第33話 急接近





 蓮沼家から贈られた土地の権利書は、父が丁重にお返しした。

 向こうはお祝いだから気にしなくていいと言ったが、こちらが受け取ることはしなかった。これで、しばらくは大人しくしてくれればいいのだけど。こっちの思ってみないことをしてくるから、また何かあるかもしれない。

 しかし俺は、その名前を聞きたくない。何度も思い出していたら、前に進もうとしても邪魔をされる。それは、とても良くないことだ。どう考えたとしても。


 俺のことを本当に思っているのなら、もう関わって欲しくない。大きく息を吐いた。蓮とは二度と‎会わないという書面を送ったが、もしかして蓮沼家は見ていないのだろうか。今回のことを考えれば、その可能性は高い。

 波風を立てたくはないが、こうも関わってこようとすると辟易する。



「……はあ」


「お疲れですか、はじめ様」


 蓮のことを考えると、自然とため息が出る。誠一の前では落ち込んだ顔を見せられないから、辻藤に任せている時に気が抜けて出てしまう。

 それを目ざとく華崎が気がついた。


「精神的にな……俺は、いつまで蓮の存在にまとわりつかれるのかって考えて……結婚していたし子供もいるし、一生なのかもな」


 乾いた笑いが溢れ出た。こんなことを華崎に言うことではないと、別の話題に切り替えようとした時、そっと手を握られる。

 前に東屋で話した際に、こういう接触を一日一回は必ずしようと約束したが、いつも俺から触れていた。使用人という立場を考えてしまう華崎からだと難しいと思って、そのことについては特に何も言っていなかったのに。まさか華崎から手を握ってくるとは。

 驚いた俺は、まばたきもせずに華崎を見る。真剣な目と視線が合って、心臓がはねた。


「分かっていることですが、気に入らないものですね」


「華崎?」


「はじめ様の中から、記憶を消せればいいのに。あなたを蔑ろにした最低男のことなど、気にする必要はありません。あなたの人生には、もう存在しないのですから」


 ここまで直接的に、華崎が蓮を批判するのは初めてだ。二人は会ったことがあるのかすらも怪しい。しかし、俺がされた仕打ちを知って華崎は怒っていた。俺のために。


「そうなんだけどな。誠一のこともあるから、またいつかは会わなきゃいけない日が来るのも分かっているんだ。本当はバレたくはないけど。その時に、俺は冷静でいられるのかどうか自信が無い……」


 弱音が出てくる。蓮との関係性は未知数だ。向こうが未だに、俺のことをいい幼なじみとして思っているからこそ余計にこじれている。

 俺が言わなかったからこそ、何をしたのか自覚していない。自分のせいでもあるから、恨みはしないが関わりたくないというのが本音だ。

 最後に会った凛のことを考えると、これ以上関わったら身の危険を感じる。誠一のことがなければ、どこか誰も知らない場所に行って身を潜めたいぐらいだ。


「それなら、俺があいつに言います。誠一お坊ちゃまは俺の子供だと」


「は、なさき。それは……」


「そうすれば、あいつが誠一お坊ちゃまになにかすることは出来ないでしょう。父親だと伝える必要はありません。あいつは、何も分かっていないのですから。そのまま、知らずに終わらせてしまえばいい」


「しかし、誠一には実の父親と会わせた方がいいんじゃ……知らないのが苦痛になるかもしれない。本当のことを知りたいと、そう言われたら」


 握っていた手を離して、体を引き寄せられる。軽く抱きしめられて、俺はそこで自分が震えていることに気がついた。


「その時はその時です。誠一お坊ちゃまは、別に知りたいと思わないかもしれません。知った後、会いたいとは思わないかもしれません。どうなるか分からない未来を悩むより、もっと楽しいことを考えましょう」


「楽しいこと?」


「はい。誠一お坊ちゃまは、どんな子に育つでしょう。きっとはじめ様のように、立派な方になるでしょう。何が好きで、何が得意で、どう言った道に進むのか。可能性は無限大に広がっています。それを傍で見られることは、とても幸福なことです」


 抱きしめられながら、俺は誠一のことを考えた。可愛い俺の子。どんどん成長していく姿を、こんなに身近で見られる幸福より優先するものはない。確かにくよくよ悩むより、楽しいことを考えた方がいい。


「そうだな」


「俺も幸せです。はじめ様の傍にいられて、可愛い誠一お坊ちゃまのお世話が出来て。……その点に関しては、あいつに感謝してもいいですかね。離婚出来なかったら、はじめ様はいつか壊れていたかもしれませんから。しかし、もうあいつに傷つけさせたりはしません」


 どうしよう。こんなに密着していたら、ドキドキと激しく鼓動している心臓がバレてしまう。華崎の言葉に、嬉しいと思う自分がいた。このまま、彼の腕の中にずっといたいと、そう思った。

 これは恋という感情じゃないか。蓮の時とは違う。どこまでも温かい気持ち。


「……ありがとう」


 しかしまだ確信が持てなくて、俺は華崎の体を抱きしめ返すことが出来なかった。その代わり感謝だけは伝えた。





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