1.Regressio

 隈川くまかわ勝重かつしげは仕事帰りに、電子機器のジャンクショップに立ち寄っていた。この店は、大通りからかなり離れたところに立地しているし、おまけにウェブに店舗の詳細が記載されていなかったので、自動運転の機能も十分に使えなかった。


 隈川は仕方なく最寄りのスーパーに車をとめて、【ムニン】(注・簡易記憶補助装置のこと)を使って頭に入れた、不確かな情報を頼りに道を歩いた。時刻は午後八時を過ぎたあたりだった。十一月の空はせっかちな程に、暗く寒く、彼はマフラーを鼻まで引っ張り上げた。が、マフラーを鼻まで引っ張り上げたのは、別のことを憂慮したためでもあった。


 彼は今から犯罪に使う道具を買いに行こうとしていた。この瞬間から目立つことは極力避けたかったのだ。もう何十年も前から、街中には監視カメラがそこらじゅうに目を光らせている。その行為はここ数年でさらに無遠慮になっているようだった。今も街灯に設置された隠れる気のない目が――或いは見ているぞという意思表示かもしれないが――、こちらを見ている気がして、隈川は動揺を抑えきれずにいた。


 普段は監視カメラのことをこうも気にしたことはなかった。寧ろその目は危害を加えそうな奴を監視することで、証拠を取ったり、未然に防いでくれる父母のような、温かい存在である筈だ。しかし、今の彼にはその存在が、とても冷たいものに感ぜられた。思うに、その街灯は寒冷を放つ太陽だった。電燈の色は青っぽくて、そのレンズは冷たい。


三ブロック歩いた先で左に曲がり、また二ブロックほど歩くと廃ビルが見えた。隈川はあるツテから、この廃ビルにジャンクショップがあると聞いていた。電子機器のジャンクショップ自体の営業は違法ではないのだが、取扱う商品については、厳格な規制が存在する。例えば、オフラインで起動できるデバイスは、【創作罪】の温床になるとされ、その取扱いは、政府直属機関の承認を必要としている。


 その承認も、様々な査察を受けなければならず、国内でこの承認を受けた正規の取扱い店舗は一〇〇にも満たない。それに承認が降りるような、既に政府の傀儡と化した店舗で購入しようものなら必ず足がつくと彼は教わった。そこでこの店を紹介してもらったのだ。


 表とも裏ともつかない入り口から建物に入る。通路の明かりは乏しく、非常案内看板の緑色の灯りが、弱々しく床を濡らすだけだった。打ちっぱなしの階段を登ること三階、ようやくくだんの店の入り口らしき扉の前に着いた。


 扉は一見アパートメントの個室用そのものだった。それもとても古くさい。覗き穴と、郵便の受取口がついていて、ドアノブは衛生観念が未発達な頃に典型的だった、金属製の、回転しないと開かない取手が付いたとても古典的なもの。百年ほど前を舞台とした【共感映画】に出てきそうなほど古めかしい。


 聞いた話によれば、二回ノックをし、少し間を開けて再び二回ノックすることで、内側から解錠されるとのことだ。隈川にツテを寄越した有識者は、これを自由意志の律音であると言っていた。2+2=4であることを言う自由、古の唱道であるとのことだが、隈川にその意味はわからなかった。只の足し算じゃないか!今時、新生児だって馬鹿にするだろう。


 そういったことを思い出しながら解錠されることを待っていると、ドアの向こうから物音が聞こえ扉が開いた。扉を開けたのは中年の男だった。無精髭を生やす、不潔な男だった。目つきは鋭く野生的で、いかにも闇商人らしい出立ちだった。隈川は、


「あるものを買いに来ました。知人の話によればここで購入できると聞いたのですが」


と、当たり障りのない訪ね方をした。オフラインのワープロデバイスを購入したいという旨はここで言うべきではないと、隈川は判断した。このビルのどこかに監視カメラや、マイクが隠されているかもしれないし、この男が実は商人でも何でもなく、隈川を密告する可能性だってある。


「お前は何を求める?」


と、その中年男は短く尋ねた。開いた薄い唇は乾燥していて、不健康そうだし不衛生そうだった。隈川は会って一分も経たぬ内にこの男のことが嫌いになった。


「真理だ。それは寓意的構造に代弁されなければならない」


まだ、この男のことは信用しきれない。隈川はあくまで抽象的な返答に留めた。


「お前は2+2は何だと聞かれたとき、どう答える?」


中年男はまた質問をしてきた。


――何なんだ、お前まで!いったいこのやりとりに何の意味があるって言うんだ―─


「無論、4だろう」と、隈川は答えた。そうとしか答えられなかった。


「うーん、まあ良いだろう。入りなさい」と、中年男は店の中に招いた。


店内埃っぽく、薄暗かった。様々なデバイスが雑然と並び、どれも古めかしい。


「ここにあるのはどれも五十年以上前の骨董品だ。だから、今の電子機器のように端末使用履歴が政府のサーバーに送られることがない。だからどんなデータが打ち込まれようが、誰も外からじゃわからない。当然、お前がこれを何に使おうが俺は知ったこっちゃない。俺はただ売るだけだ」


と店主は説明した。なるほど、昔のデバイスは国家関連企業でない製造会社のものもある。それなら、オフライン起動も問題ないということか。隈川は、幾つかの商品を物色しているうちに、小型のノートパソコン様の機械に目をつけた。


「これは幾らですか」と、隈川は尋ねた。小型のものであれば、隠匿しやすいと考えたためだ。



「それは旧富士通の、二〇三五年製ものだな。パーツも豊富だしメンテナンスにも困らないだろう。十二万円でどうだ」


「随分と高いですね」十二万円と言えば、彼の一ヶ月の給料の六割程の価格だ。買えないことはないが、当分は生活に困窮することになりそうな値段だった。


「駄目なら買わなければ良いだけの話だ。これを買うメリットなんぞ、一般人には何一つないからな。何しろ持ってるだけで罪に問われる可能性すらある」


と店主は毅然とした調子で言い放った。確かに彼の言う通りである。政府非公認デバイスの所有それ自体は、罪に問われることはないが、【創作罪】を犯すものは皆須くしてこれを所有するので、誰かに見られようものなら密告される危険さえある。そんなリスクを冒してでも、これを買う必要が本当にあるのだろうか。隈川は自問自答した。なぜ俺はこれを買いに来たのか。なぜ俺はここに来たのか。なぜ俺は創作をしようと思ったのか。熟考したが、それらしい根拠を自身の胸の内に見つけることはできなかった。


 しかし、自身の書きたいという気持ち、すなわち創作意欲そのものは確からしいということも、隈川は悟った。


「買います。その富士通のパソコン」と、隈川は決意を声にした。


「まいど、じゃあ料金をいただこう」店主は、彼に購買意欲があるのがわかると、急に快くなった。


隈川は封筒から金を出し、店主に渡した。パソコンは梱包したものを渡してくれることになった。それもそうだ。包丁を剥身で持ち歩くものなんているものか。


 店主はおまけと言って、A4のコピー用紙五枚と、ボールペン一本をつけてくれた。これは隈川も予期しておらず、大いに驚き喜んだ。


 ペンも紙も今となっては随分と高くなった。この世に存在する情報が無形メディアにしか載せられなくなってから、いったいどれ程の年月が経っただろう。これらは環境対策の為の課税や、資源の高騰のためと言われているが、本質はそうでないと隈川は考えていた。紙もインクも創作には必要不可欠な代物である。政府はそれを見越して、これらに不当な程に高い金額を設定しているのだ。


 隈川は店主に挨拶し、店を後にした。彼の心臓はかつてない速さで拍を刻んでいた。それは、罪を犯そうとしていることに対しての背徳感か、新しい物語を始めようとすることに対する高揚なのかは彼自身にも判然としなかった。また、帰る途中で職質を受けることになったらどうしようという危惧があったためかもしれなかった。


 時刻は凡そ九時前だった。外は相変わらず寒い筈だが、隈川はそれに気づかなかった。白い吐息を風にちぎらせながら、家に帰る彼の足取りは軽快で、瞳には暖かな光が宿っていた。

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