第7話 いなくなった幼なじみ  side蓮




 はじめと最近話していない。

 ふと、そう思った。


 話したのはおろか、顔すらも合わせていない。

 その事実に気がついたら、はじめのことばかりを考えてしまう。


 凛のことで忙しかったせいで、完全に存在を忘れていた。

 でも今までにも、こういうことはあった。


 仕事をしていると、何ヶ月も家に帰れなかった。

 凛が結婚した当初は、やけくそになって仕事を詰め込んでいたのもある。

 体を壊しかけたが、倒れるまではいかなかったのは、はじめのおかげだった。


『辛いのは分かっている。でも、それで蓮が倒れたりしたら、それこそ凛が悲しむだろう』


 俺と凛の何を知っているのだと思ったし、当時もそう怒鳴りつけた。

 はじめは悪くないし、偽装結婚を協力してくれたのに、ついカッとなってしまったのだ。


『俺は凛と結婚したかったんだ! 黙ってろ! はじめとなんか結婚したくなかった!』


 言ってしまった後で、さすがにそれはないと自分でも後悔した。

 一気に怒りも消えて、口を押さえたが言葉ははじめに届いてしまっている。


『っ』


 謝るべきだ。分かっているのに、言葉が出てこなかった。縫い付けられたかのように、口が開かなくなったのだ。


 はじめに責められる。怒鳴り声を覚悟して目を閉じると、優しく肩を叩かれた。


『そうだな。蓮と凛が辛い状況なのを知っているのに、デリカシーのないことを言ってごめん。でも、本当に蓮の体が心配なんだ。倒れたら、凛を取り返すどころの話じゃなくなる。何事も健康じゃないと上手くいかない。だから、少しでもいいから休んでくれ』


 いたわる言葉に、恐る恐る目を開けると、苦しそうな表情をしたはじめが視界に入った。怒っていない。

 その顔は、心の底から心配しているのだと伝えてきた。


 その瞬間、自分がどれだけ子供なのだったのかが分かって、恥ずかしくなった。


 はじめの言っていることは正しい。

 凛を取り返そうとしている時に倒れたら、余計な心配をさせてしまう。ただでさえ辛い状況のはずなのに、それでは凛が可哀想だ。


 追い詰められていたせいで、思考もおかしくなっていた。

 はじめが、俺の馬鹿な考えを正してくれたから、ようやく目が覚めた。


『八つ当たりして悪かった』


『いいんだ。俺もおせっかいしすぎたから』


『そんなことない。俺のことを考えて言ってくれたんだろう。……さっきは、結婚なんかしたくなかったって言ってごめん。取り消させてくれ。はじめがいてくれて助かっている。さすが頼れるお兄ちゃんだな』


『そ、れなら良かった。蓮の役に立てて、俺も嬉しいよ』


 そういえば、謝った時に一瞬、はじめの顔が歪んだ気がした。すぐに元に戻ったから見間違いだと思っていたけど、もしも錯覚じゃなかったとしたら、何故あのタイミングで泣きそうな表情になったんだろう。

 俺には、その答えが分からなかった。



 はじめは五歳年が上なだけあって、抱擁力がある。

 それから困った時はすぐに相談するようになり、今回のことでも、一番に打ち明けた。

 はじめにしか、こんなことを話せなかった。


 親にだって、はじめと俺の本当の関係性も、協力してもらっていることも伝えていない。さすがに言えるわけが無い。


 普通だったら、こんなことありえないから。

 そう考えると、はじめは優しい。

 どんな時でも味方になってくれて、率先して俺を助けてくれる。

 幼なじみで、本当に良かった。離婚する時には、迷惑をかけていた分、お詫びをたくさんするつもりだ。



 はじめのことを考えていたら、なんだか声を聞きたくなってきた。

 穏やかで低い声は、聞いているだけで安心する。

 凛を受け入れるための準備のせいで、溜まっている愚痴や疲れを吐き出したい。


 そろそろ仕事も一段落するところだし、こちらから会いに行くか。

 先ほどまで疲れていたが、逢いに行くと決めたら元気になってきた。


「そういえば、はじめの好きな銘柄のコーヒーを、少し前にもらったはず。ついでに持っていくか」


 コーヒーを飲みながら、ゆっくり話をしよう。


 俺は手早く書類を片付けると、はじめの部屋へと向かった。

 その足取りは、まるで翼が生えているかのように軽い。鼻歌まで出てくる。



 数分後、俺を待ち受けている驚きを知らずに、のんきなものだった。



 ◇◇◇




「はじめが実家に帰った? いつ?」


 コーヒー豆を手土産に、はじめの部屋を訪ねたのに、そこには誰もいなかった。

 出かけているのかとガッカリしたが、そんな話は聞いていない。


 それに、部屋に物がほとんど置いていないのも気になった。

 こんなに物が無かったか。

 部屋に来ること自体がまれなので、はっきりと言えない。


 とてつもなく嫌な感じがして、近くにいた使用人にはじめの居場所を聞いたら、実家に帰っていると伝えられた。

 しかも、帰ってからすでに一ヶ月近く経っているらしい。


 知らなかったことに驚いている使用人を前にして、俺はどんな顔をしていたのだろうか。

 きっと酷い顔をしていたと思う。


 相談もなしに、はじめが実家に帰ったことは、今まで一度もなかった。

 だからこそ、何かがおかしい。


 俺はいいようのない不安に襲われて、手に持ったコーヒー豆の袋をぐちゃぐちゃに握り潰した。



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