第31話 信じられない話 side蓮
はじめの家に潜り込ませた人間は、全く使えなかった。
はじめに関する有益な情報を持ってこられなかっただけでなく、そうそうに正体がバレてしまった。もう少し使用人達の警戒を解いてから、聞き出さなかったせいだ。それと、警戒のレベルが予想よりも高かった。
武内家の内情、特にはじめのことがトップシークレット扱いになっている。何かを隠しているのか、それともはじめの精神状態を考えてなのか。
どちらもありえる話だ。離婚してから、あの話し合いがあってから、武内家ははじめに対して随分と過保護になった。あんなに放っていたくせに。
とにかく、武内家に潜り込ませていたのがバレて、向こうから抗議の書面と共に送り返されてきた。書面は淡々としていたが、その奥には凄まじい怒りがあるのを感じた。これは、二度とはじめに会わせてもらえない。
「どうして、こんなことになったんだ」
どんなに考えても答えは出ない。はじめの顔を思い出そうとしても、なんの感情もない姿しか頭に浮かばない。
いつもそうだった。はじめは感情を隠すように、喜怒哀楽をほとんど表に出すことは無かった。年上でしっかりしているから、そういうものだと勝手に思っていたけど、はじめは特殊な方だと知った。
もっと、楽しそうな表情をしている時は無かっただろうか。笑っている顔を思い出そうとしたが、全然駄目だ。結婚をしてから、はじめとはほとんど顔を合わさなかった。凛に申し訳が立たないと考えたからだ。そのせいで、いつもどんな顔をしていたのか全く思い出せなくなっている。
「もう少し話をすれば良かった。……一緒に住んでいたのに」
後悔しても、もう遅い。後悔するぐらいなら、結婚していた時にもっと交流するべきだった。
ふと幼なじみだった頃の、はじめの顔を思い出した。俺と凛に向けられた笑みは、どの角度から見ても悲しげに歪んでいた。記憶違いだと自分に言い聞かせても、その表情に胸が締め付けられた。
今は頭に血が上っているだけで、ほとぼりが冷めたらまた会うことも出来るはずだ。そう楽観視していた俺は、それからしばらくして驚愕の知らせを受けることになる。
「はじめに……子供が?」
その書面は、蓮沼家に宛てて送られた。中身を確認した両親が、俺も見るべきだと考えて、凛がいないところで手紙を渡された。
信じられない気持ちで中身に目を通した俺は、少しだけ安堵する。
「なんだ……養子か」
そこに書かれていたのは、武内家の跡取りにするために、養子を迎えたという内容だった。デリケートな話なので、お披露目はすることは無いが、親子共々温かく見守って欲しいと締めくくられていた。
俺との間に子供はいなかった。養子を迎えたということは、はじめはもう結婚するつもりがないのかもしれない。
どうしてそのことが嬉しいのだろう。はじめの幸せを望むのなら、再婚した方がきっといいはずなのに。あの庭師とは、本当に恋愛関係ではなかった。それが分かって、俺が感じたのは仄暗い喜びだったのだ。
「その子は、本当にはじめ君の子じゃないのか?」
「どういうことですか?」
「妊娠している事実を隠して、離婚したということはないか?それか、離婚してから妊娠に気がついたとか」
その言葉にかっとなりかけた。もしそうだとしたら、はじめは隠していたことになる。俺が頼りにならないと考えてなのか。それとも、俺が子供を奪う恐れがあると心配してなのか。
いや、それはありえない。はじめがそんなことするはずがない。絶対に養子を迎えただけだ。
「いや。妊娠はしていなかった」
確かにそういう行為をしていたけど、きちんと避妊はしていた。確信を持って言えば、両親は胸を撫で下ろした。
「それならいい。もしも蓮とはじめ君の間に出来た子供だったら、親権とかの問題が出てきたはずだ。さすがに武内さんのところと、これ以上は争いたくない」
そう言いながらも、二人がどこか残念がっているのに気がついた。凛が子供を産んだ時、跡取りが出来たのに全く喜んでいなかった。俺との間に出来た子供だと説明したが、信じていないらしい。
もし俺とはじめの間に子供がいたら、正真正銘蓮沼家の跡取りに出来る。そちらの方が良かったと考えているのか。一瞬だけ、俺もそうであったら良かったのにと思ってしまった。何を考えているんだ。そんなことになったら、凛がますます肩身の狭い思いをする。
最悪、身を引いて俺の前から姿を消してしまうかもしれなかった。はじめだけでなく、凛までいなくなったら耐えられない。自然と拳を強く握りしめていた。
「はじめ君のことは心配していたから、とりあえずは良かった。受け取ってもらえないかもしれないけど、お祝いの品は贈っておこう」
そんな俺の気持ちを知らずに、二人は贈るお祝いの品をどうするかと、話題を変えていた。お祝い。はじめと、その子供に。
「それ、俺が選びたいんだけど」
まだ会えないだろうから、せめてなにか形になるものを贈りたい。その提案を初めは渋られたが、何度も頭を下げて頼めば、最終的に受け入れられた。
何を贈ろうか。それを考えるだけで、気持ちが弾んだ。
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