第29話 近づく距離





「蓮のこともあって、誠一のこともあって、俺自身まだ混乱しているんだ。自分の気持ちが分からなくて戸惑っている。だから、ゆっくりとしか進められない。とんでもないわがままを言っているのは分かっている。ありえないと突き放してくれてもいい。それぐらい酷いよな。……ごめん」


 本気で華崎が嫌がるなら、この手を離すしかないと、解放するしかないと考えていた。俺のわがままで幻滅するなら、それも仕方がない。無理強いをしたくなかった。こちらの都合で振り回して、彼の人生をめちゃくちゃに出来なかった。


「俺はもう、恋愛なんて一生出来ないと思っていた。あんな悲惨な結末を繰り返すぐらいだったら、誠一と二人きりで生きていくつもりだった。でも、華崎が好きと言ってくれて、戸惑ったけど嬉しくもあったんだ。この気持ちは、同情なんかじゃない」


 深呼吸を数回して、俺はこちらを見ている華崎としっかり視線を合わせた。



「俺と……一緒に恋愛をしてくれないか?」



 声が震えた。華崎の反応が怖くて下を見る。そして握っている手が、力を込めすぎて痛いかもしれないと気がついた。慌てて離そうとしたら、逆に握り返される。

 反射的に顔を上げると、華崎と目が合った。その瞳の熱量に、俺は空気を求めるように口を開ける。しかし、上手く息が吸えなかった。


「はじめ様」


 声が熱いなんて、知らない。ドロドロとした甘さが、体にまとわりつく。それが嫌じゃなかった。

 華崎は離そうとしていた俺の手を持ち上げ、こちらを見つめながら甲にキスを落とした。軽いリップ音とともに、唇の柔らかさを感じる。


「は、華崎っ?」


 さすがにそこまでの触れ合いをするとは思っていなかったので、俺は驚いて声を上げる。まさか、華崎がこんなこと。唇が触れたところが熱を持つ。それが体全体に広がって、心臓が痛いぐらいに騒いだ。しかし嫌な痛みでは無かった。


「……いいのですか?」


 手を持ったまま、華崎が口を開く。


「そこまで気を許してくださるなら、もう遠慮はしませんよ」


 そこには告白された時でさえ感じなかった、華崎の使用人として以外の顔があった。

 ここにいるのは、愛を乞う一人の男だ。その顔、視線に、俺は華崎が本気になったと察する。

 このまま、頭から食べられてしまうのではないか。そう心配したぐらいだった。


 しかし同時に、俺の目は別の部分も捉えていた。微かに震えている手。一挙一動も見逃さないと、まばたきをほとんどしていない瞳。頬の内側でも噛んでいるのか、口の形がおかしい。

 全てが俺の返事を怖がっているのを示していた。ここまでしても、まだ俺の心配をしている。その事実が、俺の胸を締めつけた。


「華崎、華崎が望むのなら、俺はなんでも受け止める。恋愛するって言ったんだから。怖がらなくてもいいよ」


「……いいのですか? そのようなことを言われたら、俺は調子に乗ってしまいます」


「心配するな。いいって言ってるんだろ。それともなんだ? 俺のことは信じられないか?」


 今度は、俺が翻弄する番だ。繋がれている手を逆に引き寄せて、同じように手の甲にキスをする。緊張しているせいで、冷たくなった手が温かくなればいい。そんな気持ちを込めた。


「は、はじめ様」


 自分はやったくせに、俺がやると驚いて固まってしまった。うぶか。その顔も可愛いな。どこか庇護欲を誘われながら、俺は優しく微笑む。無理矢理ではなく自然と笑っていた。

 こうして一緒にいるだけで心地いいのは、蓮の時ではありえないことだった。


「こうするのも、別に嫌じゃない。これから、もっとお互いのことを知る時間を作ろう。華崎の話を聞きたい。何が好きで、何が嫌いか」


 俺と華崎が一緒にいても、別館の使用人達は変な噂を流すことは無いはずだ。それだけ信用している。


「二人でゆっくりと知っていこう」


 もう一度キスをすると、腕を引き寄せられる。特に抵抗せずに身を任せたら、華崎に抱きしめられていた。なんという早業だ。感心しながらも、近い距離に心臓の鼓動が早まる。


「お、れは……こんなに幸せでいいのでしょうか」


「大げさだな」


「こんな気持ちを持つことだって許されないはずなのに、はじめ様はその先を許してくれました。これは俺の都合のいい夢なんじゃないでしょうか」


「夢じゃない。俺はちゃんとここにいる。華崎、これはある人の受け売りなんだが、幸せに対しては欲張りになっていいんだ」


 辻藤の言葉を借りながら、俺は華崎の背中に手を回す。そして落ち着かせるように、背中を一定のリズムで叩いた。


「今だって幸せでどうにかなってしまいそうなのに、これ以上を望んだらなにか良くないことが起きそうです。俺はあなたの傍にいられるなら、それで十分だったのに。一度手にしてしまえば、もう、もう手放せません」


 抱きしめる力が強くなる。離さないといわんはかりの力に、それだけ求められているのだと感じて、胸がいっぱいになる。


「こんな俺を好きになってもらえた。俺の方が幸せだ。これからもっともっと幸せになろう」


 華崎となら、恋が出来るかもしれない。彼の腕の中で、俺は自分の中に今までになかった何かが現れたのを感じた。





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