつのまにやら彼は服を脱いで、このパジャマに着替えてしまいました。破れた水兵服はソフィに渡してしまったそうです。一晩で何とかしてくれるそうで。

 わたくしとしたことが、あまりに良い気分に浸っていたらうとうとしてしまい、気づいたらヒロ様はお風呂から上がり、お一人で着替えてしまわれていたのです……

 も、もうちょっと辛抱していればヒロ様のお着替え、そして、ら、らららら裸体がじっくり見られたものを!!

 うう、何といううっかりでありましょう。いや、ヒロ様の色香がそれだけ強烈だったということでしょうね。



「しかも衣装によって色香と幼さを使い分けるとは。この年でありながら、恐るべき魔性の少年……」

「さっきから何、わけの分からないことぶつぶつ言ってんだよ?

 あと、風呂で寝るのはマジで危ないからやめろよ」

「人間にとっては大層危険なことだそうですね。

 しかし、わたくしは鍛え上げられた触手族ですから平気です。

 ご心配いただき、ありがとうございます~!」


 ヒロ様は枕の上で頭だけをこちらに向けながら、ちょっとむくれております。


「ていうかお前、魔物用の部屋案内されただろ?

 こっちにはお前のベッド、ないぞ」

「だってわたくしは、ヒロ様の将来の妻ですから。

 いつでも一緒なのは当たり前でしょう?」

「……はぁ……もういいや。

 さすがにベッドまで譲るつもりはないからな?」

「構いませんわ。ヒロ様と一緒なら、わたくし床でもどこでも……

 あ、そうだヒロ様。わたくしをベッドにしても良いのですよ?」

「絶対いらない」


 ヒロ様はそう言ったきり、ぷいと背を向けて毛布をかぶってしまいました。

 しかししばらくすると、毛布からはみだした緋色の頭から、消え入るような呟きが聞こえてきます。



「……なぁ。

 本当に、マジで、学校まで来るのか? お前」



 そう。先ほどわたくしは決めたのです。

 ヒロ様の学校に直接出向いて、彼の身に何が起こっているのかを確かめると。

 勿論ヒロ様はじたばた暴れて抵抗しましたが、わたくしの決意が動こうはずもなく。

 ちょっときゅうっと手足を絞めつけたり色々していたら、すぐに涙目で陥落してくれました。

 そのすぐ後でしたか、わたくしがとてもいい気分になり眠り込んでしまったのは。

 ヒロ様の表情があまりにもいたいけだったせいですね、きっと。



「だけど、具体的にどうやるんだよ?

 学校には確かに魔物の学生もいるけどさ」

「お任せください。鬱陶しい入学手続きなど、ヒロ様はなーんにも心配する必要はございません。

 エスリョナーラ家の令嬢たるもの、人間の学校への潜入調査ぐらい、お茶の子さいさいですわ」

「ふーん……」


 ヒロ様は毛布を被ったまま、ふと黙り込んでしまいました。

 そのまましばらくすれば、すぅすぅと可愛らしい寝息が聞こえてくるはず――

 と、思いきや。


 夜の静寂の中、ふと響いたものは、震えるように微かな問いかけでした。


「なぁ、ルウ……

 お前がどうやって学校に来るか知らないけどさ。

 ……ひとつ、条件、出してもいいか?」


 いそいそとベッドのそばに近寄ってみます。

 じっと毛布をかぶったままのヒロ様の髪は、わずかに震えていました。

 身体の奥底から湧き上がってくる恐怖を、必死に押し隠しているような。


「勿論ですわ。

 婚約破棄以外の条件ならば、いくらでも♪」

「婚約した覚え、ないけど」


 またしてもヒロ様は黙り込みましたが、やがて、よーく耳を澄まさなければ聞こえないような、小さな声が流れました。



「……俺が、どんなにみっともないことになってもさ。

 俺のこと、嫌いにならないでほしいんだ」



 嫌いになる? わたくしが? ヒロ様を?

 一体何を言っているのかさっぱり分かりません。

 それでも彼の震えは止まらず、懸命に毛布をかぶっております。

 今すぐ抱きしめてさしあげたい。そう思ったものの、それも何だかヒロ様の心の壁を無理に突き破ってしまう気がして、出来ませんでした。

 ちょっと乱れた毛布をそっとかけ直すくらいしか、今のわたくしに出来ることはありません。



「大丈夫ですよ、ヒロ様。

 エスリョナーラ家の誇りにかけて、誓います。

 何があろうと、わたくしがヒロ様を見捨てることなど、ありえませんわ」



 そう囁き、毛布の上からヒロ様の頭と背中を撫でます。

 あぁ、毛布を通じてさえ伝わってくる、この若い身体の感触。なんという幸せ……

 またしても恍惚としていると、やがて彼の呟きが聞こえてきました。

 すん、と軽く鼻をすする音と共に。


「……ありがとう。

 ルウがそう言ってくれるだけでも、俺、嬉しいよ」



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