第4話 触手令嬢、お姫様抱っこする
「!?」
一瞬、全身の色が真っ青になってしまいました。
「ひ、ひひひひひヒロ様……
い、いま、いまいま何と!?
超絶可愛らしいお子様のお口からは、絶対に出てはいけない言葉が出ましたわよ!?」
「……あっ」
あまりの動揺に、わたくし、思わず触手を伸ばしてヒロ様の肩に触れてしまいました。
彼もすぐに、はっと口を噤みます。言ってはいけないことをつい口にしてしまった、そんな表情。
それでも彼はぶんぶん頭を振りながら、無造作にわたくしの触手を振り払います。
「うるさいな!
もう、いいよ……俺のことなんか、お前には関係ないだろ!?」
「関係ないはずありませんわ!
それにヒロ様、ご自分のことを『俺なんか』と蔑むものではありませんよ」
「いいんだよ!
俺なんて、どうせ生きてたってろくなことないんだ。放っておいてくれよ!!」
酷く乱暴な言葉を残し、触手を無理矢理振り払って立ち上がるヒロ様。
しかしその瞬間、ふらりとよろけてしまいます。
「あ、ぐ……っ!!」
痛みが走ったのでしょうか、右足首を押さえながらよろけるヒロ様。
しかも彼の足元の草むらは、先日の大雨で滑りやすくなっているところ。さらに言えば、少し道を外れればそこは急な斜面、その下へ落ちれば当然湖へ真っ逆さまです。
案の定、よろけたヒロ様は足を踏み外し、濡れた急斜面を滑り落ちてしまいました。
「う、うわぁああぁっ!?」
「あ、危ない、ヒロ様!!」
わたくしは勿論、あらん限りの触手を伸ばしました。
結果、完全に水に落ちてしまう直前に、何とか彼を抱きとめることが出来ましたが――
その拍子に波をざんぶと被ってしまい、ヒロ様は全身、またしてもずぶ濡れに。
しかも斜面を転がり落ちたせいで、右半身がほぼ真っ黒です。
あぁ、まっさらな水兵服がびしょ濡れになりさらに泥で汚される、こんな光景もまたわたくし大好物で……
って、そんなことを言っている場合ではありませんね。
「い……痛っ……くぅっ……」
わたくしの何本もの触手の中で、右足首を押さえながら小刻みに震えるヒロ様。
胸元まで触手ごと彼を引き寄せ、様子を見てみますと――
空色がすっかり濃紺になってしまったズボンは、右脚が泥だらけ。
右足首、くるぶしのあたりから血が滲み、紺の靴下を黒く汚しておりました。
寒さで震えながらもヒロ様は唇を噛みながら足首を押さえ、痛みに耐えております。なんと健気な。
このような姿をわたくしのような魔物に晒すのも、恐らく恥ずかしいのでしょう。頬が若干紅に染まっております。その羞恥心こそが我ら触手族の最大の栄養とも言えるのですが
――いや、それはともかくとして。
濡れそぼったその小さな身体を、わたくしは大事に大事に触手で抱き寄せます。
人間で言うところの、いわゆるお姫様抱っことでも言うべき体勢ですね。
わたくしは普段であればヒロ様よりちょっと大きいぐらいの背丈ですが、力を増せばどこまでも大きくなれます。勿論、ヒロ様を抱き上げるなんて、造作もないこと。
それを考えると、溺れたわたくしを湖から助けだしたであろうヒロ様の胆力たるや、凄まじいものがありますね。
「あまり悲しいことを仰らないでください、ヒロ様」
「え……?
お、おい!」
小鳥のように震えるヒロ様を、無理にでも触手の中に抱き止めます。
触手の先端を伸ばし、彼の右足首にほんの少し触れました。
ちょっとだけ精神を集中して魔力を注ぎ込むと、触手の先から青い光が漏れ出てきます。
「あれ?
これ、治癒魔法?」
恐らく痛みがあっという間に引いているのでしょう。ぽかんとしたままわたくしの光を見つめるヒロ様。
「そうです。
人間で使える者は限られる、この治癒魔法ですが――
触手族の令嬢としては当然の嗜みですわ」
「…………」
ヒロ様はもう抵抗することなく、幾本ものわたくしの腕に抱かれるがまま。
水を吸った身体の重みが、何とも心地よいです。
濡れた薄い服を通して、あたたかな体温が感じられる。
きゅっと抱き寄せるたびに、眼球の近くに感じる吐息がたまりません。
追放直後にこのような出会いに恵まれるとは、わたくしはなんと幸せ者なのでしょう。
「ヒロ様。貴方はわたくしの命の恩人であり、運命のお方。
わたくしの目の黒いうちは――
いえ、黒かろうと白かろうと、もう決して身投げなどさせません」
「…………」
じっと唇を噛みしめたまま、わたくしに抱かれるがままのヒロ様。
濡れた前髪と泥が張りついたそのおでこを、触手でそっと撫ぜて泥を落とします。
やや癖っ毛ではありますが、濡れて柔らかくなった髪の感触も良いものですね。
「それにヒロ様ご自身も、本当に死にたいと思っていたわけではないのでしょう?
本気で死ぬつもりであれば、わたくしを助けられるはずがありませんわ」
「う……
それは、お前があんまり暴れてたから、びっくりして、つい」
「わたくしの身体は重かったでしょう?
貴方の力では、容易に持ち上げることすら難しいはずです」
「水の中だったし、それに、俺は泳ぎは苦手じゃないから。
夢中でお前を掴んでたら、いつの間にか岸辺にたどり着いてた」
「暴れ狂う魔物は、ついうっかり、で助けられるものではありませんよ。
ヒロ様が相当強靭な意思で掴んでくださらなければ、わたくし、今頃溺れ死んでいたはずです」
「そ、そうなのか?」
「特にわたくしなどの格上の魔物ですと、一度暴れ出したらお屋敷を壊してしまうレベルに……
あっ」
「ん?」
そこで気づきました。
ヒロ様の背中が何か所か大きく切り裂かれ、素肌が見えていることに。
後ろ襟もボロボロで、その下の白い布地にはわずかながら血も滲んでいました。
裂け方から考えて、恐らくこれは……わたくしが……!
「なんということでしょう……
わたくし、自らも知らないうちにヒロ様にお怪我をさせてしまうなんて」
「ち、違うって」
慌てて首を横に振るヒロ様。
「お前のせいじゃない。
俺が不器用で、背中を桟橋にぶつけちまって……それで……」
「嘘はお得意ではないようですね、ヒロ様」
「い、いや、違う! だから……」
「わたくしがどれほどの人間を触手で嬲ってきたとお思いで?
自分でやったか否かくらい、すぐに分かります。
きっと、暴れるわたくしを必死で抱きしめて、助けようとして下さったのですね。
そのお年で、素晴らしい紳士ですわ――貴方は」
ヒロ様は真っ赤になって黙りこくってしまいました。
その頭を撫でているうちに――
まずいです。自分の中の感情が、昂ってまいりました。
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