第16話 別れと新たな日々
凛が屋敷に入ってきたのは、最初から気づかれていたらしい。しかし俺の幼なじみということもあり、華崎が部屋で監視することにして様子を窺っていたようだ。
そして俺への暴言と暴力で、ブラックリスト行きになった。
使用人達が凛の写真をプリントして壁に貼り、それに向かって対侵入者の訓練をするのを見てしまった時は、もう関わらないと約束して良かったと胸を撫で下ろした。実際に屋敷で殺人事件が起きかねなかった。それぐらい恨みが強い。叩かれた頬は腫れることも無かったし、俺は平気なのに大げさである。
しかし、もう二度と関わらないと宣言したことについては褒められた。書面はもっと本格的なものにした方がいいと、改めて作成させられた。
それを責任もって、父が蓮沼家に送り付けた。すでに蓮の元の届いているだろうが、どういう気持ちで読んだのだろうか。もう関係ないけど、気になるところだ。
「はじめ様。散歩しますか?」
「ああ。それじゃあ行こうか」
つわりも落ち着き、医者からも運動の許可が出た。もちろん激しいものは駄目だが。
そういうわけで、華崎自慢の庭園への散歩が再開した。再開が待ちきれなかったらしく、華崎の情熱が凄かった。
お腹が大きくなった俺のために、庭園で休むための東屋まで作ったらしい。凝り性というか、いちいちスケールが大きすぎる。しかし俺のためだと思うと、胸がくすぐったくなる。
歩くのに楽な格好がいいので、最近はワンピースタイプの服ばかり着ていた。今のお気に入りは、父がプレゼントしてくれた若草色のものだ。袖もウエストも緩く作られていて、着やすい、動きやすい、楽だからと気がつけばいつも選んでしまう。
それに、たまに別館の庭に来る父が、この格好をしていると分かりづらいが機嫌が良くなる。こんなささいなことで喜んでくれるのなら、気に入っているし着る頻度が増えるのも無理はない。
俺のお腹が大きくなってから、さらに過保護度合いが増した。凛のこともあって、傷一つつけるわけにはいかないと、全員が意志を固めているらしい。
それがありがたくもあるが、たまに恥ずかしくもなる。
「えっと……今日も繋ぐのか?」
「当たり前です。はじめ様に何かございましたら、悔やんでも悔やみきれませんので」
例えば、こういう時だ。
父に負けず劣らず過保護な華崎は、外で散歩する時は必ず手を繋いでくる。繋ぐといっても、エスコートをする感じだ。しかし、恥ずかしいものは恥ずかしい。
「子供じゃないから、手を繋がなくても転ばない」
「絶対はありませんので。それに虫が出た際に、すぐに対応出来ます」
「うう」
青虫や毛虫が嫌いだと言ったのを覚えていて、俺が気がつく前に処理をしてくれている。それでも虫は出る。俺が驚いて怪我をしないように、近くにいた方が効率がいいらしい。そう言われてしまえば、強く拒否出来なくなった。
渋々といった感じで、差し出された手をとる。華崎が俺を壊れ物のように扱うから、余計に恥ずかしくなる。
「はじめ様?」
「なんか。華崎って、王子様みたいだな? エスコートが上手い」
あまりのいたたまれなさに、俺は顔をそむけながら口にする。お世話係になってから、庭で仕事をする以外は、スーツを着るようになった。身長が高いしスタイルもいいので、これがまたよく似合っている。
「モテそうだな」
きっとモテるだろう。住み込みで働いているのでプライベートの時間は持ちづらいが、恋人の一人や二人いてもおかしくない。むしろ結婚していたりして。
そういう、プライベートな話を聞いたことがなかった。聞くのは良くないと思っていた。
しかし、少しずつ仲良くなってきただろうから、質問しても大丈夫か。
「華崎って、結婚しているのか?」
「はい?」
……びっくりした。結婚しているのか聞いた途端、勢いよくこちらに顔を向けてきた。しかも真顔で。
驚いて後ろに下がろうとしたが、手が繋がれているから動けない。
「急にどうしましたか?」
「いや。えっと、気になって。華崎は格好いいし、こんなふうにスマートな扱い方も出来るだろう。もしかして結婚しているのかなと思って」
真顔が怖くて、言い訳のように言葉を重ねた。距離感を間違えた質問だったか。プライベートに踏み込まれたくないタイプならば、こんなことを聞かれるのは苦痛のはずだ。
「悪い。デリカシーが無かった。えっと……」
「しておりません」
「え?」
「結婚です。予定もありませんし、そもそも相手がおりませんので」
いつもの華崎に戻った。それに、ちゃんと質問にも答えてくれた。先ほどまでの恐怖を忘れて、俺はさらに質問をする。
「相手がいないって。華崎なら、すぐに出来そうなのに。気になっている人とかもいないのか?」
握られた手の力が、少しだけ強くなった。別に痛くはないが、まるで離さないと言われているように感じた。
「華崎?」
「います。とても、気になって仕方がない人が」
射抜くぐらいの強い視線。まるで、俺のことを言っているのかと勘違いしてしまいそうになる。
「そ、そっか。叶うといいな。華崎なら、きっと大丈夫だろう」
「……はい。これから、さらにお近付きになれるように精進するつもりです」
そこまで、華崎に想われている人は誰なんだろう。とても幸せな人だな。
胸がちくりと痛んだ感覚がしたけど、きっと気のせいだ。
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