第8話 誤解と嫌悪
「はじめ様、そろそろお休みになられた方が……」
「今日は天気も良いから、もう少しだけ。お願い」
「かしこまりました。もし少しでも体調に変化があれば、おっしゃってください」
華崎は心配するが、今日のような陽気なら大丈夫だろう。
今のところつわりはなく、食事も食べやすい料理を用意してくれているから、体重も戻りつつあった。逆に食べすぎてしまう時もあるので、太りすぎも良くないだろう。
「ここは、見ているだけでも心が落ち着く。華崎がたくさんの種類の植物を植えていてくれるから、一回りするだけでも時間がかかるな。とても楽しい」
「身に余るお言葉です。しかし、最近虫も出るようになりましたので、気をつけてください」
「虫か。毛虫とか青虫は苦手だから、勘弁して欲しいな」
子供の頃に、服についているのに気が付かないでいたら、首筋までのぼられたことがある。あのなんとも言えない感触は忘れられなくて、それからトラウマになってしまった。
しかし、今までそのことを誰かに話したことはなかった。
わざわざ言う話でもなかったのと、蓮や凛の前では頼れる幼なじみでいたかった。
そういうわけで、華崎に初めて話したわけだ。
特に何か意味があるわけではない。
自然に口から出た。華崎なら話しても構わないと思ったからだ。
特に飾る必要も無いからかもしれない。
こんな些細なことも話せないなんて、俺達は幼なじみとして成立していたのだろうか。
なんだか感傷的になる。
そのまま、ぼーっと花を眺めていた。このままだと日差しもあって、寝てしまいそうだ。寝たら、きっと気持ちいいのだろうな。
しかし突然、腕を強く引かれた。
一体なんだ。なにも構えていなかったせいで、そのまま引っ張られた方向に倒れる。
転ぶ。そう考えて目をつむったが、予想に反して柔らかいものに包み込まれた。
「はじめ様、大丈夫ですか?」
腕を引っ張ったのも華崎で、俺が転ばないように抱きとめてくれたのも華崎だった。
「だ、いじょうぶだけど、なにがあった?」
最初は謀反かと思ったが、声の感じからしてそうでは無さそうだ。
まだ心臓がドキドキして、固まってしまう。
「突然申し訳ございません。毛虫が、はじめ様に向かって来たのが見えて。苦手だとおっしゃっていたので、体が勝手に動いてしまいました。考えがいたらず申し訳ございません。口で注意するべきでした」
「そういうことだったのなら、謝らなくてもいいんだ。少し驚いたけど、ちゃんと受け止めてくれたから平気だ」
言われてみたら確かに、地面を毛虫が移動していた。
先ほどまで俺のいた場所を、こちらのことなど気にした様子もなくゆっくりと動く。苦手でも殺したくはないから、傷つけなくて良かった。
「気を遣ってくれてありがとう」
「いえ、お礼など。はじめ様のためですから」
そういえば、驚いていて忘れていたけど、いまだに抱きしめられたままだった。
ただ単に助けてもらっただけだから、別に気まずくはない。
しかし、いつまでも抱きしめられている場合じゃないと、華崎の腕から抜け出そうとする。
「……なに、やっているんだ」
その前に聞こえてきた声に、抜け出そうとしていた俺の動きが止まった。
聞き覚えのありすぎる声。
どうしてここにいるんだと、俺はまっさきに幻聴を疑った。
もし、本当にここにいるとしたら、何しに来たんだ。
俺は確認するのは嫌だと、現実逃避しながら、それでも声のした方を見た。
「……れん」
幻聴ではなかった。幻覚でもない。
そこには険しい顔をした蓮が、腕を組んで立っていた。
俺達を、特に俺を睨みつけてくる。
「これは……違う」
華崎に抱きしめられている状況。
どう考えても誤解される。
俺は慌てて弁解するが、蓮の様子は変わらなかった。むしろ、さらに強く睨みつけてきた。
「何が違うんだ。……黙って実家に帰っていると思ったら、使用人と逢い引きしていたのか」
やっぱり誤解している。しかも最悪な方向に。
何も言わずに家を飛び出したのは、まずかったか。
俺が華崎と不倫をしていると、そう思われている。さすがに、その誤解をされたままなのは嫌だ。
「ちょっと驚いて、こうなっただけだ。俺と華崎は、全然そういう関係じゃない。華崎に悪いから、疑うのは止めてほしい。頼む」
華崎から離れて、俺は弁解する。
俺に任せた方がいいと判断したのか、華崎は何も言わなかった。
「……それなら、今から家に帰るのは構わないよな。迎えに来たんだ。早く行くぞ」
「それは……」
俺は無意識にお腹を押さえた。
蓮の気まぐれかもしれないが、俺がいなくなったのに気がついて、迎えに来てくれたのは嬉しい。
嬉しくても、この子のために今は帰れなかった。
やっと、穏やかな日々を送れるようになったのだ。あの家に帰ったら、また辛い生活に逆戻りになる。下手をすれば、流産してしまうかもしれない。
絶対に嫌だ。蓮と離婚したとしても、この子だけは守りたかった。
俺の中で、存在がそれだけ大きくなっていた。
「俺は……まだ、帰れない」
蓮を拒絶することになっても、それだけは譲れなかった。
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